8:婚約者としての生活
「うーん……」
朝、ベッドで目が覚めたアミィは大きく伸びをする。ぼんやり周囲を見回して「ここどこ?」と一瞬思ったが、直ぐにサイデルフィア家の客間だと気がつく。
昨日の晩餐は「君の歓迎会だから」と豪華だった。オズワルドの口数は多くはなかったが、カイマールは昔のままのおおらかさで、アミィは彼の話を微笑みながら聞いたのだった。
『なんかあれば嬢ちゃんも頼ってくれ。俺はサイデルフィア領の東に住んでるからな』
『おじさんは東の湿地帯を守ってくれているんだ』
『元英雄なのに? 国境付近ではないのですか』
『国境を守るのはサイデルフィア家当主の役目だ。もちろん有事には駆けつけるぜ』
『カイマール・ゾロイドの名を有難く抑止力に使わせてもらっているんだ。なんせ俺は戦争経験のない若輩者でね』
『終戦してるのに、未だフン・タルマルク王国との小競り合いはあるがな』
先の戦争は隣国のフン・タルマルク王国とシガット大公国の連合軍との激戦だった。トパーズは大公国に雇われていたがかなり苦戦していた。トパーズが死亡してから六年後にエルセイロ王国側の勝利で終わる。
エルセイロ王国は前将軍の大怪我による戦線離脱を受け、副将軍だったカイマールが将軍となり、半年後に降伏させた。だから被害を最小限に抑えた“英雄”なのだ。
トパーズは国から派遣される傭兵だったので、戦場が職場だった。魔物はたまたま邪魔になると退治する程度で、自分と同じように戦場を駆けていたカイマールが、今は魔獣退治を専門にしているとは思わなかった。
辺境伯家は護るために戦う。その一員になる事をアミィは誇らしく思った。
結婚に前向きになったアミィも婚姻式までは客間暮らしだ。今はただの婚約者の身分で、そこら辺はきっちり線引きされる。これから辺境伯夫人としての教育も始まると聞いた。
婚約者も言っていた。魔物と戦争の危険に晒される、ここは王国内でも忌諱される土地だと。だが王国防衛の最重要地でもある。
虐げられている庶子の救済なんて理由で婚約者を選んでは駄目な地域だが、オズワルドを偽善者だと一刀両断もしにくい。
アミィは伯爵邸で時折行われる義母や異母姉の茶会を盗み見ていた。綺麗に着飾って流行り物の話や恋愛話に興じる令嬢たちを思い出せば、確かに辺境に溶け込めそうにない。義母の茶会も似たようなものだった。ジュエリーやドレスで豊かさを競い、観劇の話にうわさ話ばかりで、国や民についてや政治経済の話など聞かない。それが貴族女性なのだ。
アミィが覗き見ていると知った伯爵夫人は「羨ましいでしょうがお前には関係のない世界よ」とせせら笑ったが、アミィの目的はただの情報収集で、見栄張り合戦に羨望などあろうはずもない。
「確かに逃げ場のない娘なら辺境に馴染めるかも。理に適っている気もするわ」
実際のアミィは伯爵家から逃げる気がなかっただけだ。前世の記憶が戻った時は、また家族に恵まれなくてがっかりした。しかし庶子とは云え貴族令嬢と分かり、全く違う人生が歩めるのではないかと期待する。アミィにとって冷遇は冷遇ではなかったし、自分の好きなように動ける生活は快適だった。
売られた先の辺境伯家で酷い目に遭えば、さっさと退場するつもりだった。だが婚約者があのカイマール・ソロイドの大甥ならば、多少の邪険な扱い程度は受け入れられる。今のところオズワルドは問題のない男のように感じる。だから彼と結婚するのに抵抗はない。
__前世の傭兵生活では望めなかった願い。
せっかく女に産まれたのだから、今度こそ子供を産み育ててみたい。自分の家庭を持ってみたい……。
“愛する者を得たい”
愛する存在足枷になると前世では思っていたけれど。
人々は愛する者がいれば“生きたい”と思うのだ。農民でも猟師でも、身分に関係なく。
アミィは荷馬車を襲われた商人が震える手で剣を持ち、盗賊に立ち向かっているのに出くわし、助太刀した事がある。
『今死ねば妻子が路頭に迷うところでした。本当にありがとうございました』
駆け出しの若い商人は護衛も雇えず、古い小さな荷馬車だから狙われないと思っていたらしい。交易品でなくても農作物だってタダで手に入れたい輩がいるのに不用心すぎる。このまま行かせるのも目覚めが悪いし、アミィは彼の目的地まで荷物に紛れて用心棒をした。幸い以後は襲われる事はなく、彼は無事妻子の元へ戻った。その時の家族の笑顔……。決して豊かではないが温かい生活。
相応の礼をしようとする夫婦の誠意を固辞して、帰りの路銀だけもらった。
__あの商人は幸せにやっているだろうか。
前世の傭兵稼業は国の命令で、トパーズに人権などなかった。恋は……どうだろう。しなかった気がする。傭兵ギルドの役員の一人に抱いた淡い想いは、きっと彼が“初めての男”だったからだろう。
トパーズを工作員とする教育の一環で、親子ほど歳の離れたその男に手管を仕込まれただけで、二人の間に愛情はなかった。
だからアミィには分からない。夫に対してどう愛情を持っていけばいいのか。
かつてトパーズが仕事で紛れ込んだ夜会で、どこかの貴族夫人が『夫に愛情はないけど我が子は愛しい』と話しているのを聞いた。“母の愛? 自分は売られたのに?”と思った記憶がある。今なら何となく理解できる。手放さず、温もりを与えてくれた今世の母は、アミィを愛してくれていたのだと信じたい。
(オズ様を愛せなくても、自分が産んだ子供なら愛せる気がする……)
子を産むのはアミィの希望になったのだった。飢えた愛情の向く先がまだ見ぬ自分の子であるなんて、さすがのソロイド元将軍も想像しないに違いない。
「辺境伯夫人、初めまして。教育係のアルバルト・ドリカインと申します」
「まだ婚約者にすぎませんので、その呼び名は控えてもらってよろしいですか」
ドリカインはアミィの言葉に、「既に領民の間では奥方が来たと騒ぎになっております故、早めに慣れていただきたく存じます」と答えた。
訳あり伯爵令嬢に教育を__と頼まれたドリカインは先代の辺境伯の教師でもあった。隠居の身を駆り出された理由は、教養のない令嬢に少しでも夫人としての教育を内密に、だと理解している。我儘なのか、知性に問題があるのか。
そう彼が覚悟して対面した少女は、むしろ太極的な視点を持った利発さが窺えた。なるほど。確かに訳ありだ。令嬢は勉強する機会を与えられなかっただけなのだ。
この辺境の夫人に必要な知識は貴族として国内情勢に明るい事はもちろん、他国の情報、歴史、交易、更に魔物情報まで含まれる。半年後の結婚式は王都で行われるので大変だと思ったが、物覚えが良く肖像画付き貴族リストで教えた国内の大まかな貴族関連に於いては問題ない。ドリカインが辺境についての教育に専念できたのは僥倖だった。
問題点があるとすればマナーの方だった。こちらも十歳で教わったとかで基礎的なものは仕上がっている。しかし何だか我流っぽく、中央の社交界に向けて訓練に余念がない。
教えるのはシシール・クロス子爵夫人。広いサイダルフィアの農地の一角の経営を任されている子爵の奥方は、宮廷貴族の元令嬢で、辺境近隣の多くの令嬢達を鍛えてきた。アミィを半年の付け焼き刃でどうにかしなければならない。
「夫人の家庭教師は手抜きをしていたのですか? どの所作も中途半端に見えます」と、クロス夫人は零す。
そんな事はなかったとアミィは思う。講師はきちんとした真面目な女性でしっかりと教わった。覚えが早いと褒めてくれたくらいだ。ただその後は教育を打ち切られたから、前世のマナーも混ざって微妙な感じになってしまったと考えている。
しかしそれは他人には語ることのできない事で、アミィは「時間が経つうちに忘れたのだと思います」と曖昧に笑った。




