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5:伯爵家での生活


 分館に住む事が決まったアミィだが、外に連れ出される事なく本邸の中を歩かされた。調理室や使用人部屋などが左右にあり、長い廊下だなと思った先の行き止まりに立派な扉があった。そこを開けると丸いテーブルにニ脚の椅子、壁面は天井まである棚になにやら器具や書籍が少しだけ並べられていた。隅には簡易調理設備まであり小鍋がいくつか残っていた。不要な物だけ置いて出て行ったような様子だが、掃除はされているようで埃はない。


「ここは……?」


 アミィがうっかり漏らしてしまった声に、案内のメイド長が答えてくれた。


「侯爵のお姉様のアメリア様が暮らしておりました分館でございます」


「分館、なのですか? 本邸と続いているのに」


 返事があったので更に尋ねてみた。


「アメリア様は幼い頃から工学に興味を持たれ、貴族学校に入る前に静かな環境が欲しいと王都の端の別邸への引越しを望みましたが、許されませんでした。代わりに本邸の続きに増築して“離れ”扱いしたのです。壁は防音素材を使っており本邸の喧騒が届きにくくなっています。アメリア様が“ブロールン家の分館”と称されました」


 丁寧な説明のあと、メイド長はアミィを見下ろす。


「奥様は決してあなたを追い払うのではありません。お分かりいただけましたか、アミリシア様」


 伯爵家に名を連ねる事になり、「アミィではいかにも平民だ。アミリシアとして届けよう。そして愛称がアミィだ。覚えろ、アミリシアだぞ」と伯爵が改名した。まあ父親なのだから名付けの権利もあろう。母の名付けを残してくれたのだから良しとする。


「お食事はお持ちします。寝室と浴室と化粧室は奥にございます」


「広くて素敵な部屋で、とても光栄です」


 アミィは頭を下げる。手続きの終わっていない今はまだ平民なのだ。貴族籍になっても偉そうにしないと決めていた。異分子は息を潜めるに限る。


 本当に説明だけで「では、私は仕事がありますので」とメイド長は引き返す。


「お手間を取らせました。有難うございました」

 

 放って置かれたのでアミィは勝手に検分を始めた。部屋の真ん中にある一人分のテーブルでアメリアは食事をしたのだろう。簡易研究室のような内部は元の主人が研究者気質であると推察できた。前世にもいた。効果の高い薬の開発に余念のない薬学者に、武器職人。彼らは興が乗ると寝食を忘れがちだった。

 

 アメリアはここで手早く食事を済ませ、壁の一角に設置された長机に向かって研究実験をしていたと思われる。かつては所狭しと研究物が置かれていたであろう大きな机は役目を終えて寂しそうに見えた。


 アミィは奥の部屋に行こうとドアを開ければ玄関だった。右手の先にはどう見ても外へのドア。気になってまずそこを開ける。庭に出た。こちらからメイドたちが入って掃除をしていたような気がする。研究室っぽい私室はアメリアの聖域で他者の手が入るのを嫌がっていたのではないかと思う。


 再び家に戻って今度は奥の寝室などを確認する。寝室はベッドを入れているだけのこじんまりとした佇まいだった。浴室も化粧室も利便性を重視していて華やかさは一切ない。


「素敵! アメリア様って合理的な女性だったのね!」


 側に誰も居ない。物静かな聞きわけのいい少女の演技をする必要がない。アミィは興奮を隠せず口走ってしまった。


「最高だわ! 誰にも邪魔されない空間! 私のお城! 大切に使わせていただきます。アメリア様!」


 元主人に敬意を払って空間に礼をする。


 

 アミィをアメリアの分館に押しやったのは、ジョゼット的には十分な嫌がらせだった。



 ジョゼットが現伯爵のエデュアルズと婚約した時には、彼より六歳年上のアメリアは既に科学局の研究室に就職して国営寮に住んでおり、初めて会ったのは自身の結婚式当日だった。エデュアルズとよく似た美貌の彼女は行き遅れの身でありながらそれは汚点でもなく、若くしてどこかの主任になったとかで、才媛としてチヤホヤされているのを苦々しく思った。


『知り合う機会がなかったけど、弟の結婚式では会えると思った』

『うわさ通り綺麗な方だな』


 花嫁より彼女に注目している招待客の声にも腹が立った。

 

 アメリア自身は外野の声に無頓着で、『おめでとう、エディをよろしく頼みます』と如才なくジョゼットに笑いかけ、『彼女を大切にするのよ』と弟に言う嫌味のない人物だった。

 若さ以外彼女に勝るものはなかったジョゼットは勝手に劣等感を抱く。

 

 我儘を言って自宅に別館を増築させておいて、エデュアルズの結婚を機に前侯爵が領地の田舎の方に居を構えてからは、アメリアは一度もこの屋敷に帰省していない。不要なものはそのまま置いていっているようだけど勝手に処分もできず、適度に掃除もしなければならない使えないスペースだった。


 小姑の元住処は疎ましい場所だ。そこに不貞の子を隔離する。それだけでアメリアに傷をつけられる気がして少し溜飲が下がった。本館とのドアに鍵を掛けてしまえば少女は孤立無援になる。一見アミィを受け入れているようで、認めるつもりのないジョゼットはほくそ笑んだ。


 しかしアミィはそんな継母の悪意に気が付かなかった。


 数日は問題なかった。食事は本館と別館のドアの前にワゴンで置かれるのは最初に説明された。アメリアもそうだったらしい。

 孤児院では朝晩の二食だったのが、朝昼晩と三食も頂ける事に感謝する。しかしそれが夕食がなかったり朝食がなかったりとなり、「ん? 今日はないのか」と疑問に思ったものの特に気にしなかった。

 それが何も届かない日が二日も続くとさすがに気がつく。


 夜中にこっそり食糧を求めて本邸に忍び込んだが、厨房も食糧庫もご丁寧に鍵がかけられていた。


「なるほど、兵糧攻めか」


 お貴族様の継子いじめもなかなかのものである。金に困っているのでもないくせに。だがこちとら前世では生き延びるために、雑草でも腐ったものでもなんでも食べた。舐めるな。


 アミィは分館の玄関から出ると裏手に回る。花壇の名残らしきものの背後に木々が生い茂っている。ここの一部を整地してアメリアの部屋を建てたのだろう。鬱蒼とした場所は表側とは全然違う。


 夫人やリーゼロッテは気味悪がって足を運んだ事もないのではなかろうか。伯爵なら少年時代に探検したかもしれない。


「何か自生していそうね」


 期待してアミィは木々の茂みに入り込んだ。奥を目指すと結構な雑木が続き「……これでは林ね」と思わず呟いた。

 やがて目の前に高い塀が現れる。


「これが防壁? 普通によじ登って入れるじゃない。貴族の屋敷ってもっと警備が厳重なものなんじゃないのかしら」


 兵士目線だとなんとも心許ない。ここから入り込めば林の中に身を潜められる。

騎士が巡回している気配もない。屋敷さえ守ればいいとの判断かもしれないが、アミィ的に納得いかないので、いずれは塀に罠を仕掛けてやろうと思った。


「あった、あった! グミの木だわ!」


 食べられる物を見つけたアミィは大喜びである。たわわな赤い実をその場で一心不乱に食べた。


「あっ! ここに梨まで! 収穫はもう少し先ね」


 果実が自生しているのに伯爵家では食べないのか。鳥の餌になるだけとは勿体無い。いや、存在自体知られていない気がする。



 ジョゼットの指示で二日も食べ物を与えなかったのに、あの不義の子は訴えもしなかった。『ご飯をください』と頭を下げに来るのを待っていたが、このまま衰弱死させてしまうとまずい。

 掃除をする(てい)でメイドを分館に向かわせたが、アミィは普通の状態で特に文句も言わなかったらしい。さすが飢えに慣れている下賤の者は我慢強い。


「一日に一食でも二食でも大丈夫そうね。伯爵家の財産で養うのだから最低限でいいわ」


 そんな伯爵夫人の意地悪で、アミィの食事は基本一日に二回、パンにスープに破棄寸前の野菜サラダがベースとなった。たまに一食の時も、一日()()()()()()()時もあるけれど、アミィは意地でも弱音を吐かなかった。


 彼女は人目がないのをいい事に、密かに外に出る手段を得たから生活に困る事はなかったのである。

 


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