――――第42話――――
◇◇◇
「聖女ラニス。今この時をもって、貴様との婚約を破棄させてもらう」
突然の宣言に、会場がざわついた。
何事かという賓客たちの視線が、ゼノルとラニスに集まる。
ヤマラをはじめ、一部の神官たちも呆気にとられた様子だ。ただ多くは、無言のまま二人の様子を見つめている。
ゼノルの暴挙に、ラニスは一瞬動揺を顔に出したが……すぐに口を笑みの形にして言う。
「アハ……どうしたのー、ゼノル。今さらそんなこと言い出しちゃって」
まるで迎え撃たんとするかのように、ラニスは不敵に告げる。
「今日のお客さんたちはみんな、ワタシたちのために集まってくれたのよ? せっかく来てくれたみんなを困らせるようなこと、言わないでほしいのだわ」
上空で、鋼の竜がギギギと翼を軋ませる。
ラニスはさらに視線を鋭くして言う。
「そもそもゼノルは、教団の神官立ち会いのもとで正式に婚約を結んだワタシに対して、いったいどんな理由で婚約破棄を突きつけるのかしら?」
通常、一度結んだ婚約を一方的に破棄するには、相応の理由が必要になる。それが妥当なものではない場合、裁判に発展することすらあるほどだ。
今回の場合であれば、それすら生ぬるい。この期におよんで、聖女であるラニスとの結婚を拒否すれば、今後は教団そのものと敵対することになる。
というラニスの言外の脅しは……実のところ、そんなことなどわかりきっているゼノルにではなく、賓客たちに向けられていた。
ロドガルドにつけば、教団と対立する。そういうメッセージだ。
元より来賓たちの中に、ロドガルドと親密な関係にある貴族はいない。
ラニスとゼノルが対立すれば、この場の者たちは皆ラニスに味方する。会場の者たちがラニスに味方したならば、貴族社会の空気もおのずとロドガルドを非難するようなものになるだろう。
ゼノルは完全に孤立した状態だった。
――――しかし。
「ふっ、理由か。理由はほかでもない――――」
ゼノルは、酷薄にも映る笑みとともに答える。
この状況にあっても、冷血卿は不遜な態度を崩さない。
「――――貴様が、偽りの聖女であるからだ」
「え……?」
それは予想外の言葉だったのだろう。ラニスは初めてはっきりと笑みを消し、困惑の表情を見せた。
会場のざわめきが大きくなる中、ゼノルはまるで舞台役者のように堂々と続ける。
「今、それを証明して見せようではないか」
ゼノルはそう言うと、何やら大仰な身振りで二歩、三歩と下がった。
その不自然な仕草に、ラニスは周囲の配下に何か合図を送ったのだと察する。だが、その意図まではわからない。
「貴様も見るがいい」
ゼノルは見上げていた。
大聖堂の上空に浮遊する、聖女の生み出した鋼の竜を。
少年辺境伯の口元には、勝利を確信する笑みが浮かんでいる。
「悪竜が討たれる様をな」
次の瞬間、鋼の竜が強く輝いた。
突然の事態に、賓客たちは竜を指さし、声を上げている。ラニスも動揺していた。いったい何が起こっているのか。
その時、不意に――――輝く竜の翼から、剣が落ちた。
足先から手斧が、尾から槍が、腹から鎧が。竜を構成する武具の数々が、次々にこぼれ落ち始める。
「なんでっ!?」
目を見開いたラニスが、『針』を抱きしめるように強く握った。
だが、竜の崩壊は止まらない。『針』の権能は発揮され続けているはずなのに、まるで磁力が効かなくなってしまったかのごとく、竜の体からはぼろぼろと武具がこぼれていく。
大聖堂の屋根に剣が突き刺さり、胴鎧が跳ねた。
その数が増えるにつれ、いくつかが会場の近くにも落下し始める。
「だ、だめっ!」
ラニスの叫びも虚しく――――鋼の竜の、輪郭が崩れた。
竜を形作っていた武具が、一気に降り注ぐ。
大聖堂の屋根から逸れた剣や槍が、賓客たちの頭上に迫る――――。
◆◆◆
トレヴァーが、テーブルに置かれた機械を調整している。
それは、横倒しにした小さな車輪のような形の、単純な機械だった。
車輪の周りには、針金がいくつも放射状に飛び出している。その針金を炙るような位置にろうそくが一つ置かれ、そのそばには磁石が設置されていた。
ゼノルとダグライは席を立ち、その様子を眺めている。
「ラニスは、例の竜を顕覧会に連れていくつもりだろう」
ゼノルがおもむろに言う。
「あの竜の生命線は、体を構成している数多の武具だ。もし領都に置いていけば、オレが軍を使って強制的に接収するという手が取れてしまう。それを避けると同時に、婚約発表の演出にでも使うつもりなのではないか?」
「……おっしゃるとおりです。ただ、それはそれとして……目の前のこれはいったい?」
「クックック……準備ができましたよォーッ、ゼノル様!!」
トレヴァーが突然、大きな声で言った。
ゼノルはうなずいて言う。
「よし。やれ」
トレヴァーが、燭台の炎をろうそくに移す。
点った小さな火が、飛び出した針金の一本を炙る。
ほどなくすると……車輪が、ゆっくりと回転し始めた。
不規則で断続的な回転ではあるが、何もせずとも車輪はひとりでに回っている。
その様子を、ダグライはなんとも言えない目で見つめている。
「あの……これは?」
「これはキュリエの車輪という、熱を回転運動に変換する装置です」
得意げに答えたのはトレヴァーだった。
「助手のキュリエが原型を作成したため、アタクシがそう名付けました。この放射状に飛び出した針金は鉄であり、磁石に引き寄せられます。しかし最も磁石に接近した一本は、火で熱されるために磁性が消失します。よって、今度はその隣の針金が磁石に引き寄せられます。この繰り返しで、車輪は回転するのですよォ」
「はあ……」
説明を聞いても、ダグライの反応は鈍かった。
その様子を見て、ゼノルも微妙な顔をする。
「あまり驚かんな。この装置を応用すれば、川のないところにも水車を設置できるようになる。書物に通じている神官がどういう反応を示すか興味があったのだが」
「……熱から回転運動を生み出す装置ならば、古代において蒸気車輪が考案されています。いずれにせよ、川もなしに水車を回せるほど燃料が潤沢に手に入るのならば、冬に凍える民などいなくなっているでしょう。それより……この機械が、今回の件にどう関係するのですか?」
「面白い発明だと思ったのだがな」
若干がっかりした様子で、ゼノルが言う。
「車輪部分は忘れていい。重要なのはここだ」
と、ろうそくと磁石の部分を指さす。
「鉄は熱されると、磁石に引き寄せられる性質を失う。『針』は磁力を操る神器なのだろう? ならば、竜を構成する武具を熱することができれば、『針』の権能がおよばなくなり崩壊するはずだ」
当然の論理的帰結だと言わんばかりのゼノルだったが、聞いたダグライは微妙な顔になる。
「理屈の上ではそうでしょうが……ゼノル卿は、空の竜をろうそくで炙るつもりなのですか?」
「もちろんそこは考えてある。トレヴァー」
「クックック、かしこまりました」
トレヴァーは、応接室の片隅に立てかけてあった物体を持ち上げる。
一抱えほどもあるそれは、深皿状に凹んだ鏡だった。
それを見たダグライは、今度は感心したように言う。
「ガラスの凹面鏡、ですか……ずいぶん高価な品のようですが」
トレヴァーは凹面鏡を窓に向けて床に置くと、火鋏で掴んだ黒く塗られた紙を、その前方にかざす。
しばらくすると、紙から煙が上がり始め……やがて火が点いた。
「凹面鏡は、反射した光をある特定の一点に集中させます」
トレヴァーが言う。
「ガラス鏡ほど反射率の高い鏡を用いれば、この程度の陽光でも火を点けることができるわけですねェ」
「と、いうことだ。加熱は陽光を利用して行う」
ゼノルが説明の続きを話し始める。
「凹面鏡は焦点距離が固定であるため、当日は平面鏡を使うがな。百人規模の人員を動員し、大聖堂の周囲に配置。それぞれ一抱えほどのガラス鏡を用いて、空に浮かぶ竜に陽光を集める。金属は熱しやすい。すぐに触れないほどの高温になるだろう」
「……なるほど」
ダグライはしばし考え込むような仕草をした後、おもむろに言う。
「顕覧会当日、ゼノル卿の想定するような状況は、おそらく整うことでしょう。ラニス様は王都まで竜を連れて行き、来賓たちにその力を示すはずです。ほかでもない、聖女とロドガルド辺境伯との婚姻であることを印象づけるために。ですが……いくつか、質問をしても?」
「ああ」
「ゼノル卿の策は、当日晴天であることが大前提となっているかと存じます。もしも悪天候であった場合、どうされるおつもりですか?」
「その心配はない」
ゼノルは想定済みとばかりに答える。
「そもそも秋の顕覧会の実施日は、例年快晴となっている。というよりむしろ、経験則でまず晴れるであろう日を顕覧会の実施日としたのだろう。それに庭園を会場とする以上、雨天となれば中止だ。低確率の悪天の中でも、曇天を引かない限り問題はない」
「もし、引いた場合は?」
「その場合は、少々強引な手を使うことになる。その際には貴様らに協力を仰ぐことはないため、気にする必要はない」
「……まあ、いいでしょう。よほど神に見放されていない限り、晴れることにはなるでしょうから。ですが……肝心の鏡はどうされるおつもりですか?」
ダグライが質問を続ける。
「ガラス鏡は高価で貴重な品です。一抱えほどもあるガラス鏡を百人分ともなれば、ロドガルド辺境伯といえどそろえることは容易ではないはず。費用面はもちろんですが、それ以上に入手性も。仮に今から集める場合、到底間に合わないのではございませんか?」
「無論、それも問題はない」
ゼノルは不敵に笑い、トレヴァーを視線で示して言う。
「この男が、ガラス鏡の画期的な製造方法を発見したからな」
「ええ。きっかけは、乾酒精の性質について調べていたときのことでした。灰性の銀溶液に乾酒精を加えると、純粋な銀を析出させることがわかったのです」
トレヴァーは、まるで悪巧みをしているかのような笑みで言う。
「析出した銀は、容器の内側などに付着します。この性質を利用すれば、従来の方法よりも簡単に、ガラスに金属鍍金を施すことができるのです! アタクシはこれを銀鏡反応と名付け、実用のための試薬と手順を洗練させました。その結果、硝石精銀水溶液に火炉の霜を加え、それを加工蜂蜜で還元させることで、安定したガラス鏡の製造が可能となったのです! これは材料の入手も難しくなく、何より早い! 本来完成までに半月から一月かかるところ、たった一日でできてしまいます! 熟練した職人も要りません! 初期費用も従来の水銀合金法と比べて大幅に安く済むため、ゼノル様にも大変ご満足いただけましたァ!」
「今聞いた製造法は忘れろ。ロドガルドは最低十年、これで儲けるつもりだからな」
ゼノルがわずかに苦々しげな顔になって言う。
「だが、そういうことだ。鏡は自前で用意する。その凹面鏡も、この男が助手に作らせたものだ。すでに材料も手配済みであるため、問題なく間に合うだろう」
「それは……本当であればたしかに、市場が激変するほどの発明ではありますが……」
磁気車輪には微妙な顔をしていたダグライも、ガラス鏡の価値はよく理解しているためか、素直に驚いている様子だった。
だがすぐに、表情を引き締めて言う。
「しかし、まだ問題は残っています。百枚の鏡で、果たして本当に竜を墜とせるのでしょうか。卿のおっしゃったことは、今のところ机上の理論にすぎません。どの程度まで熱すれば磁性が失われるのか、陽光の反射でそこまで熱することができるのか、実験で確かめたわけではありますまい。現時点では、あまりに予断に頼った策のように感じられます」
「いえいえ、クック……これはアタクシの勘ですが、うまくいくと思いますよォ?」
口を挟んだのは、またしてもトレヴァーだった。
「鉄の磁性は、一定温度に達していきなり消失するわけではありません。熱が加わるごとに徐々に減少していきます。つまり仮に、『針』の権能が鋼の竜をギリギリ持ち上げられる程度なのであれば……ろうそくで炙ったほどでもないほんのわずかな加熱であっても、竜は墜ちてしまうはずなのです」
「そしてあの竜は、実際『針』によって浮遊させられる限界の重量なのだろう?」
ゼノルの問いに、ダグライはわずかに目を見開いた。
少年辺境伯を見つめ、問い返す。
「……ええ。ですが、なぜそれを?」
ゼノルは答えず、スウェルスを見た。
促されたことを察したスウェルスが、ややためらいがちに口を開く。
「剣が、足りませんでしたので」
「……!」
はっとした様子のダグライを前に、スウェルスは説明を続ける。
「市場で流通する武具の中で、圧倒的に多いのが剣や槍です。防具の類、特に全身鎧などは、武器に比べれば格段に少ない。ですが……私もあの日広場にいましたが、竜の体には目で見てわかるほどに鎧が使われていました。市場で高騰するほど買い集めていたのであれば、流通量を考えると、竜はもっと剣や槍ばかりの刺々しい姿になっていなければおかしいはずです。買い集めてなお使わなかった理由があるとすれば……『針』の権能では、集めた武具のすべてを持ち上げられなかった。そう考えるのが自然です。剣よりもかさばる全身鎧を優先的に使ったのは、少しでも体を大きく見せようとする工夫だったのでしょう」
「……」
「と、いうことだ。間違っている箇所があるならば言ってくれ、ダグライ殿」
ダグライはおもむろにスウェルスを見、トレヴァーを見、そしてゼノルに視線を戻した。
「……なるほど」
瞑目とともに言う。
「近年のロドガルドの興隆は、ゼノル卿の賢知によってもたらされたものと思っておりましたが……それだけではなかったようです。優れた人材を揃えてこその賢君、ということですか……」
ダグライの呟きに、ゼノルは口の端を吊り上げて言う。
「ふっ、そうだ。オレの臣下は大したものだろう? どうやら、今回の策について納得を得られたようだな。聖皇派として、協力を約束してくれるな?」
「……たしかに、ゼノル卿の策が実現可能であることは理解しました。ですがまだ、肝心なことをうかがえていません」
ダグライが、ゼノルをまっすぐに見据えて問う。
「竜を墜とし……そこからどうされるおつもりなのですか?」
「ふむ……」
「ゼノル卿の目的は婚約破棄。これまでのお話からは、そこに繋がる道筋が見えてきません。とはいえ、卿には考えがあるのでしょう。それをうかがいたく存じます」
「たしかに、それをまだ話していなかったな。なに、オレのやりたいことは非常に単純だ」
ゼノルがどこか得意げに言う。
「竜を墜とし、ラニスを来賓たちの面前で糾弾する――――偽の聖女だとな」




