――――第47話――――
大教会の建設予定地。
冬の気配も見え始めてきた空の下、かなり形になってきた聖堂の周りを、作業員たちは今日も慌ただしく動き回っている。
そんな様子を、ゼノルは眺めていた。
「ラニスの様子はどうだ」
工事の風景を見つめたまま、ゼノルは不意にそう言った。
傍らで答える声が上がる。
「よくがんばっていますよ、坊ちゃん」
共に大教会の工事を見守る、杖をついた教会長、ネルハだった。
「物覚えのいい子です。遠くないうちに、大教会の長も立派に務められるようになるでしょう」
「どのくらいだ?」
「まあ、十年もあれば」
「ではそれまで頼む」
「……まったく、こんな年寄りに今さら重責を負わせて。隠居した後はゆっくりすごそうと思っていたのですが」
言葉とは裏腹に、ネルハは愉快そうだった。
大教会の完成後はラニスがその長である管区長となる予定だが、まだ年若く教会長の経験すらない。そのため、独り立ちできるまではネルハがその補佐をすることになっていた。
「これで満足か、ババア」
ぽつりと言ったゼノルに、ネルハは目を閉じて答える。
「私は部外者ですから、満足も何もありません。ですが……よかったのではないでしょうか」
「ふん……」
「私の隠居は遠のいてしまいましたけれどね。でも」
そう言って、ネルハは横目でゼノルを見る。
「それも悪いことばかりではないでしょう。あきらめていたことではありましたが……これで神官として、坊ちゃんの結婚式に立ち会える見込みが出てきましたしね」
「ふっ」
ゼノルは鼻で笑って、踵を返した。
背中越しに答える。
「せいぜい期待しておくがいい。それまで死ぬなよ」
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それから、さらに四半月ほど経った頃。
「失礼しまーす……あ、誰もいない」
ノックの音とともに、執務室にどこかほっとしたような声が響く。
書類仕事と向き合っていたゼノルが顔を上げると、銀盆を手に乗せたユナが入室してきたところだった。
ゼノルはわずかに表情を緩めると、書類を脇にどけて言う。
「うむ。ご苦労」
ユナが茶の用意をする様子を、ゼノルはじっと眺める。
不意に口を開く。
「どうかしたか?」
「えっ!? なにが!?」
ポットを手にしたまま、あからさまにびっくりするユナ。思った以上の反応に、ゼノルはやや面食らいながらも言う。
「いや、口数が少ないように思えたのでな」
「そ、そう? わたしいっつもこんな感じじゃないかな~?」
明らかに動揺しているその様子に、ゼノルはわずかに眉をひそめる。
「何かあったのか? 面倒事ならオレが……」
「ないないない! ないから何も! ……もう、ほんと鋭いなぁ……」
「む?」
「なんでもない。そんなことより!」
ユナが誤魔化すように言う。
「結局、また婚約破棄しちゃったんだね、ゼノ君」
「ああ」
ゼノルが茶杯を傾けながら、当然のように答える。
「有言実行だ。大したものだろう」
「大したものって言うのかなぁ、それ……。もったいなかったんじゃない?」
「何を言う」
ゼノルが心外だとでも言いたげな顔をする。
「オレは初めから結婚などする気はなかったのだ。望み通りに事が進んだのだから、喜びこそすれ惜しむ理由などない」
「うーん……そう?」
「ああ。それに結局、あの女は領都に残ることになった。なかなか面白い人材が、結婚せずとも手元に転がり込んで来たのだ。オレは何も損していない」
「あ、それ聞いた聞いた。聖女さま、ここの大教会の管区長になるんだってね」
ユナが思い出したように言って、やや呆れたように笑う。
「ゼノ君、よくそんなことできたよね。自分で振った子を、そんな都合よく手元に……ねぇ? もうすごいよね、女たらしぶりが」
「大したものだろう?」
「うわぁ、もう否定もしなくなっちゃった」
ユナがけらけらと笑う。
「はぁ……でも、わたしもちょっとうれしいかな。聖女様のことはけっこう好きだったし。教会に通っていれば仲良くなれるかも」
「おまえがあの女にいい印象を抱いていたことは聞いていたからな。そのおかげで、オレも迷わず奴に管区長を任せる気になれた」
「……もしかして、だけど」
ユナがゼノルの顔を覗き込むようにして訊ねる。
「ゼノ君が聖女様を管区長にしようと思ったのって……そもそもわたしが話したことがきっかけだったりする?」
「……別に、そんなことはない」
ゼノルが目を閉じて答える。
「状況を鑑みて、それがもっとも望ましかったためそうしたまでだ。おまえの影響は……少ししかない」
「少し、かぁ」
ユナは思うところがあるかのように、ゼノルの言葉を繰り返した。
「たとえ少しでも、ゼノ君の考えることを変えちゃったのって……なんだか怖いね。なんと言ったってゼノ君はもう、ロドガルドの当主様なんだし」
「別に気にすることはない。最終的に決めたのはこのオレなのだから」
ゼノルが静かに言う。
「それにオレとて、すべてを自分一人で決定するのは怖く感じる。誰かと語らえなければ、自分の思考の輪郭を確認できず、新たな価値観も得られない。だから……これからも好きなように話すがいい」
「……ゼノ君の言うことって、なんだかいつも回りくどいね」
そう言って、ユナはどこか仕方なさそうに笑った。
それから、沈黙が流れる。茶杯を傾けるゼノルと、それを眺めるユナ。二人の間に言葉はなかったが、それは決して気まずい沈黙ではなかった。幼い頃から時折あった、穏やかな時間。
やがて……ゼノルが空になった茶杯を置く、小さな音が響いた。
「……さて、そろそろ仕事に戻るとするか。だいぶ溜めてしまっていたからな」
気持ちを切り替えるかのように言ったゼノル。
しかしユナは黙ったまま、茶杯を片付けるそぶりも見せなかった。ややいぶかしげに、ゼノルは顔を向ける。
「ユナ? どうしたのだ」
「そのう、ゼノ君……」
何やらもじもじしていたユナが、不意にメイド服のポケットに手を突っ込んだ。
取り出した物を、ゼノルに差し出す。
「……あげる。これ」
「これは……?」
ゼノルが受け取って、まじまじと見る。
それは、栞だった。
シルクのリボンに金糸で刺繍がなされ、上部には小さな飾り房が付いている。贅がこらされているわけではないものの、品のいい栞だった。
「ガラス鏡のお礼、みたいな」
静かに驚くゼノルに、ユナがもじもじと言う。
「高すぎる物もらっちゃったし、もらってばっかりもアレだから……。ゼノ君、今でも羊皮紙の切れ端みたいな栞使ってるでしょ? だから、っていうか」
「……」
「そんなに高い物じゃないんだけどね。シルクも金糸も市場で一番いいやつ買ったんだけど、栞だからちょっとでよかったし……あ、ていうか刺繍! 感覚思い出すのに苦労したよー、もう全然やってなかったんだもん。材料をそろえたのは夏の終わり頃だったんだけど、おかげで今までかかっちゃった」
「……」
「別に……使わなくてもいいけど。でもせっかく作ったし、もらうだけもらってよ」
「……この意匠は」
ゼノルが、栞の刺繍を指先で触れながら言う。
「クストハのものか」
ステッチで縁取られた栞の中心に描かれていたのは、金色の羊だった。
簡単な横顔に、巻角がついているだけの意匠。だいぶ簡略化されているが、それはクストハにおいて伝統的に用いられてきたモチーフだった。
「うん」
ユナが、やや気恥ずかしげにうなずく。
「なんの模様にするかは迷ったんだけど……よく考えたら、わたしが上手にできるのってこれくらいだなぁ、って思って。小さい頃、お母さんに教わった、向こうの意匠。今までずっと忘れてたんだけど、でも」
ユナは、穏やかに笑って言う。
「まだちゃんと覚えてたよ。向こうのこと」
「……そうか」
ゼノルは口元を微かに緩めると、栞の手触りを確かめるようにしながら言う。
「いい物だ。大事に使わせてもらおう」
「……うん。へへ」
ユナが照れたように笑う。
「なんか、ちょっと恥ずかしいね。よく考えたら、今までゼノ君からはいろいろもらってたけど……わたしからゼノ君に何かあげたのって、初めてかも」
「そんなことはない」
ゼノルは、目を伏せながら言った。
「すでに十分、もらっているとも」




