――――第9話――――
レイシアは寮の自室にて、従者からその報告を聞いていた。
「……そうですか」
静かに呟いて、茶杯を静かに受け皿に置く。
広い室内に、ことりという音が控えめに響いた。
「アガーディア領沖の海賊を殲滅するばかりか、根城まで壊滅させてしまったとは……ずいぶんな戦果を上げられたのですね、ゼノル様は」
その声音は平坦で、機嫌の悪さのようなものは感じられない。
しかし……報告を行った従者は、緊張とともに主の続く言葉を待っていた。
レイシアはアガーディア公爵家という、超上級貴族の令嬢だ。アガーディアは公爵家の中で最も格下ではあるものの、寮の中でも最上級の一室を使用できていることからもわかるとおり、その力は十分に強大だ。
だが、従者の緊張は……レイシアの背後にある家の力ではなく、レイシア本人に対する畏怖が理由だった。
レイシアは、他人に声を荒らげることは決してない。
従者に無理難題を言いつけて困らせたり、不当な罰を与えたりすることもない。
むしろ従者本人やその家族が病に倒れたりすれば、施しを与える慈悲深さがあった。身近な者には気さくな面もあるようで、身の回りの世話をするメイドなどからはとても評判がいい。
――――だが、それでも。
レイシアは微笑とともに言う。
「とてもいい兵をお持ちのようですわね。まさか、ここまでしてくるとは思いませんでした。さすがロドガルドと言ったところでしょうか……。うらやましい限りです。アガーディアは海戦が苦手ですから、お父さまもきっとびっくりしてしまったに違いありません」
この報告が、レイシアにとって不都合なものであることを、従者は理解していた。
ロドガルドが素直に屈し、婚約を呑んでくれるのが一番簡単だったのだ。このような、豪快ながらも適確極まる一手で状況を覆してくるとは、従者も予想していなかった。
ためらいがちに付け加える。
「その、加えて言えば……ロドガルド辺境伯への称賛の声とともに、海賊に対して行ったという残虐行為の風聞が急速に拡散しておりまして……お嬢さまの噂に対する人々の関心が、しだいに薄れてきているようです……」
「そうでしょうね」
レイシアは当然のように言う。
「これほどの快挙を成し遂げてしまったのですから、くだらない醜聞がかき消されてしまうことは予想していました。ただ、それでも……まさかこれに便乗し、軍船に同乗して海賊に残虐行為を行ったなどというありもしない醜聞を流してくるとは、思いませんでしたが」
従者は沈黙で答える。
これでレイシアの当初の目論見は、完全に挫かれてしまった形になった。
――――しかし。
「まあ、少々驚かされはしましたが、想定の範囲内です」
レイシアは平然とそう言って、茶杯を再び口に運ぶ。
「次の手はすでに打っています。問題ありません。ですから……そのような顔をする必要はありませんよ、エメッタ。こうなった時のために、あなたにも動いてもらったでしょう?」
「は、はい……」
従者は恐縮してうなずく。
自らの主に気遣わせてしまったこと以上に……この事態すら予期し、ロドガルドを追い込む手を打っていたレイシアの狡知が、彼女には恐ろしかった。
レイシアは茶杯を置いて言う。
「近いうちに、馬車の手配をお願いします」
「……はっ。しかし、どちらへ?」
「もちろん、ロドガルドですわ。ゼノル様と、またお話をしなければなりませんから」
それを聞いた従者は、顔が引きつった。
彼女がレイシアに抱く感情は畏怖だったが、ゼノルに対するそれはまさしく恐怖と言っていいものだ。
思わず、余計な疑問を口に出してしまう。
「あの……その、お嬢さまは」
「はい?」
「恐ろしく、ないのですか……? あの冷血卿が」
「……ええ」
レイシアは、にっこりと笑って答える。
「だって、いくらお顔が怖くても、それで殺されるわけではないでしょう?」
「……」
それとこれとは話が別だと、従者は思った。
たしかに、ゼノルは暴君ではない。顔は恐ろしげで、いろいろ暗い噂も流れてはいるものの……その内政や外交ぶりを冷静に評価すれば、むしろ稀代の賢君と言っていいほどだ。
だがそれでも、あの威圧感は人を恐れさせるに余りある。
あれに、敵として対面するばかりか――――自ら婚約を申し込もうなど、正気の沙汰ではない。
「お嬢さま……どうして、そこまで必死に……」
従者の口からこぼれた疑問に、レイシアは艶然とした笑みで答える。
「それがわたくしの使命で――――大切な約束ですから」




