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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第47話――――

 大教会の建設予定地。

 冬の気配も見え始めてきた空の下、かなり形になってきた聖堂の周りを、作業員たちは今日も慌ただしく動き回っている。

 そんな様子を、ゼノルは眺めていた。


「ラニスの様子はどうだ」


 工事の風景を見つめたまま、ゼノルは不意にそう言った。

 傍らで答える声が上がる。


「よくがんばっていますよ、坊ちゃん」


 共に大教会の工事を見守る、杖をついた教会長、ネルハだった。


「物覚えのいい子です。遠くないうちに、大教会の長も立派に務められるようになるでしょう」

「どのくらいだ?」

「まあ、十年もあれば」

「ではそれまで頼む」

「……まったく、こんな年寄りに今さら重責を負わせて。隠居した後はゆっくりすごそうと思っていたのですが」


 言葉とは裏腹に、ネルハは愉快そうだった。

 大教会の完成後はラニスがその長である管区長となる予定だが、まだ年若く教会長の経験すらない。そのため、独り立ちできるまではネルハがその補佐をすることになっていた。


「これで満足か、ババア」


 ぽつりと言ったゼノルに、ネルハは目を閉じて答える。


「私は部外者ですから、満足も何もありません。ですが……よかったのではないでしょうか」

「ふん……」

「私の隠居は遠のいてしまいましたけれどね。でも」


 そう言って、ネルハは横目でゼノルを見る。


「それも悪いことばかりではないでしょう。あきらめていたことではありましたが……これで神官として、坊ちゃんの結婚式に立ち会える見込みが出てきましたしね」

「ふっ」


 ゼノルは鼻で笑って、踵を返した。

 背中越しに答える。


「せいぜい期待しておくがいい。それまで死ぬなよ」



**



 それから、さらに四半月ほど経った頃。


「失礼しまーす……あ、誰もいない」


 ノックの音とともに、執務室にどこかほっとしたような声が響く。

 書類仕事と向き合っていたゼノルが顔を上げると、銀盆を手に乗せたユナが入室してきたところだった。

 ゼノルはわずかに表情を緩めると、書類を脇にどけて言う。


「うむ。ご苦労」


 ユナが茶の用意をする様子を、ゼノルはじっと眺める。

 不意に口を開く。


「どうかしたか?」

「えっ!? なにが!?」


 ポットを手にしたまま、あからさまにびっくりするユナ。思った以上の反応に、ゼノルはやや面食らいながらも言う。


「いや、口数が少ないように思えたのでな」

「そ、そう? わたしいっつもこんな感じじゃないかな~?」


 明らかに動揺しているその様子に、ゼノルはわずかに眉をひそめる。


「何かあったのか? 面倒事ならオレが……」

「ないないない! ないから何も! ……もう、ほんと鋭いなぁ……」

「む?」

「なんでもない。そんなことより!」


 ユナが誤魔化すように言う。


「結局、また婚約破棄しちゃったんだね、ゼノ君」

「ああ」


 ゼノルが茶杯を傾けながら、当然のように答える。


「有言実行だ。大したものだろう」

「大したものって言うのかなぁ、それ……。もったいなかったんじゃない?」

「何を言う」


 ゼノルが心外だとでも言いたげな顔をする。


「オレは初めから結婚などする気はなかったのだ。望み通りに事が進んだのだから、喜びこそすれ惜しむ理由などない」

「うーん……そう?」

「ああ。それに結局、あの女は領都に残ることになった。なかなか面白い人材が、結婚せずとも手元に転がり込んで来たのだ。オレは何も損していない」

「あ、それ聞いた聞いた。聖女さま、ここの大教会の管区長になるんだってね」


 ユナが思い出したように言って、やや呆れたように笑う。


「ゼノ君、よくそんなことできたよね。自分で振った子を、そんな都合よく手元に……ねぇ? もうすごいよね、女たらしぶりが」

「大したものだろう?」

「うわぁ、もう否定もしなくなっちゃった」


 ユナがけらけらと笑う。


「はぁ……でも、わたしもちょっとうれしいかな。聖女様のことはけっこう好きだったし。教会に通っていれば仲良くなれるかも」

「おまえがあの女にいい印象を抱いていたことは聞いていたからな。そのおかげで、オレも迷わず奴に管区長を任せる気になれた」

「……もしかして、だけど」


 ユナがゼノルの顔を覗き込むようにして訊ねる。


「ゼノ君が聖女様を管区長にしようと思ったのって……そもそもわたしが話したことがきっかけだったりする?」

「……別に、そんなことはない」


 ゼノルが目を閉じて答える。


「状況を鑑みて、それがもっとも望ましかったためそうしたまでだ。おまえの影響は……少ししかない」

「少し、かぁ」


 ユナは思うところがあるかのように、ゼノルの言葉を繰り返した。


「たとえ少しでも、ゼノ君の考えることを変えちゃったのって……なんだか怖いね。なんと言ったってゼノ君はもう、ロドガルドの当主様なんだし」

「別に気にすることはない。最終的に決めたのはこのオレなのだから」


 ゼノルが静かに言う。


「それにオレとて、すべてを自分一人で決定するのは怖く感じる。誰かと語らえなければ、自分の思考の輪郭を確認できず、新たな価値観も得られない。だから……これからも好きなように話すがいい」

「……ゼノ君の言うことって、なんだかいつも回りくどいね」


 そう言って、ユナはどこか仕方なさそうに笑った。

 それから、沈黙が流れる。茶杯を傾けるゼノルと、それを眺めるユナ。二人の間に言葉はなかったが、それは決して気まずい沈黙ではなかった。幼い頃から時折あった、穏やかな時間。

 やがて……ゼノルが空になった茶杯を置く、小さな音が響いた。


「……さて、そろそろ仕事に戻るとするか。だいぶ溜めてしまっていたからな」


 気持ちを切り替えるかのように言ったゼノル。

 しかしユナは黙ったまま、茶杯を片付けるそぶりも見せなかった。ややいぶかしげに、ゼノルは顔を向ける。


「ユナ? どうしたのだ」

「そのう、ゼノ君……」


 何やらもじもじしていたユナが、不意にメイド服のポケットに手を突っ込んだ。

 取り出した物を、ゼノルに差し出す。


「……あげる。これ」

「これは……?」


 ゼノルが受け取って、まじまじと見る。

 それは、栞だった。

 シルクのリボンに金糸で刺繍がなされ、上部には小さな飾り房が付いている。贅がこらされているわけではないものの、品のいい栞だった。


「ガラス鏡のお礼、みたいな」


 静かに驚くゼノルに、ユナがもじもじと言う。


「高すぎる物もらっちゃったし、もらってばっかりもアレだから……。ゼノ君、今でも羊皮紙の切れ端みたいな栞使ってるでしょ? だから、っていうか」

「……」

「そんなに高い物じゃないんだけどね。シルクも金糸も市場で一番いいやつ買ったんだけど、栞だからちょっとでよかったし……あ、ていうか刺繍! 感覚思い出すのに苦労したよー、もう全然やってなかったんだもん。材料をそろえたのは夏の終わり頃だったんだけど、おかげで今までかかっちゃった」

「……」

「別に……使わなくてもいいけど。でもせっかく作ったし、もらうだけもらってよ」

「……この意匠は」


 ゼノルが、栞の刺繍を指先で触れながら言う。


「クストハのものか」


 ステッチで縁取られた栞の中心に描かれていたのは、金色の羊だった。

 簡単な横顔に、巻角がついているだけの意匠。だいぶ簡略化されているが、それはクストハにおいて伝統的に用いられてきたモチーフだった。


「うん」


 ユナが、やや気恥ずかしげにうなずく。


「なんの模様にするかは迷ったんだけど……よく考えたら、わたしが上手にできるのってこれくらいだなぁ、って思って。小さい頃、お母さんに教わった、向こうの意匠。今までずっと忘れてたんだけど、でも」


 ユナは、穏やかに笑って言う。


「まだちゃんと覚えてたよ。向こうのこと」

「……そうか」


 ゼノルは口元を微かに緩めると、栞の手触りを確かめるようにしながら言う。


「いい物だ。大事に使わせてもらおう」

「……うん。へへ」


 ユナが照れたように笑う。


「なんか、ちょっと恥ずかしいね。よく考えたら、今までゼノ君からはいろいろもらってたけど……わたしからゼノ君に何かあげたのって、初めてかも」

「そんなことはない」


 ゼノルは、目を伏せながら言った。


「すでに十分、もらっているとも」

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