――――第43話――――
◇◇◇
大聖堂の屋根から逸れた剣や槍が、賓客たちの頭上に迫る。
そこかしこで悲鳴が上がった、その時――――降り注ぐ刃のすべてが、空中で静止した。
「っ!?」
目を見開くラニス。
ゼノルがいつの間にか、腰の剣を抜き放っていた。
細身の剣身が、薄青く輝く。
不意に、静止していた槍の一本が、高速で飛翔した。
それは竜からこぼれ落ち、会場に落ちようとしていた胴鎧の一つを刺し貫いて、空中に縫い止めていた。
ゼノルの手にする、青白く輝く剣を目にした賓客たちから、声が上がる。
「『聖剣』……?」「……『聖剣』だ」「あれが、ロドガルドの『聖剣』……」「代替わりした当主が選ばれたというのは、事実だったか……」
どよめきは、次第に大きくなっていく。
賓客たちの反応は当然のものだった。ロドガルドの『聖剣』は、王国建国時にまで遡るほど古い叙事詩めいた逸話を持つ。『箱』や『ナイフ』などと同様、伝説級と呼ぶにふさわしい神器である。
静止していた武器たちが、ゆっくりと地上に降りてくる。
ゼノルが『聖剣』を納めると、それらはまるで糸が切れたかのように地面に落ち、甲高い音を立てた。
「見たか! これこそ、貴様が偽の聖女だという証だ!」
突然、ゼノルが叫んだ。
何が何やらわからない聴衆とラニスに向かい、少年辺境伯は堂々と言う。
「武具を操るその『針』は、かつて異国の騎士ウェイザーが選ばれていたという伝説級の神器。彼の生み出した剣の怪鳥は、生涯にわたって彼を敵から守り続けたという!」
聞いたラニスは、思わずあんぐりと口を開けた。
ゼノルの言葉は、まったくのでたらめだったからだ。
『針』はほんの数十年前、無人島で難破したとおぼしき古びた船の残骸から発見されたものだ。
それまでの来歴どころか、船の詳細すらも不明。以降はずっと教団が保有していたため、そのような逸話などあるはずがない。
賓客たちも、「そうなのか?」などと言いながら顔を見合わせている。
しかしゼノルは周りに構わず、作り話であるなどとは微塵も感じさせない堂々とした身振りと声で続ける。
「翻って、このザマは何か! 貴様が真の聖女であり、あらゆる神器に必ず選ばれるというのならば、このようなことなど起こるはずがない! 『針』の権能は本来、使用者の死まで続く。そう、騎士ウェイザーの鳥が飛び続けたようにだ! だが貴様は、その権能を途切れさせた。それもあろうことか、栄えある顕覧会の最中、来賓たちの頭上で! まさかこれが、意図したものだったなどという言い訳はしまいな?」
ラニスは……会場の空気が変わり始めたのを、はっきりと感じた。
ゼノルの話を裏付けるものは、何もない。騎士ウェイザーの逸話を、知っている者などいるはずがないのだから。
だが理由は不明であるものの、『針』の権能が途切れ、ラニスが来賓たちを危険に晒してしまったことは事実である。
ゼノルの糾弾が、一部でも妥当なものであるならば……それ以外の部分も事実を言っているのではないか。そのような心理が、賓客たちの中に生まれ始めていた。
「貴様は『針』に選ばれていない。真に聖女だったならば、このようなことはありえない。つまり――――貴様は、聖女などではないのだ」
ゼノルのそれは、子供でも理解可能な、シンプルな論理による糾弾だった。
しかし、前提が間違っている。ラニスは『針』に選ばれているのだ。『左腕』の権能を引き出せるラニスに、選ばれない神器はない。
だが現実に、鋼の竜は墜ちてしまった。この事実を前に、本当は選ばれているなどという反論をどれだけ叫んだところで、聞き入れる者はいないだろう。
助けを求めるように、ラニスは聖皇派の神官たちを見た。
彼らは……誰も、何の行動も起こしてはいなかった。それどころか動揺の気配すら見せていない。ゼノルが突然始めた無作法とも言える糾弾劇を、誰一人止めることなく、ただ無言で事の成り行きを見守っている。
その様子を見て、ラニスは察した。
おそらくここまでは、ゼノルが聖皇派と事前に打ち合わせたとおりの展開をたどっている。そしてもう――――形勢は完全に逆転してしまったのだ、と。
ゼノルは、ラニスをまっすぐに見据えて言う。
「さあ――――すべてを認め、婚約破棄を受け入れるがいい」
その凍てつくような宣言に、会場が一瞬静まり返る。
ラニスは、一瞬目を閉じると――――、
◆◆◆
「ラニスは、実のところ聖女ではなかった。そのような体裁となれば、すべてが解決する」
眉をひそめるダグライに、ゼノルが説明する。
「オレはあの女が聖女であるという前提で婚約したのだ。この巨大な前提が崩れた以上、婚約破棄は誰から見ても妥当なものとなる。しかも端から見れば、王女との婚約を蹴った結果これだからな。オレはまんまと騙された哀れな被害者というわけだ。聖女派がオレに訴訟を起こすことも、ロドガルドに敵対的な貴族がオレを糾弾する材料に使うことも、まず無理筋となる」
やや納得した顔になるダグライに、ゼノルはさらに続ける。
「そしてラニスが偽聖女ということになれば、聖女派の目論見も瓦解する。一度まがい物の烙印を押されてなお手が届くほど、聖皇の椅子は低くあるまい? 『眼球』を埋め込んで神の声を語らせたところで、無駄な足掻きにしかならん。したがって、教団の秘密も、あの女の右目も守られるというわけだ」
黙って聞いていたダグライが、おもむろに訊ねる。
「『針』の権能で形作っていた竜が墜ちたのだから、実のところ選ばれていたわけではなかった。ゆえに聖女ではない……という論法ですか? これを顕覧会の当日に主張し、有力者たちに印象づけることで、ラニス様が聖女でないことを周知の事実としてしまう、と?」
「そのとおりだ。子供でも理解できる論理だろう?」
「そう……でしょうか?」
ダグライが渋い表情で言う。
「実のところ、『針』の連続使用には時間制限があります。寝ずに操り続けて、約二日。ラニス様は、日が完全に沈んでから竜を下ろし、武具を厳重に警備させつつ睡眠をとられることで、連続使用を止めていらっしゃいました」
「まあそうだろうとは思っていた。さすがに不眠不休で飛ばし続けられるわけもない」
「この時間制限については公になっていませんが、来賓たちも神器の権能が永遠に続くものとは思わないでしょう。竜が墜ちたことがすなわち、神器に選ばれていないのだということに結びつけられるかどうか……ましてや『針』は、目立った逸話のない無名の神器でありますし……」
「なに、だからいいのではないか」
ゼノルが堂々と言う。
「無名であるからこそ、いくらでも逸話をでっち上げられる。来賓どもの心理を操るくらいわけもない。オレの話術に期待しておけ」
「……ならば、招待客を選ばれますか?」
ダグライが目を鋭くして言う。
「現状、顕覧会にはロドガルドに近しい有力者を避けて招待するよう手配しています。万一に備えてのことでしたが、聖皇派と協調するならば招待客はいかようにも操作できます。ゼノル卿に同調しそうな有力者を招き、逆に敵対者を排することで、策を磐石なものにされますか?」
「いらん」
ゼノルはひらひらと手を振って一蹴する。
「そのような小細工など必要ない。むしろ、オレに近しい関係にある者が下手な演技をすれば、かえってうさんくさくなる。ロドガルドを嫌う者ばかりなくらいでちょうどいい」
「しかし……」
「なにより招待客がそのように入れ変われば、聖女派の連中にオレと聖皇派との協調を疑われかねん。鏡の持ち込みなど、今回の策には妨害されたくない箇所が多いからな」
「……本当に、大丈夫なのですか?」
「案ずるな。オレの話術を信じるがいい」
にやりと笑って言ったゼノルが、そこで付け加える。
「とはいえ、だ。どうせならば完璧を目指したい。協力を求めたい人間がいる」
「それは……どなたでしょうか?」
ゼノルは、不敵な笑みとともに告げた。
「ラニス自身だ」




