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7:伯爵家からの脱出


 気ままな生活を続けていたある日の朝食後、本邸の扉の方からメイド長に声を掛けられた。珍しい。


「アミリシア様、伯爵様がお呼びです。すぐに執務室までお越しください」


どのくらい伯爵に会っていないだろう。必要最小限にしか関わらない父親が、一体何の用だ。……いい予感はしない。


(屋敷を出る前で良かったわ。もう少し呼ばれるのが遅かったら、不在なのがバレるとこだった)


 動きやすい平民の、しかも少年の格好をしていたアミィは大急ぎでドレスに着替えた。うなじで一括りにして鳥打帽に入れていた髪を下ろし、慌てて結び目に髪飾りを着ける。おかしいところがないか全身鏡で確認をしてから、小走りで父の元に向かう。すれ違う使用人たちはアミィの無作法な姿を見ても無反応だ。いつものようにいない者として扱う。


 息を整えてから、執務室のドアを叩く。


「アミリシアです」


「入れ」


「失礼します」


 執務机に座っている父は入室したアミィを見て顔をしかめた。

「なんだ。だらしない格好だな」


「アメリア様のお召し物を自分で縫製しなおした物なので多少不格好かもですが、室内着ですから」


「……姉さんの? お下りなのか?」


「ええ、ジョゼット様がアメリア様が残していったものは、好きにしていいとおっしゃったので、有り難く使わせていただいています」


 訝しげに伯爵が「ドレスを新調していないのか?」と問うが、「引きこもりで社交デビューもしていない娘には必要ないと聞きました」とアミィは正直に答えた。


 アミリシアは貴族教育も嫌がって暴れるので打ちきり、分館でぐうたら暮らしていると報告されていた伯爵は、「平民の子には荷が重いのでしょう」と継子を放置するの妻の言葉を鵜呑みにしていた。

 アミィの処遇を一任したのは自分で、妻を裏切った引け目で彼女とは約十年間ほぼ関わらなかった。だから娘に対する愛情はない。ただ、怠惰に育ったはずの娘には思えなくて戸惑っている。


「伯爵様、どういったご用件でしょう」

 アミィは促す。ああ、と伯爵は気を取り直す。


「実は、おまえに縁談だ。拒否権はない」


「まあ、急ですね。ジョゼット様はリーゼロッテ様が婚約してから考えるとおっしゃっていましたが。平民の金満家がいましたか」


 アミィは全く動揺もせず薄く微笑んでいる。思えば初日に『政略の駒に使え』と言い放った利発な娘だった。しかも“家門”ではなく“平民の金持ち”に嫁がされると考えていた。まるで今の伯爵家の台所事情を知っているかのようだ。


「レミス第三王子殿下の仲介だから、相手が誰だろうがブロールン伯爵家は断れん。それだけだ」

 伯爵は淡々と事実を述べる。


「は?」


「相手はオズワルド・サイデルフィア辺境伯だ」


「え?」


 落ち着き払っていたアミィが疑問符で返事をしたのも仕方がない。想定外の相手だ。まず第三王子が関係している意味が分からない。


「アミィ! これは良縁だぞ!」


 その通りだ。もしアミィが正妻の娘だとしても身分差がある。辺境伯が老齢で後妻とかならまだ理解するが、現辺境伯はまだ二十歳そこそこのはずだ。

 何かとんでもない条件があるとアミィは考えたけれど、これは気持ちよくブロールン家から出られる好機だ。どんな不利益があってもかまわない。辺境ならいざとなれば隣国に逃げられる。


「今夜は本邸で食事を摂れ。マナーを確認する」


 父親に言われ『あー、今日は外に行けないなー』とがっかりしつつ、表面上は「かしこまりました」と静かに答えた。

 早く部屋に帰ってマナー本で復習しなければならない!



 そしてついにきた晩餐……。食事にこんなに緊張するのは今世初めてである。


 伯爵夫人と異母妹を前にして、ナイフとフォークを持つ手がうっかり震えそうだ。これは家族団欒の場ではない。アミィのマナー試験場なのだ。


「特に問題ないな」


 伯爵の満足げな顔に夫人が小さく歯軋りする。アミィに形だけの講師をつけたのは十歳の頃。皆一様に「覚えが良い」と言っていたのですぐに教育を打ち切り、それ以降は放って置いた。しかしここまでこの娘が要領いいとは思わなかった。利発さは健在だった。


「お父様、いきなりこの女の食事マナーチェックを頼むなんて。一体どんな理由ですの? まさか今更社交界デビューを?」


 リーゼロッテは不服そうに頬を膨らます。こちらは年齢の割に幼い仕草をする。


「あなた。今日の客人に関係ありますの?」


「おお、そうなのだ! 驚け! レミス殿下の紹介で、アミリシアがオズワルド・サイデルフィア辺境伯に嫁ぐ事になった」


(まさかここで報告? サプライズにも程がある。ほら妻も娘もあんぐり間抜けな顔してるじゃないの)


「アミリシアの縁談は私に任されていたではありませんか!」


「ジョゼット。王子殿下の仲介だぞ。うちが断れるわけないだろう」

 伯爵が言い含める。


「おまえが“名ばかりの伯爵令嬢”でもいいという金持ちを探していたのは知っている。私もそれでいいと思っていたが急な縁談だ。しかも辺境伯がうちの負債を知って援助してくださるそうだ」


「まあ……どうしてそこまで……」


(“借金がある”と言わないのは異母姉の手前かしらね)

 

 どちらにせよ、アミィにはブロールン家の懐事情なんか関係ない。


 リーゼロッテの「子息じゃないならお爺さんでしょ。若いから売れたのでは?」との失礼な発言に、ジョゼットが「いいえ、まだ二十一歳の好男子よ。王都の夜会に出る度に人目を引いているわ」と答える。


(へえ、カッコいい人なんだ)

 

 興味なさそうな無表情でアミィは会話を聞いていた。


「そんな方がどうして!? 庶子じゃなくて、まず私にお話が来るものじゃないの!?」


 悔しそうなリーゼロッテに「おまえは後継ぎだからな」と伯爵は納得させる。


「それに辺境伯自身は人気があるけど、あそこは暮らしにくい土地よ。もしあなたに縁談がきても大事なあなたを嫁には出せないわ」

 ジョゼットも娘を宥めるが、アミィが若き領主と結婚するのは不服だ。娘婿にはそれ相応の男を選びたい。しかし“辺境伯以上の男”と条件が厳しくなったからだ。

 身分などより力量を見ればいいのに、変に対抗心を燃やせば碌でもない男をもらうかもしれない。


(気の毒な方。でも他人の私には関係ないわ)


「王家の仲介でなければ身分差を理由にお断りもできますのに」とジョゼットの恨み節が始まる。


 庶子のアミィにとってこれ以上の縁談はおそらく望めまい。


(借金のカタと割り切ればいいのに。どうしてもひひ爺に売りたかったみたいね)


 伯爵夫人の気持ちも分からなくもない。憎むべき愛人はすでに死んでおり、負の感情はその子供に向けるしかないのだ。アミィの不幸を願っているけれど、矛先を向けられるこっちは堪ったもんじゃない。好きで伯爵の娘に生まれたわけじゃない。


「王子殿下の書状には“辺境伯の結婚条件に合致した”と書かれているだけで、アミリシアを速やかにサイデルフィアに送るようにとの指示だ。よく分からんが、早ければ早いほどいいだろう。アミリシア、明日には出られるか?」


「ええ、これから荷物を纏めますわ」


 これ以上、母娘の憎悪を受けるのはごめんだ。さっさと退散するに限る。


 最小限の養育しかされなかったので、辺境伯の援助でチャラになるはず。恩返しなんて殊勝なものじゃない。


(……使用人として引き取られるよりは、貴族令嬢の肩書きの方がいいから“政略の駒として使え”なんて啖呵切って認めさせたからなあ……)


 だから売られてあげるのだ。これは矜持である。


 伯爵家の返済期限の迫った借金はアミィの嫁入りによって相殺される。だが贅沢な夫人と娘と、経済状況の見極めができない伯爵と。すぐにまた借金を背負うだろう。その頃には縁が切れている。



 アメリアの残していった書物や衣装を選りすぐり、お気に入りの日用品、自分が稼いだ大切なお金__思ったより荷物があった。だが伯爵令嬢の嫁入りとは思えない質素さである。

 訪れたレミス王子の使者が「辺境伯から預かりました嫁入り支度金です」と伯爵に渡した金が、自分に使われなかった事をアミィは知らない。



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