ただ謝ればよかったものを。
王立魔法学園。
そこの副生徒会長であるエヴリーヌ・マレシャル公爵令嬢の評判は非常に高い。
彼女は容姿端麗で成績優秀、おまけに温厚で誰にでも優しい女性であり誠実な人物で、怒るところを見た者はいないと密かに囁かれていた。
「イザベル・ド・レセップス! お前との婚約を破棄する!」
ある日の事。
学園のエントランス――大勢の生徒が行き交う場で、ブリュノ・ド・カゾーラン伯爵子息がそう声を張り上げた。
彼の正面には、婚約者であるイザベル・ド・レセップス侯爵令嬢がおり、また彼の隣ではペラジー・ド・デュピュイ男爵令嬢が愉悦に浸った笑みを浮かべていた。
「お前はペラジーを孤立させ、あろう事か彼女の弱い立場を理解しておきながら命に関わるような嫌がらせすら行った! そんな奴との婚約など到底受け入れられる訳はないし――お前のような悪女は大勢の場で裁かれるべきだ!」
それからブリュノはイザベルの罪について詳細を語った。
曰く、日頃からペラジーを虐めていたイザベルはある日その虐めがいき過ぎて、ペラジーを階段から突き飛ばしたという。
幸い軽い怪我で済んだものの、打ち所が悪ければ死んでいたかもしれないと彼は言った。
「ち、違います! そんな事、わたくしは一切しておりませんわ」
「この期に及んで白を切るとは! どこまでも腹立たしい女だ!」
周囲の生徒の中に、イザベルを憐れむ視線はない。
何故ならば、彼女がペラジーを虐めているという悪評は既に学園に広がっていたから。
今更彼女を助けようとする者はいなかったのだ。
悪者には何をしても良い。
悪人ならば痛い目を見たって仕方ない。
自覚があろうとなかろうと、そういう考えを持っている者は多い。
だからこそこの場で、彼女の肩を持とうとする者は現れなかった。
――ある者達を除いて。
どれだけ弁明しようと無駄なのだと悟ったイザベルが絶望から項垂れたその時。
コツコツと踵を鳴らしながら騒ぎの渦中へ歩み寄る女子生徒がいた。
「お待ちくださいな」
エヴリーヌだ。
彼女は天使のような微笑みを湛えたまま、イザベルの隣に立った。
「え、エヴリーヌ様……!?」
ブリュノとペラジーが驚く。
そんな二人へ、エヴリーヌは丁寧にお辞儀をした。
「ご機嫌よう、ブリュノ様、ペラジー様」
それから彼女は頭を上げると、イザベルを見る。
エヴリーヌの紫色の瞳には軽蔑の色など微塵もない。
安心させるような眼差しをイザベルへ向けてから、エヴリーヌはブリュノ達へと改めて向き直った。
「お話は初めから聞かせていただいておりました。その上でお二人のお話には偽りがあるように思われたので、こうしてお話し合いにお邪魔させていただきました」
「な……っ、い、偽りなんて、そんな」
「俺達の話は事実です、エヴリーヌ様! そいつの日頃の悪評はご存じですか? イザベルの悪事についてはこの場にいる殆どが知っている話なのです!」
「勿論、流れている噂は存じ上げておりますわ。その上で不思議に思うのですが……? 以前から悪い噂が流れているからイザベル様が悪人である、という主張は少々無理があるのではないでしょうか? そもそも、その噂から偽りである可能性も充分考える余地はあるのではないか……とも思ってしまうのです」
エヴリーヌは日頃の穏やかな表情と口調のまま、まるで世間話でもしているかのように話した。
しかしブリュノとペラジーにとっては堪ったものではない。
自分達の家より圧倒的に位の高い公爵家の令嬢が、自分達を疑っているのだ。
何とかして自分達の主張を理解してもらわなければ、どんな悪影響が降り掛かるかわかったものではない。
「エヴリーヌ様の仰りたい事も理解できます。しかしそれは逆も同様です。俺やペラジーは彼女の悪事を目の当たりにし、確信していますが……そうでない者は流れている悪評が偽りであるという事を否定できないと同時に、真実である可能性も否定できません」
「確かにそうですね。証拠がない以上は主観的なお話にはなってしまいます。ですからこのような不毛なお話を長引かせるおつもりはないのですが……。一つ、お願いをしたいと思いまして」
「お、お願い……?」
「イザベル様に謝罪をお願いしたいのです」
「な……ッ!?」
「そ、それはできません!」
エヴリーヌの言葉にペラジーは顔を強張らせ、ブリュノは拒絶する。
「先程も申し上げた通り、彼女の悪事は俺達にとってはまごう事なき事実なのです!」
「そうですか……。けれど、侯爵家の者であるイザベル様へ対して伯爵家のブリュノ様が尊大な態度を取っている事は事実ですよね? いくら婚約者同士と言えど、最低限の礼儀はあって然るものです。ですから、ブリュノ様だけでも彼女へ謝って頂けませんか? 勿論他にも謝罪したい事があればついでに……ペラジー様の方でも何かあれば、纏めてお話しいただいてもよろしいのですが」
「わ、私は……っ、何も、ありません……!」
「そうですか」
「俺だって! ……こいつは人としての最低限の常識すら持たないような悪女なんです! そんな奴に貴族としての礼儀を重んじる必要があるとは思えません!」
「……そうですか」
エヴリーヌはブリュノとペラジーの言い分を聞く。
それから、一つ深い息を吐いてから
「それでは……私のお願いは聞いてくださらない、という事でよろしいですわね」
と最後の確認をする。
「は、はい」
「勿論です!」
「……畏まりました。――だ、そうですよ。ヴァレール?」
二人の返答を確認し、頷きを返してから、エヴリーヌは野次馬の中に紛れていた男子生徒を呼ぶ。
ヴァレールは周囲の生徒に紙束を渡し、それを周囲に配るよう指示を出してからエヴリーヌへと近づく。
ヴァレール・ラシュレー公爵子息。
エヴリーヌの幼馴染であり、婚約者。そして王立魔法学園の現生徒会長でもある。
彼は手元に残していた紙束をブリュノとペラジーへ突き付けた。
「報告書だ。イザベル嬢のアリバイを証明し――また、貴様らが彼女に対してありもしない噂を拡散させていた事へ対する調査のな」
「な……ッ!?」
冷ややかで鋭い眼光を向けるヴァレールの隣で、エヴリーヌはころころと笑う。
「イザベル様は私のお茶飲みのお友達でもありましたし、悪い噂が流れ始めてすぐに、実際のイザベル様のアリバイと噂の内容が一致しない事には気付いておりましたの。このような他者を陥れる悪評を偽造する事が当たり前となれば学園の風紀も乱れるでしょう。ですから、これを学園中の問題とし、生徒会で綿密に調べさせていただいておりました」
「結果、貴様らが流した噂が全て事実無根であるという証拠がとれた。書類に書かれている通りだ」
「先程お二人が挙げたイザベル様の罪の中には……殺人未遂などというものもありましたわね。侯爵家のお方に大罪を着せようとした罪。残念ながら、とても重いものになりそうですわ」
「この件は既に学園側に報告が上がっている。直に国へも伝わり、貴様らの愚行に対する裁きが下されるだろう」
「そ、そんな……ッ!」
「酷いわ! こんな風に調べておいて……っ、それなのに知らないふりをして騙したなんて!」
顔を青くさせて呆けるブリュノの隣で、ペラジーは顔を真っ赤にしてエヴリーヌを睨んだ。
エヴリーヌは首を傾げる。
「謝意のない謝罪に一体何の意味があるというのでしょうか。謝罪するしかない状況で紡がれる言葉に誠意があるとは到底思えませんでしたから」
「ヴァ、ヴァレール様、エヴリーヌ様……ッ! ど、どうかご慈悲を……!」
ブリュノが悲痛な声で許しを請う。
ヴァレールは一度エヴリーヌを見てから、長い息を吐いた。
「……こうなる前に、ただ謝っておけばよかったものを」
その冷たく低い声は、ブリュノとペラジーの罪を決して見逃しはしないと告げていた。
***
その後。
ブリュノとペラジーは王立魔法学園を退学となった。
ペラジーは元より政界で影響力のない男爵家の娘だったこともあり、国からの命で家ごと潰され、社交界から消えた。
ブリュノの家、カゾーランは存続しているが、カゾーラン伯爵夫妻は今回の件でレセップス侯爵家を敵に回すことを恐れ、嫡男であるブリュノを廃籍し、家から追放した。
伯爵子息として生きて来た世間知らずが市井に放り出されたところで、まともな生活は送れないだろう。
イザベルは冤罪が晴れた事でエヴリーヌとヴァレールに深く感謝をしていた。
その後は新たに友達を作り、楽しい学園生活を送っているそうだ。
こうして王立魔法学園は平和を取り戻した。
マレシャル公爵家の屋外テラスで、エヴリーヌとヴァレールは小さな茶会を楽しんでいた。
「……頼むから、断罪は合法の範囲に留めてくれよ。エヴリーヌ」
「何の事やら。今回だって全て学園とお国に任せたでしょう」
「証拠が揃わなかったり、納得のいく処罰が下されなかった時を考えると、急に頭が痛くなってくるよ」
「そもそも、彼らが素直に謝罪するなら、それ以上口を挟むつもりもなかったわ」
「だが、そうはならなかった。……そもそも、ブリュノ達との対話は俺に任せてくれと話していたのに」
「それはごめんなさい。あまりにもおふざけが過ぎる現場だったから、耐えられなくなってしまって」
柔い微笑みを浮かべるエヴリーヌを盗み見ながらヴァレールが溜息を吐いた。
氷の様な冷たい空気を纏った厳格な公爵子息と、華のように美しく天使のような優しさを持つ公爵令嬢。
それが世間の二人の評価は、実際はそうではない。
エヴリーヌは昔から正義感が強すぎる少女だった。
高等教育を積んだ彼女は確かに聡明であるが、時として理不尽な世の中に不満を見せ、法では裁けないような悪事があれば自らの家の力でも何でも使って、悪を裁こうと動く。
柔い微笑みの裏に隠れたのは過剰な程の正義と、リスクを顧みない自己犠牲的な性格だ。
周囲に敵を作る事も、それによって自分が危険な目に遭う事も、自身が罪に手を汚すことも厭わない婚約者。
そんな彼女がヴァレールはただただ心配だった。
今回だって、彼女を放っておけばどうなっていたか分からないからこそ、ヴァレールはエヴリーヌに協力し、共に調査に乗り出したのだ。
「君に何かあれば、俺が悲しむという事を理解して欲しい」
「理解しているわ」
「俺の心は、君の正義よりも軽いものなのか」
「……ずるいわ、その言い方は」
エヴリーヌが口を尖らせてそっぽを向いた。
ヴァレールは知っている。勿論そんな事はないという事を。
彼女は不器用なだけなのだ。
身内を愛する想いが人より強いからこそ、大切な人達が蔑ろにされる事が許せない。
公爵家の者としてこの激情と衝動的な性質を隠す為に穏やかな令嬢として取り繕ってはいるが、裏では激しい怒りに心を燃やすことだってある。
それがエヴリーヌ・マレシャルという女性だ。
ヴァレールは席を立ち、エヴリーヌの隣まで歩く。
それから彼女の頭を抱き寄せた。
「軽蔑します?」
「何を今更。する訳ないだろう。俺が愛しているのは君だけだよ、エヴリーヌ」
だから顔を見せてくれ、と続ければ、頬を赤らめたエヴリーヌがヴァレールの顔を覗き込む。
「私も愛してるわ、ヴァレール」
二人揃って頬を染め、照れ臭くなってはにかむ。
そして穏やかな時の中で、エヴリーヌとヴァレールは互いの愛を確かめるように、唇を重ね合わせるのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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