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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第41話――――

◇◇◇



 大聖堂の荘厳な扉が開かれ、神官を伴った美しい少女が姿を現す。

 ラニスは華やかながらも神聖な意匠のドレスに身を包み、穏やかに微笑んでいた。

 普段の奇矯さも、民に向ける明るさも今はない。高貴な者たちに支持される振る舞いを、ラニスは心得ていた。


 長手袋をした左手には――――『針』が握られている。

 主役の登場に、周囲から好意的なざわめきが起こる中、鋼の竜がゆっくりと上空を旋回し、大聖堂の直上で静止した。

 金属同士が擦れ合う咆哮とともに、竜が剣の翼を大きく広げる。

 それはまるで、聖女を祝福しているかのようだった。


 一種の神々しさすら感じるその光景に、賓客たちから歓声が上がる。

 そんな中――――ゼノルは、ラニスを見据える。

 視線に気づいたラニスは、挑発的な眼差しを返してきた。

 ゼノルは、一瞬竜の方に目を向け、


「さて……勝負所だな」


 小さく呟いた。

 ヤマラに背を向けると、一歩踏み出す。


 会場の庭園を聖女に向かって歩き始めたゼノルに、賓客たちが何かを察したように道を空ける。いよいよ婚約発表が始まるとでも思っているのだろう。

 まさかいきなり来るとは予想していなかったのか、ラニスがわずかに同様の表情を浮かべる。


 ゼノルは、ラニスの正面で立ち止まった。

 一瞬の間。視線が交錯し、そして――――、


「聖女ラニス。今この時をもって、貴様との婚約を破棄させてもらう」



◆◆◆



「どういう……ことですか?」


 スウェルスが困惑したように言う。


「真の聖女? それに、不可避の死とは……?」

「それを説明するにはまず、教団の内部事情から整理する必要がある」


 ゼノルはダグライの方を見ながら言う。


「教団内部にも貴族社会と同じように、複数の派閥が存在する。その中の筆頭派閥が、いわゆる聖皇派だ。聖皇の意向に積極的に従い、その利益に預かろうという派閥だな。次期聖皇も、順当に行けばこの中から選ばれることになる」

「そのあたりは、私もうっすらと聞いたことがありましたが……」


 スウェルスが控えめに言う。


「では今回ゼノル様と聖女様との婚約を推し進めていたのも、この聖皇派だったということでしょうか? 最終的に聖女様に爵位を授与させるとなると、さすがに聖皇猊下が動かなければならないでしょうし」

「そのとおり……と、オレは認識しているが、訂正はあるか? ダグライ殿」

「いえ、おっしゃるとおりです」


 ダグライに話を向けると、上級神官は静かに答える。


「今回中心となって差配していた、私の上役であるゴーマス大神官もまた、聖皇派の一人に違いありません」

「うむ。一方でだ。筆頭派閥があれば傍流派閥もある。筆頭派閥に所属したところでうまい汁を吸えない者、権力志向の強い者などは、傍流派閥で一発逆転を狙うことが多い」

「まあ、ありがちですね……」

「そんな傍流派閥の一つが――――聖女派だ。そうだな? ダグライ殿」


 再び話を向けられたダグライは、一瞬の間の後、ゆっくりとうなずいた。


「ええ」

「……どういうことでしょう?」


 スウェルスが疑問を口にする。


「聖女様は、名目上は大神官という高い位階にあるものの、役職は当てられていません。体裁のために高位となっているだけで、権力とは無縁のはず。派閥ができる理由がわからないのですが……。それに自分の派閥を持っているのであれば、なぜ聖皇派の助けを借りて縁談など……?」

「まず初めにだが、聖女とは本来、権力と無縁ではない存在だ。意味はわかるな?」


 ゼノルに言われたスウェルスが、眉をひそめる。


「初代聖女オリアンネ様のことをおっしゃっているのですか? たしかに、オリアンネ様は教団内でも権力を持っていたでしょうが……八百年前の話です。現在の教団とは組織の規模も、成熟度合いも違いますし」

「それらも関係はあるが、本質ではない。思い出してみろ、スウェルス。初代聖女オリアンネが成した、教団にとって最大の功績はなんだ?」

「それは……」


 スウェルスは、わずかに悩んで答える。


「やはり、原始的な教義の制定でしょうか」

「そうだ」


 ゼノルがうなずく。


「聖女オリアンネは、まだまだ未熟だった当時の教団において、その教義の基礎を作り上げた。だが、いつの時代にも政治や利権はついて回る。ただの一聖者の言葉が、当時の教団にも素直に受け入れられたとは考えにくい。普通ならばな」

「は、はあ……」

「話を聞き入れてもらえる特別な立場だったからこそ、権力を得て、教義も制定できたのだ。では……いったい何が、彼女をそのような立場たらしめたか」

「それはやはり……神の姿を見て、神の声を聴いていたからでは?」


 スウェルスが当たり前のように言う。


「実際のところはわかりませんが、教義の内容も神から示されたという伝承ですし。当時の神官たちはそれを信じたということでしょう」

「そのとおり」


 ゼノルはうなずいて言う。


「神の存在を知覚できていたからこそ、オリアンネの話は聞き入れられた。結果として権力も得ることができたのだ。だが……妙に思わないか?」

「妙、ですか?」


 スウェルスが首をかしげる。

 一方、そばで話を聞くダグライは、渋い表情で沈黙したままだった。

 ゼノルは続ける。


「オリアンネ以前に、神を見た者などいなかった。少なくともそのような話は伝わっていない。それにもかかわらず、なぜ当時の神官どもはオリアンネの証言を素直に受け入れたのだ? 普通ならば、イカレ女とみなして終わりのはずだろうに」

「さすがにイカレ女は言い過ぎでしょうが……言われてみればたしかに、そうですね」

「無論、それには理由があった。神官どもには、オリアンネの証言を信じる余地があったのだ」


 ますます眉をひそめるスウェルスに、ゼノルはさらに続ける。


「ありとあらゆる神器に選ばれる、聖女の特性。それは『左腕』の権能がもたらしたものだった。人智を超える現象であっても、神器ならば実現可能だ。たとえそれが……神を知覚するという、常軌を逸した現象でもな」

「っ!? いや、まさか……!」

「聖女オリアンネは左腕のみならず、右目も欠損していたという。だが、そのことを明確に伝える伝承はない。おそらくは義眼を嵌めていたのだろう。そうだな? ダグライ殿」


 ずっと沈黙を守っていたダグライに、ゼノルが問う。


「教団は、義眼の神器を保有しているのではないか? ――――選ばれた者は神を知覚できるようになる、『眼球』なる神器を」


 ダグライはわずかに目を見開くも、沈黙したままだった。

 ゼノルはなおも続ける。


「ラニスは『左腕』を教団最秘などと言ったが、まんまと騙されてしまったな。『眼球』に比べれば、『左腕』など秘するほどのものではない」

「……そこまでご存じだったとは……。しかし、いったいなぜそのことを」


 おもむろに口を開いたダグライが、疑問を投げかける。


「推論だけではたどり着けぬはずです。少なくとも、私にそのように問えるほどの確信を得られるはずがない」

「ここに、すべてが記されていた」


 そう言って、ゼノルは一冊の本をテーブルに置いた。

 表紙には表題もない、古びた装丁の本だった。

 ダグライはそれを丁寧に手に取り、ページをめくる。


「……八百年前の神官の手記、ですか。このようなものが、まだ市井に残っていたとは……。これはロドガルドの蔵書でしたか?」

「いや、ここの教会が保管していたものだ」

「なるほど……歴史ある教会ですからね」


 ダグライはそう言うと、本をゆっくりとテーブルに戻した。

 ゼノルが問う。


「事実と捉えていいな」

「ええ。このようなものが残っているのなら、誤魔化しも無意味でしょう。事実と認識したうえで、内密にしていただきたく存じます」

「よかろう」


 瞑目するダグライに、ゼノルは鷹揚にうなずいた。


「教団と敵対する気はない。この話の真偽を問うたのも、続く話に必要だったからにすぎん。公にはしないと誓おう」

「……感謝いたします」

「もっとも、オレが何もせずとも事の成り行きしだいでは公になってしまう展開もあるだろうがな」


 ダグライは沈黙で答えただけだった。

 上級神官と自らの主を交互に見て、スウェルスが混乱したように言う。


「あの、お待ちください。ではつまり……初代聖女のオリアンネは、『眼球』なる神器を右目として埋め込み、その権能によって神を知覚していた……ということなのですか?」

「ああ」

「では教義の内容も、神器によってもたらされたものだったと? そんなことが……」

「残念ながら、驚くのはまだ早い。話を戻すぞ」


 衝撃の冷めやらぬスウェルスにかまわず、ゼノルは続ける。


「ひとまず、オリアンネの求心力の正体はこれでわかったな? しかし先ほどオレは、聖女は本来権力と無縁ではないと言ったが、少なくともラニスは今、そこまでの権力は手にしていない。聖女派の者たちも、別にあの女の権力に縋って派閥を結成したわけではない」

「では……なぜ?」

「教団で最大の権力を有しているのは聖皇だ。聖皇派も、次期聖皇候補の筆頭を自派閥内で抱えているからこそ、最大派閥でいられる。このあたりは王族と似ているな」

「ええ……ん? ということは……」

「理解したようだな。そう、第二王子派や第三王子派がそうであるように、聖女派とはつまり――――聖女ラニスを、次期聖皇に据えようと目論む派閥なのだ」


 スウェルスが唖然として言う。


「そ、それは……さすがに無茶なのでは?」

「ああ、普通であればな。聖者が聖皇になったことはあるが、四百年も昔に一例だけだ。教団内の政治力こそが重要となる聖皇位争いで、聖女であるというだけの小娘が、政治闘争を勝ち抜けるはずがない」

「です、よね……」

「だが――――もしもそこに、神が助力したならば?」


 聞いたスウェルスが、目を見開いた。


「まさか……っ」

「ラニスが神を知覚し、自らの聖皇即位が神の意志だと言い出したら、どうだ? 神官どもは、それを無視することができるだろうか。教団内部のみに話がとどまるのなら可能だろう。だが俗世も巻き込めば? いくら教団といえど、俗世の有力者を完全に無視して成り立つことはできない。ラニスはこれまで、各地で神器を用いた慈善活動を行ってきた。当然、力のある貴族などにも面通しをしていることだろう。それらすべてが、聖女派によるラニス擁立の下準備だったのだ」


 聖女の存在を喧伝する一方で、大貴族に輿入れさせようとするという教団の矛盾した行動。

 それは、派閥争いのために起こっていたことだった。


「教団の教義は、神の声を聞いたオリアンネによってもたらされたもの。ラニスが話す神の意志を無視し、別の者を聖皇に就けるということは、教団の根幹を否定することにも繋がりかねん。俗世の有力者に便宜を約束し、あらかじめ支持も取りつけていれば、ラニスの聖皇即位も十分にあり得る」

「……」

「あの女は聖女、つまり『左腕』に選ばれた聖者だ。その権能をもって当然、『眼球』にも選ばれる。聖女派の目論見は、あながち無謀ではないということだ」

「……いえ、ですが……」


 スウェルスは呆然としながらも言う。


「聖女様は、右目は失っていないはずです。さすがに、義眼の神器は扱えないのでは……?」

「あの女自身が言っていたことを忘れたか? かつて神官の中には――――『左腕』を試すため、自ら腕を切り落とした者もいたと」

「なっ……!」

「無論、あの女自身は『眼球』の権能も聖皇の地位も望んではいないだろうが……いずれは聖女派の求めによって、否応なくその右目を抉ることになるだろう」

「いや、そんな……」


 スウェルスが愕然と言う。


「いくらなんでも、そのようなことが許されるはずが……」

「大神官である聖女を傀儡にして擁立しようというのだ。おそらく聖女派の筆頭は統括神官クラス。その権力をもってすれば、強引に事を進める程度わけもない。そもそもあの女は、破門をちらつかせられるだけで困ったことになる立場だ。故郷を失い、以後はずっと教団で暮らしていたために、帰る場所などないのだから」


 ゼノルは言う。


「『左腕』と『眼球』を共に備えた、オリアンネ以来の真の聖女。そのような存在に、ラニスはいずれなるはずだったということだ」

「……では、ひょっとして……」


 スウェルスが気づいたように言う。


「聖女様が執拗に輿入れを望んでいたのは……聖女派の手中から逃れるためだった、ということですか? 貴族の妻になってしまえば、さすがに聖女派も手出しできません。だから敵対派閥である聖皇派に協力を仰ぎ、ロドガルドとの縁談を求めたと……」

「おおむねそのとおりだが、おそらく貴様の認識は少々軽い。奴は、右目程度のために今回の騒動を起こしたわけではない。確実に訪れるであろう、悲惨な死を避けるためだ」

「え……?」


 戸惑うスウェルスに、ゼノルは卓上の本を目で示す。


「栞のページを開いてみろ。そこに、オリアンネが死ぬまでに見たという神の姿が年ごとに記されている」


 スウェルスが本に目を落とす。

 そこにはたしかに、古びた羊皮紙の栞が一枚挟まれていた。

 主に言われるがままに手に取り、本を開く。

 内容を目で追っていく。その表情が、しだいに険しくなる。


「神官服姿の老人……翼の生えた、頭部に光輪を持つ女性……顔のない子供……純白の狼……? なんですか、これは。神の姿が一定ではないのですが……。しかも狼って、神は人と同じ姿のはずでは……?」

「その程度は序の口だ。最後など特に秀逸だぞ」


 ゼノルの言葉に、スウェルスはページをめくり、さらに読み進める。


「片目を共有する双子の豚……臓物の生る大樹……水銀の蜘蛛……三十六の目と六十四の口を持った、無限の奥行きのある月、って……」


 スウェルスが顔をしかめ、小さく首を振る。


「とても……まともとは思えません。これが本当に、神の姿だと……?」

「最後の神については、神託の内容をオリアンネも理解できなかったそうだ」


 ゼノルが嘆息とともに言う。


「いわく、喃語(なんご)の混じった山羊の鳴き声が聞こえるばかりだった、とのことだからな」


 絶句するスウェルスに、ゼノルは言う。


「最後の神を見た半年後に、オリアンネは死んだ。まだ中年ほどの歳だったという。死に際はうわごとばかりだったそうだが、『眼球』を嵌めて一年ほど経った頃からすでに、様子がおかしくなり始めていたらしい」

「……」

「オリアンネの晩年についてはほとんど伝わっていないが、その理由がこれだ。教団は決して、公にするわけにはいかなかったのだ。聖女が狂死していたことなど、決してな」

「……初代聖女が見ていたのは……神などではなかった、ということですか……?」


 スウェルスが愕然と言う。


「このような幻覚が、神の正体だったと……? 『眼球』は、神を知覚できるようになる神器ではなく……ただ異形の化け物を見せるだけの神器だったということですか」

「詳しくはわからん。なにせ、これまで『眼球』に選ばれたのはオリアンネ一人だ。権能の実態を測るには、あまりにも情報が足らなすぎる。だが……少なくともろくなものではないだろうな。『眼球』がその権能で神を見せるなどという妄言は、オリアンネの初期の証言を聞いた神官たちの早合点にすぎなかったのだろう。聖女の逸話として、世間にはすっかり喧伝されてしまったが」


 ゼノルはわずかに表情を険しくし、続ける。


「『眼球』に選ばれ、真の聖女となってしまえば、ラニスもきっと同じ末路をたどる。おそらくこれこそが、あの女がなんとしてでも縁談を成立させ、聖女派から離れたかった理由なのだ。大貴族の妻となることは、身寄りのないあの女にとってほとんど唯一の活路だったに違いない」


 ゼノルはそこでダグライをちらと見ながら、さらに続ける。


「ただし、それは同様に教団にとっての活路でもあった。なぜならラニスが真の聖女となることは、教団にとっても巨大なリスクを孕むものだったからだ」

「ど、どういうことです?」

「ラニスに神を知覚させることは、『眼球』の存在やその権能が公になる危険を生じさせる。それはつまり……教義の由来が、異形の化け物を見続けた聖女のうわごとにすぎなかったことが明るみに出てしまいかねないということだ」

「っ……!」

「これは教義の正当性を揺らがしうる重大なリスクだ。下手をすれば、教団そのものが崩壊しかねん」


 スウェルスが呆気にとられながらも言う。


「さ、さすがに……そのようなことになる前に、聖皇猊下が止めるのでは? 『眼球』の使用を禁止するなどして……」

「わからんぞ。ラニスを真の聖女としない限り、聖女派の勝ち目はないと言っていい。ならば、そこまではなんとしても実現させようとするだろう。先にも言ったとおり、聖女派の筆頭は統括神官だ。聖皇とて容易に抑えきれる立場ではない」


 そこでゼノルは、ダグライに視線を向ける。


「と……オレはこのように予想していたが、何か訂正はあるか?」

「……いえ。すべて卿のおっしゃるとおりです。まさかそこまで見通されていたとは……我々はどうやら、大変な相手に挑んでいたようです」


 ダグライは悄然と言い、ぽつぽつと続ける。


「聖女派の目論見については、私の上役であるゴーマス大神官も、聖皇派筆頭であるゲリル統括神官も懸念していたところでした。聖女派筆頭のハービン統括神官は強引なやり口を好むため、ラニス様の名が知れ渡った今、いつ行動を起こしてくるかわからなかったからです。そんな中、ラニス様がある日一人で聖皇派のもとを訪れ、自らがロドガルドに輿入れする策を提案してきました。聖皇派にとってはまさしく渡りに船、しかもこの上ない内容とタイミングでした。常ならばラニス様の輿入れなどハービン統括神官に妨害されていたでしょうが、ゼノル卿とシルラナ王女殿下との縁談の噂が立っていたために、教団の権威を守る手立てが必要という大義名分があったのです。聖皇派以外の派閥も一致団結し、聖女派をここで失墜させるべく動きました。そのうえ主導していたのがラニス様自身ともなれば、さすがのハービン統括神官も抗えなかったようです」

「……あの女は、おそらく活路が開くタイミングをずっと以前から見計らっていたのだろうな。そして、過たず好機を掴んで見せたというわけか」


 ゼノルが呟く。その声音には、敵の力量を見定めるような響きが混じっていた。

 ダグライがさらに続ける。


「ただ問題は、本当に縁談が成立するかというところでした。なにせ競合相手は王女殿下。しかもゼノル卿がそれまでに数多くの縁談を断っていたことは有名でしたから。だからこそ、聖女派も妨害できるとすればそこだと考えたのでしょう。ヤマラ上級神官のような尖兵を送り、工作を図っていたようです」

「ふん」


 ゼノルが鼻を鳴らす。


「結局のところ、連中はここに至って暴動工作を企むまで、大したことはしてこなかった。オレに婚約の意思がないことを早期に察していたのもあるだろうが……オレとラニスとの攻防に割り込めるほどの知略を、連中は備えていなかったのだ。それだけ、聖女の知謀が予想外だったのだろう」

「ええ……。私も、ラニス様自身が策を講じてゼノル卿と渡り合い、あまつさえ追い詰めてしまうとは思いませんでした。まさかこれほどにしたたかな方だったとは……」

「だが、最後にはオレが上回る」


 ゼノルは鷹揚に告げる。


「ダグライ殿、交渉といこうではないか。まず、オレは酔狂姫とは婚約などしない。したがって教団の権威が踏みにじられることもない。それと、ここで話した教団の秘密も公にしないと約束しよう。いいな? スウェルス」

「え、ええ……というか話せるわけないですけどねこんなの」

「加えて、聖女派の目論見についてもオレが挫いてやろう。どうだ?」

「ゼノル卿が、聖女派の目論見を……? そのようなことが、可能だと?」


 いぶかしげなダグライに、ゼノルは堂々とうなずく。


「ああ、約束しよう。オレには造作もない」

「もし本当に可能ならば、願ってもないことですが…………卿の要求は?」

「なに、簡単なことだ」


 ゼノルは身を乗り出す。


「聖女との婚約を破棄する。聖皇派はオレに協力するがいい。どうだ、何も難しいことではないだろう?」

「……」


 わずかに沈黙したダグライが、おもむろに口を開く。


「たしかに……難しいことではありません。その条件ならば、聖皇派は喜んで受け入れるでしょう。なにより今回の件では、ロドガルドと対立してしまうことを案ずる者も多かった。ここであらためてゼノル卿と手を結べるのであれば、拒む理由などありません……ただ」


 ダグライがためらいがちに問う。


「婚約破棄がなされたあかつきには……ラニス様はどうなるのでしょうか」

「……」

「聖女派の目論見を挫く策として、ラニス様の暗殺は聖皇派内でも唱える者がいました。これまでに、実行されてはきませんでしたが……もし、ゼノル卿の考える策がその類のものならば……」

「ふん……なんだ、ダグライ殿。情でも移ったか」


 ゼノルは皮肉げに言う。


「聖皇派にとって、あの女の末路などどうでもいいだろう。貴様が案ずるべき事柄ではないはずだ。聖皇派の中でも有力者である、ゴーマス大神官の懐刀としては、いささからしくない振る舞いに見えるな」

「それは……いえ、ですが……」

「ふっ。なに、別に責めているわけではないとも」


 ゼノルはあっさりと言葉を翻す。


「聖皇派の手先である以前に人間ならば、そういうこともあろう。貴様から見て、あの女はどういう人間だ?」

「……正直、未だに図りかねる部分はあります。しかしながら」


 ダグライはぽつりと言う。


「その根底にある行動原理は……年相応の娘らしい、素直な感情なのではないかと感じていました。好ましいものを好み、好ましくないものは嫌う、というような」

「ふむ、オレの印象と近いな」


 ゼノルはにやりと笑って言う。


「案ずるな、ダグライ殿。オレの策で、あの女を聖女なる邪悪な役割から解き放ってやろうではないか。身の安全は保証すると約束しよう」


 ダグライは、わずかに安堵するような表情を浮かべた。

 だが、すぐに真剣な色を差して問う。


「して、その策とは?」


 聞いたゼノルは、口の端だけで笑うと、


「トレヴァー!」


 と大声で言った。

 立ったまま寝ていたトレヴァーが、ハッと目を開ける。


「んあァ……小難しい政治の話は終わりましたかァ? ゼノル様」

「ああ。貴様の出番だ」


 ダグライは薄汚い白衣姿のトレヴァーを、うさんくさそうな目で見つめる。


「ゼノル卿。ずっと気になってはいたのですが……こちらの方は?」

「オレの食客だ。策の実行に必要な男であるため、呼んでいた」

「……いったい、何をされるつもりなのです?」


 ゼノルは不敵に告げる。


「鋼の竜を墜とす」

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