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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第46話――――

 波乱の顕覧会から数日後。


「やっぱりここのお茶……なんかおいしいのだわ!」


 屋敷の応接室で、手にした茶杯に目を落としたラニスがそう言った。


「前飲んだときも思ったけど、教団本部のお茶の次くらいにおいしいかも! ダグライさんもそう思わない?」

「そうですね。たしかに比肩しうるものではあるかと」

「……なんなのだ貴様ら。それは褒めているのか」


 羊皮紙から顔を上げ、ゼノルは微妙な表情で言った。

 この日、屋敷にはラニスとダグライが訪れていた。

 用向きは、正式な婚約の解消だ。


 婚約の解消など本来は口頭で十分なものではあるが、ゼノルとラニスの場合は教団式の作法で婚約を交わしてしまっている。署名のなされた羊皮紙なども残っているため、あらためて教団式に解消することにしたのだ。


「……ほら、これでいいな」


 以前の署名に抹消線が引かれ、それに重なるようあらためて署名した羊皮紙を、ゼノルはダグライに差し出した。

 確認したダグライが、うなずいて言う。


「たしかに。ではこれをもって、婚約は正式に解消といたします」

「ふふ。よかったですわね、ゼノル様」

「まったく、ずいぶんと手間をかけさせおって……」


 嘆息とともにゼノルが言い、それから声の主を睨む。


「それで……貴様はなぜここにいるのだ、レイシア」

「まあ、いてはいけませんか?」

「いいとか悪いとかではなく、いる理由がないだろうが!」


 ゼノルの怒声にも、レイシア・リヴィ・アガーディア公爵令嬢は微笑むばかり。

 本来無関係なはずのレイシアがなぜこの場にいるのかと言えば……ラニスとダグライが屋敷にやってきた際、なぜか一緒にいたのだった。

 レイシアは微笑のまま言う。


「ふふ……実のところ、わたくしが今日訪れた理由はゼノル様にも察しがついているのではありませんか?」

「……やはり、貴様も一枚噛んでいたか」


 ゼノルは苦々しい顔になる。


「初めから、教団にしては噂の扱いが妙にうまいと思っていた。ずいぶんと腕のいい密偵どもを飼っているものだと感心していたが……考えてみれば、貴様はダグライの上役とは繋がっていたな」

「ええ。人は持ちつ持たれつ。ゴーマス大神官にぜひにと頼まれましたので、わたくしの密偵を貸して差し上げましたの。ゼノル様には申し訳ないことをしたと思っていますが……ふふ、おかげでまた貸しを作れましたわ」

「貴様はオレに害しかもたらさんのか……!?」


 青筋を立てながら言うゼノル。

 一方、ラニスはレイシアをまじまじと眺めて呟く。


「協力者がアガーディア公爵家のやり手お姫様だってことは聞いていたけれど……まさかこんなにきれいな子だったなんて思わなかったのだわ」

「ふふ、ありがとうございます」

「経営も政治も勉強もできて、家柄も良い美人なのに、それでもゼノルには振られちゃったのね」

「それだけ、ゼノル様は高嶺の花なのですよ」


 好き勝手言い合う二人とは裏腹に、ゼノルは顔を引きつらせる。


「貴様はなんだ? 真相を明かしてにやけ面を見せつけるために来たのか?」

「もちろん違いますわ。一応お詫びと、お願いをしに来ました」

「何……?」


 眉をひそめるゼノルに、レイシアは朗らかに言う。


「ゼノル様に反心を抱く者の集団があったと思います」

「なぜ知っている? たしかにあったが」

「顕覧会の当日、聖女派の工作員を捕まえるついでに彼らも捕縛しましたね?」

「だからなぜそこまで知っているのだ。たしかにそうだが」

「あれの頭目、わたくしの密偵なのです。返していただけませんか?」

「…………は!?」


 レイシアがにこにこしながら放った衝撃の発言に、ゼノルはあんぐりと口を開けた。


「待て待て貴様、どういうことだ!?」

「あれは昨年、わたくしが命じて作らせた集団だったのです。婚約のための仕込みの一つですね。反乱分子の存在を交渉材料にできれば、と」


 衝撃発言を続けるレイシア。


「ただ、思ったように大きくならなかったので放棄した仕込みでした。評判の割に、ゼノル様に不満を持つ民は驚くほど少なかったのです。結構な善政を敷かれているのですね」

「な、な……!」

「ですが、何かに使えないかと一応維持していたところ、今年あんなことになってしまいまして……。頭目役を任せた者にはずいぶんな苦労をかけてしまいました。報いてあげたいので、釈放してくださいませんか?」


 ゼノルは頭痛をこらえるような仕草で言う。


「それを聞いて、オレが素直に釈放するとでも思うのか? あれの監視のために昨年からずっと人員を割いていたのだぞ! もう一度訊くが貴様っ、オレに害しかもたらさんのか!?」

「いえ、それは誤解です」


 レイシアが小さく手を上げて言う。


「領都に不安が広がっていたとき、あの集団はその受け皿となっていました。そのうえで、反乱を起こさないよう統制をとっていたのです」

「あっ! そういえばワタシの騎士団員候補を奪ってる変な集団いたけど、あれあなたのだったの!?」

「ええ。だいぶ教団側に肩入れしてしまっていたので、バランスをとろうと思いまして。それと聖女派の工作が始まった後には、見回りなど自警団の真似事もしていました。あの集団は、決して害ばかりなどではありませんでしたよ」


 聞いたゼノルは、それでも渋い表情で言う。


「たしかにそのような行動が見られたとも聞いているが……恩着せがましすぎるぞ。なにやら無性に斬首したい気分になってきた」

「もちろん、タダでとは言いません」


 レイシアは微笑とともに告げる。


「ガラス鏡の一括買い取りでいかがです?」

「…………なんだと?」

「なにやら大量に余っていると聞きました。高価な品ですし、なかなかすぐに捌けるものではないでしょう。わたくしがすべて買い取って差し上げてもかまいませんよ?」

「……」

「ロドガルドは今、手持ちが少々心許ないのでは?」


 ゼノルは迷うように沈黙した。

 レイシアの言ったことは事実だった。徴税網買い取り、乳痢病対策でただでさえ財政が逼迫していた中で、ガラス鏡の大量製造だ。従来品より初期費用が格段に安く済んだとはいえ、決して軽い出費ではなかった。

 ゼノルは悩みに悩んだ末……苦々しげに口を開く。


「……いいだろう。それで手を打とう」

「ふふっ、ありがとうございます。では価格交渉については後日。あ、それと秘密の製造方法も……」

「誰が教えるかっ!!」


 ゼノルが怒り混じりに叫ぶ。

 その様子を、ラニスはどこか悔しそうな表情で眺めていた。


「……結局ワタシは、ゼノルにそんな顔させられなかったのだわ。惜しいところまでいったと思ってたけれど、全然だったのね」

「わかりませんよ? 誰にも見られていない時に、泡をふいてひっくり返っていたかもしれません」

「適当なことを言うな」


 ゼノルはいらだたしげに言うと、嘆息とともにラニスに目を向ける。


「結局のところ、貴様の手はすべて大衆頼みだった。大衆は動き出せば脅威だが、まとまるまでには時間がかかる。悠長だったと言わざるをえんな」

「顕覧会ではたまたま王子様が名乗り出てくれたけど、ああならなかったときのことも考えてたの?」

「……まあな」

「はあ、やっぱり神器を扱える人気者ってくらいじゃ、謀略で貴族には敵わないのだわ」


 ラニスは気落ちしたようにそう言うと、ダグライを振り仰いだ。


「じゃあ……用も済んだし、そろそろ帰りましょうかダグライさん。ワタシたちにはまだ、教団内の政争が残っているしね」

「待て」


 腰を上げたラニスを、ゼノルが呼び止める。


「まだこちらの用は済んでいない。貴様には訊いておきたいことがあった」

「訊いておきたいこと……?」


 ややいぶかしげに、ラニスが腰を戻した。

 ゼノルは問う。


「貴様は実際のところ……神を信じているのか?」


 無言を返すラニスに、ゼノルは続ける。


「オレは、貴様は神を信じていないものと思っていた。以前した神学論争の真似事で、貴様が神を、徹頭徹尾思想上の道具のように扱っていたことがそのきっかけだ。そこには一切の崇敬の念が感じられなかった。神の意志を軽々しく騙っていたのも、それゆえではないかと。貴様に神官らしさがないことは、他の者も感じていたことだ。故郷を失い、オリアンネの真実を知ったなら、信仰心が失われても無理はない。貴様の心がすべて透けたと思ったからこそ、オレは最後の策に確信を持てたのだ。だが」


 一拍置いて、ゼノルはさらに続ける。


「先日の顕覧会で……ヤマラとしていた最後のやり取りを見て、少しわからなくなった。本当のところはどうなのだ」


 仮にも神官に対してぶつける疑問ではなかったが、ゼノルは答えが返ってくると確信していた。


「……アハ」


 ラニスが、気の抜けたような笑声を上げる。


「そう思われてもおかしくなかったかもね。でも……ワタシは、神の存在を心から信じているのだわ」


 どこか仕方なさそうな顔で、ラニスは言う。


「だって、そうでもなければ……誰を恨んでいいかわからないじゃない?」


 わずかに眉をひそめたゼノルに、ラニスがぽつぽつと続ける。


「ワタシの村を焼いた盗賊団は、ワタシが目覚めた時にはもう、領主様の軍に捕らえられて縛り首になっていたらしいの。あとに残ったのは、大好きだった故郷の焼け跡と、左腕を失ったこの体だけ。恨む仇すら、もういなかった」

「……」

「こんな理不尽、ちょっとありえなくない? ワタシ、ちゃんとお祈りにも行ってたのよ? 同じ年頃の子の中では、たぶん一番信心深かった。それなのに、両親も、お姉ちゃんも、優しかった教会長も、友達もみんな亡くして、片腕まで奪われた。こんなの…………誰かの悪意がない限り、ありえない」


 まるで呪詛のような言葉とは裏腹に、艶然と微笑んで言う。


「だからワタシは、神を心から信じているの。盗賊団なんかじゃなく、きっとそいつこそが――――ワタシの仇なのだわ」


 背後に控えるダグライが、悲痛そうに目を伏せる。

 それは、あまりにも歪んだ信仰の形だった。


「聖女派から離れたかったのも、神の姿なんて死んでも見たくなかったから。知ってる? 神って本当は、ものすごく気味の悪い姿をしているんだって。性悪なだけあるのだわ」


 けらけらと笑うラニス。

 ゼノルは静かに問う。


「神の意志を騙っていたのも、それが理由か」

「ええ、ワタシなりの嫌がらせ。知りもしない人に勝手に代弁されるのって、鬱陶しいわよね。でも、勘違いしないでほしいのだけど……ワタシは、教団のことは別に恨んでいないのだわ」


 ラニスが片目を閉じて言う。


「それどころか感謝してる。逃げてきたワタシを助けてくれて、ずっと面倒見てくれたし。ヤマラも、昔はああじゃなかったのよ? おかしくなったのは、ワタシが『左腕』に選ばれて、聖女派なんてものができてからかしら。権力って怖いわね」


 どこか他人事のように言ったラニスだったが、すぐに自嘲するように笑う。


「もっとも、もう守ってもらえる立場でもなくなったから、ワタシも教団内で生き残るために必死にならなくちゃいけないけれどね。聖者認定も取り消されるだろうし、聖皇派もいつまで面倒見てくれるかわからないし。どこか田舎の教会長にでも押し込めてくれればいいけど、うまく立ち回らないと暗殺もありえるのだわ」

「……なんだ。ダグライ殿から聞いていなかったのか」


 その時、ゼノルがおもむろにそう言った。

 ぽかんとするラニスの背後で、ダグライが慇懃に告げる。


「今回は、言伝を預かったわけではございませんでしたので」

「融通の利かん男だ」


 ゼノルは小さく嘆息すると、目をしばたたかせるラニスに言う。


「この地に新たに立つ大教会。その管区長を、貴様に任せることにした」

「……えっ!?」


 目を見開くラニスに、ゼノルは淡々と続ける。


「すでに聖皇派とは話がついている。奴らも、貴様のことは教団の中枢から遠ざけたかったようだからな。こちらとしてもババア……今の教会長の後釜が決まっていなかったためちょうどいい。少なくともこれで、暗殺はなくなるだろう」

「……」

「もちろん、いきなり貴様一人に管区長を任せるつもりはない。しばらくはあのババアのもとで学べ。あれもけっこうな食わせ者だ、大教会もうまく回すだろう」


 しばらくの間呆気にとられていたラニスだったが、やがてぽつりと言う。


「いいの、ワタシなんかで? だって、ワタシ……」

「かまわん」


 ゼノルが即答する。


「人気者なのだろう? 資質などそれで十分だ。神をどう思っていようが、民に悟られなければそれでいい。それに、今後新たに神器が手に入った際、その権能を引き出せる者が領内にいればオレもおもしろいしな」

「……どうして」


 ラニスが、恐る恐るといった調子で訊ねる。


「どうして、そこまでしてくれるの? ワタシ、無理矢理婚約しようとしてたのに……」

「……夏の終わりに、雑用として雇ってくれと兵舎の門を叩いた子供がいた」


 気だるそうに、ゼノルは言う。


「ちょうど欠員が出ていたため、本人の熱意を見て雇ってやったそうだが……なんでも、結膜炎が悪化して失明していたところを、聖女に治してもらったのだそうだ。元々大きくなったら軍に志願するつもりだったが、自分も人の役に立ちたいと、すぐに行動を起こすことにしたらしい」


 ぽかんとするラニスに、ゼノルは仏頂面で告げる。


「オレの領民が世話になったな」

「…………アハ」


 ラニスが、気が抜けたように笑う。


「たとえ偽善でも、善いことはしておくものね。だって……」


 ラニスは目を閉じると、聖女らしさの欠片もない、まるで普通の村娘のような口調で言った。


「神さまでなくても、誰かは見ていてくれるのだから」

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