20:農村視察
「ここが開墾地だ」
オズワルドに手を引かれ、馬車から降りたアミィは目の前の荒地の姿に、先程の地図を思い出す。ここは初代王から弟の一人に与えられた最東端の不毛の地だ。今は更に向こうの緩やかなメドール山まで領地は広がっている。
アミィはごつごつとした岩石に挟まれた本流のインカ川を眺める。反対側のフン・タルマルク方面を流れるクヴァナ川は濁流により栄養素を麓まで届け、肥沃した土壌を与えていたので古くから農地だった。雨季には時折氾濫を起こしていたが、サイデルフィア領になってから川幅を広げ、支流を作り農業用水路の整備をして不作の軽減を図っている。
それに比べればこちら側は荒地だ。小川があちこちに見受けられるも、手付かずである。
「サイデルフィアは戦に巻き込まれる土地柄のせいで軍事力は高いけど、産業面は遅れている。上水下水の仕組みも簡易で、王都ほど発達していない」
オズワルドは憂い顔で、「だから中央貴族からは野蛮で不衛生な未開地だなんて陰口を叩かれるんだ」と嘆く。
「でも王都は人が多い分、管理は甘かったと思います。特にスラムなんかはゴミも汚物も川に捨て流しっぱなしで、その川を生活にも使うもんだから病気が蔓延しがちでした」
「役人は見て見ぬふりする地区だな。別の者が仕切る場所だ」
「そうです。私が居た孤児院も裏世界のボスと呼ばれる者の息のかかったところでした」
「……劣悪な環境だったんだな」
「まあ、そうかもですね。あのまま育てば多分今頃は裏稼業の一員だったでしょうかね……」
(トパーズの記憶がなければ、裏社会にいたかもね)
アミィの言葉にオズワルドは眉を顰めた。身寄りもなく生きていく術のない少女の行き着く先など、彼にだって分かる。
アミィの古巣の孤児院では少女が十二、三歳くらいになれば、ボスが所持している娼館に引き渡される。容姿による娼館ランクがあり、自分は上客向けに行かされるだろうなと考えていた。結局は生まれた環境からは逃れられない。それなら前世と似たようなものだ。所属が傭兵ギルドか娼館かの違いである。
どのみちトパーズの記憶持ちのアミィは、孤児院を出される時に逃げただろう。飛ぶなら外国だ。内陸にあるかつての故郷グローバ王国には懐かしさもない。だから港に向かい海を渡り新天地を求めたと思う。小娘にそこまでの行動力があるとは考えないだろうから、追っ手を撒ける自信はあった。
しかしそんなアミィの思考なんか知らないオズワルドは「自由を得たという点では伯爵家に引き取られたのは正解だったのか」と独りごちた。
不干渉と嫌がらせ程度を虐待と思わないアミィにとっては、悠々自適な生活だったのだとオズワルドも今では理解している。
「王都の社会基盤は参考になりませんよ。王族や貴族や裕福層が密集しているんです。彼らの生活の快適さが優先されているだけで、都市全体の機能は発達しているとは言えません」
「そうか。結局俺も王都では貴族生活しか経験ないわけだ。平民の暮らしまでは詳しくないけど、そんなもんなんだな」
オズワルドの気持ちが若干上向いたのをアミィは感じ取る。いつだって彼は素直にアミィの声に耳を傾けてくれるのだ。
(オズ様は表情豊かで分かりやすいわ。中央貴族たちの前では侮られまいと、全方面を警戒する野生動物みたいな眼で警戒してるし)
気を取り直したオズワルドは、目を細めて眼前の川を眺める。
「あちこちの小川をこのインカ川に合流させたいんだ。本流とするには頼りなさすぎるだろ?」
「それと農地に不向きな粘土質なこの土壌改革ですよね。それで……あれは何でしょうか」
オズワルドはアミィの指差した方に視線を移すと「ああ、あれか」と頷き、「あれこそ開拓の秘密道具さ」と言い放つ。
先程からアミィの視界の端に映り込む奇妙なモノを、オズワルドはそう称した。
「農作の研究員を招いたって言っただろ? あれはその研究機関が開発した土を耕す機具だ。馬力が必要だから貧しいところでは実用が難しく、サイデルフィア領なら引退軍馬もいるし財力もあるってんで、売り込まれた」
「……売り込まれた……」
ぼそりとアミィが呟くと、その声音に不穏感があったからかオズワルトがムキになって説明を始める。
「騙されたわけじゃないぞ! 人の力だけでは大変な事を効率的にやるんだ! 理に適ってる!」
彼が言いながらそちらに足を運ぶので、アミィも続く。
鉄製の手引き荷車のように見えるが、鋭利な鋤や鍬のような物が並んでいて、土を耕す仕様になっている。
(成程。これを馬に引かせるのね)
確かにこの広い土壌を農地に変えるのは、人力では時間も費用もかかるなとアミィは思った。
サイデルフィアでは引退後の軍馬はのびのびと余生を過ごせる。過酷な戦を共に生き抜いた相棒を大事にするのだ。そんな彼らにもう一踏ん張りしてもらうというわけか。従順で体格のいい優秀な馬を掛け合わせて作られたサイデルフィアの頑丈な品種だから体力があり、酷使されるのではないし、打ってつけと言えよう。
「近くに研究員たちが泊まっているんだ。行こう」
アミィは農民たちの作業を見る視察だと思っていたが、どうやらそれ以前の段階のようだ。
オズワルトを追うために振り返ると、少し離れた場所に小さな集落がある。この一帯の農村だろう。意外だったのは王都やその近辺の農家より、家の作りがしっかりしている事と村を守る防壁だ。大抵の農村集落は村門があるくらいの区切りだし、囲むとしても木の柵が普通なのに石壁である。前世を含めても記憶にない。
「石壁とは珍しいですね」
さすが武のサイデルフィアの国境農村というところか。
「ん? ああ、これらの岩はな、ここいら一体を耕していたら出てきた邪魔物で、折角ならと防壁に活用したらしい。ほら、この隙間を埋めているのも農地に不要な粘土だ。今でこそ植林に力を入れて森を広げているけど、昔は木材は主に輸入品で貴重だったから木の柵より簡単だったんだよ」
結果、木柵より強固なものが出来上がった。先人の作業の賜物である。
昼間なので村の門はどこも開かれており、領主の馬車は先に村入りしていたようで、村の中央あたりの馬車置き場で馬が水を飲んで寛いでいた。
一際立派なのが村長の家だろう。馬車が先触れになったのか、年配の夫婦が家の前で頭を下げて迎えてくれた。
「領主様、奥方様。ようこそお越しくださいました」
「やあ村長、変わりはないかな」
オズワルドが威厳を持って接しているので、アミィもそれに倣う。
「初めまして。オズワルド様の妻となったアミリシアです」
「早速だが、研究員たちは宿にいるかな」
「いえ、領主様が来られるというので教会の会議場の方でお待ちです」
「そうか、ではまた後で」
少し偉そうな雰囲気のオズワルドの姿は五割増しで大人っぽい。教会に向かう彼が足を止め、アミィに笑顔で腕を差し出す。彼のエスコートに応えてアミィも上品な笑顔を心掛けた。
オズワルドがどっしり構えて見せるのも、領民の“辺境伯像”に応えるためなのだろう。ならば自分も余裕の笑みで貴婦人っぽく振る舞うのみだ。




