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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第40話――――

◇◇◇



 大聖堂の上空に、鋼の竜が飛んでいる。

 そんな状況でも、会場に集まる者たちがパニックを起こすことはない。一部の者たちが竜を指さし、感心したように話し合っているだけだ。

 それもそのはず。来賓客には、事前に説明がなされていたからだ。あれが神器の権能によって形作られた、聖女の奇跡の竜であると。


 そう――――この場にいる者たちには、顕覧会の主役が聖女であることが明かされていた。

 すでに貴族社会には、聖女婚約の噂が流れている。耳が早く、察しのいい者であれば、この会がその正式な発表の場になることは容易に想像できただろう。

 無論、その相手は……当主の座に就きながら未だに独身を守っていた、若きロドガルド辺境伯、ゼノル・グレン・ロドガルドだ。

 ゼノルは――――この状況下で、ラニスに婚約破棄を突きつけるつもりでいる。


 と、その時。


「久しぶりだね、ゼノル」


 ゼノルの背に、気品に満ちた声がかかった。

 周囲がわずかにざわめく中、ゼノルは振り返る。

 そこにいたのは――――高貴な装いに身を包んだ、長身の美男子だった。


「顔を見られてうれしいよ。どうやら元気そうだね」


 そう言って微笑を浮かべる。

 輝くような金髪に、深い湖底のような藍色の瞳。年の頃はゼノルとほど近かったが、身に纏う高貴さは別格だった。その顔立ちも、美姫もかくやというほどに整っている。

 ゼノルは声をかけてきた少年をじっと見つめると……目を伏せて貴族の礼をとった。


「これはアルシオ殿下……ご無沙汰しておりました。オレなどを気に掛けていただき光栄に存じます。殿下もお変わりないご様子で」


 ゼノルには珍しい慇懃な言葉を、高貴な少年は微笑のまま聞く。

 アルシオ・レオガ・ザルクト。

 殿下の敬称のとおり――――少年は、ライデニア王国における王族、それも第一王子だった。


 大物の登場に、気づいた来賓客たちがざわめく。秋の顕覧会に訪れる王族としては、いささか大人物すぎるとも言えた。

 周囲の様子を気にも留めず、アルシオ王子は大げさに溜息をついて言う。


「なんだい、寂しいな。僕と君の仲じゃないか。学園にいた頃のように、もっと気安く話してくれよ」

「どうかご容赦を。もはや立場が違いますので」

「それが寂しいと言うんだ。まったく、この地位がもどかしいよ……君もそう思わないかい? シルラナ」


 アルシオが、そう言って背後に目を向ける。

 長身の少年の背から、小柄な少女が顔を覗かせた。


「くふふふ……いいや、お兄様。ボクは十分、王女の立場でいい思いをしているからね」


 短く切り揃えられた白金色の髪に、澄んだ空のような水色の瞳。かわいらしい顔立ちではあるものの、よからぬことを企んでいそうな含み笑いを常に浮かべている。

 少女の顔を見たゼノルは、ほんのわずかに眉をひそめた。


「おや……シルラナ殿下までいらしていたとは」


 シルラナ・プトレラ・ザルクト。

 少女はライデニア王国第二王女であり――――外見は似ていないものの、アルシオの双子の妹でもあった。

 シルラナ王女はにやにやとした笑みを浮かべながら、ゼノルに顔を向けて言う。


「くふふ、なに? ゼノルはボクが来ちゃ嫌だった?」


 無言で顔をしかめるゼノルに、シルラナは続けて言う。


「そりゃあ気まずいよねぇ。ボクとの縁談を蹴ってあの聖女と婚約しちゃったんだから。振られた分際でこんなところに顔を出すなんて、むしろなんのつもりでって感じ?」

「……お戯れを。あれはただの風聞だったではございませんか」


 春先に流れていた、ロドガルド辺境伯が王族と縁談を進めているという噂。

 その相手である酔狂姫こそが、まさしくこのシルラナ王女だった。


「ボクは全然、事実にしちゃってもよかったけどね? ゼノルも全然否定しないし、その気があったなら陛下も説得したのにぃ」


 愉快そうに言うシルラナ。

 ゼノルは嘆息とともに話題を逸らす。


「シルラナ殿下はなぜこのような場に? 神など信じておられなかったように記憶しておりますが」

「おもしろいものが見られそうだったから」


 シルラナはゼノルに顔を寄せ、囁くように言う。


「それだけだよ」

「……」


 ゼノルが無言のまま一歩引いた、その時。


「これはこれは! アルシオ王子殿下にシルラナ王女殿下ではございませぬか!」


 胴間声に顔を向けると、恰幅のいい髭面の男が、酒杯を片手に歩み寄ってきていた。

 男は一瞬ゼノルに視線をやるも、すぐに二人の王族に笑顔を向けて言う。


「先月以来でしたな。まさか両殿下がいらしていたとは」


 ゼノルはわずかに目を眇める。

 グレイヴィオ公爵家当主、グラーモ・セス・グレイヴィオだった。

 グレイヴィオ公爵家は、公爵家の中では二番目の序列に位置する。その当主ともなれば、この中では王族二人に次ぐ大人物だろう。

 熱心なアルシオ派で、裏工作を弄するよりは表立って動く方を好む。


 この場に呼ばれているだけあり、ゼノルとは特に友好的な間柄ではない。敵対したこともなかったが、友好関係にない貴族同士は、基本的に敵同士と言ってもよかった。

 顕覧会にはしばしば参加しているという噂だったため、ゼノルも来訪は予想していたが……、


「両殿下は、なにゆえ秋の顕覧会などにご参加を?」


 ゼノルには目も向けず、グレイヴィオ公爵が王族二人に問う。

 秋の顕覧会は、年三回ある顕覧会の中でもっとも格が低い。本来ならば、第一王子が顔を出すものではないはずだった。

 アルシオは微笑を浮かべながら曖昧に答える。


「ああ、少しね」

「このような(すみ)ではなく、どうぞこちらへ。皆も両殿下にご挨拶申し上げたいことでしょう」

「では、そうさせてもらおうか」


 自派閥の貴族たちを面通しさせたいのか、グレイヴィオ公爵がそう促すと、アルシオは、快く了承した。

 三人がパーティー会場の中心に歩いて行こうとしたとき、ふとアルシオがゼノルを振り返って言う。


「今日は、なにやら大事な告知があると噂で耳にしたよ。楽しみにしているね」


 去って行くアルシオ……ではなくグレイヴィオ公爵の背を見つめ、ゼノルが呟く。


「……ふむ。運が向いてきたかもしれん」


 と、その時。


「ゼノル卿」


 傍らから、抑えた声がかかる。

 ゼノルが視線を向けると、そこには上級神官ヤマラの姿があった。

 まるで予定調和と言った風に、ゼノルは言う。


「やはり貴様も来ていたか。ヤマラ殿」

「我らの目的を、まさか忘れたとはおっしゃいませんね」


 挨拶もなく、ヤマラが険しい表情で言う。


「婚約を結ばれたばかりか、ついに顕覧会当日に至るまで卿が行動を起こされることはありませんでしたが……本当に、この縁談を撥ねのけるつもりはあるのですか?」

「何を言う。あるに決まっているだろう」

「……もしもこのまま聖女様と結婚されるのであれば、我々にも考えがあります。そのことはお忘れなきよう」

「ふん……このような冷血漢に向かい、滅多なことを言うものだ。まあ案ずるな」


 ゼノルは口の端を吊り上げて言う。


「婚約は破棄するとも。今日この場で、確実にな」


 その時だった。

 会場がにわかにざわめく。大聖堂の荘厳な扉が開かれていた。

 その奥から、神官を伴った美しい少女が姿を現す――――。



◆◆◆



「始まりは、春先に流れた噂だった。そうだな?」


 応接室で、ゼノルが言った。

 ダグライが無言のままなので、一拍置いてスウェルスが遠慮がちに訊ねる。


「その、噂とおっしゃいますと、あの……」

「そうだ。オレが酔狂姫と縁談を進めているという、根も葉もない噂のことだ」

「……やはり、事実無根だったのでございますか」


 ダグライが、静かに肩を落として言う。


「教団もその可能性については考えていましたが……ゼノル卿が一向に否定なさらないので、あながちただの風聞ではないものと見なしていました。もっと早くにわかっていれば、別の対応もありえたのですが……」

「……どういうことでしょう?」


 スウェルスが困惑したように言う。


「なぜあの噂が、今関係してくるのですか?」

「教団としては、ロドガルドに酔狂姫が嫁いでくる事態は避けたかったということだ」


 ゼノルが説明する。


「酔狂姫シルラナは、その呼び名のとおり奇体な女だ。博物学や天文学、さらには医術や錬金術にまで傾倒し、その自室は怪しい書物や謎の鉱物や動物の剥製であふれかえっている。時折有用な品を発明しては、王族の伝手を存分に利用し大儲けしているために個人資産まで無駄にある。これだけでも十分関わり合いになりたくないが……教団としては、さらに厄介な面がある」


 ダグライが無言であるため、またしてもスウェルスが訊ねる。


「と、おっしゃいますと……?」

「奴は無神論者なのだ」


 ゼノルが続ける。


「シルラナはこの世のすべてが、無機質な物理法則で説明可能だと信じている。無論、神器もだ。奴の世界観に神が介在する余地はなく、したがって信じる理由がない。以前、神の不在を証明したなどと豪語して教団の反感を買ったこともあったな。なまじ権力を持っていることもあり、教団にとってはこの上なく疎ましい人物だろう」


 ゼノルがさらに続ける。


「ロドガルド領都には、再来年には大教会が建つ。辺境にもある普通の教会とは違い、大教会は教団の権威の象徴だ。巡礼者も多く訪れる。そんな地に、無神論者の王女が嫁いできたらどうなるか」

「そ、それは……」

「せっかくできた王族との繋がりを保つため、ロドガルド辺境伯は妻の意向を尊重するだろう。となると、必然的に教団は蔑ろにされる。大教会のある都市であるにもかかわらず、宗教的な行事は一切禁止。そんな施策もありうる。そうなることはすなわち、教団の権威が踏みにじられるということだ」


 そう言って、ゼノルは長椅子の背もたれに身を預ける。


「教団としてはどうにか防ぐ必要がある。とはいえ、まだ強硬な手は使えない。あくまで噂なのだ。正式な抗議や、大教会認定の拒否をちらつかせられる段階ではない。下手にオレの不興を買えば、かえって悪いことにもなりかねんからな。しかし、手をこまねいていてはすべてが遅きに失する可能性もある。そこで思いついた手が……」

「ゼノル様に、王女殿下よりも先に……聖女様と婚約を結ばせてしまおう、ということですか……」


 たとえ第二王女が相手でも、聖女ならば結婚相手として十分に対抗できる。

 教団という大組織との強固な繋がりは、王家との姻戚関係と天秤に掛けられるほどのものだ。

 ダグライが嘆息とともに言う。


「すべて、卿のおっしゃるとおりです。やはりこの程度の思惑は看破されていましたか……。一つ、お聞かせください。卿はなぜ、噂を否定されなかったのですか? 単なる風聞ならばもちろん捨て置く選択肢もあるでしょうが……王女殿下が相手ならばと、本来ゼノル卿にとって望ましい縁談すら持ちかけられなくなっていたと存じますが」

「いや、最初からまさしくそれが目的だったのだ。縁談が次々に舞い込んできて鬱陶しかったのでな」

「……は? 最初から……とおっしゃいますと?」


 ぽかんとするダグライに、ゼノルは告げる。


「あの噂は、元々オレが流したものだ」

「なっ……!」


 ダグライが、目を丸くして絶句した。

 ゼノルがややばつの悪そうな顔で続ける。


「いらん縁談を遠ざけるためだったが、まさかあれほど広がるとは思わなかった。目論見どおり縁談は来なくなり、うまくいったと喜んでいたのだが……巡り巡ってこんな面倒なことになるとは」

「だから申し上げたではございませんかゼノル様。貴族社会の噂など、どのように転がるかわかったものではないと」

「やかましい。だったらもっと強く止めていればよかっただろうが」


 補佐官と醜く言い合うゼノルに、呆気にとられた様子のダグライが言う。


「では……我々はゼノル卿の工作に、まったく意図せぬ形で踊らされていただけだったということですか……」

「……まあ、そうなるな。だが仮に噂がなかったとしても、貴様らが聖女を遠ざけたかったのは事実だろう? どこぞの貴族に嫁がせてしまうという手が策として有効である以上、結局似たような展開になっていてもおかしくなかった。つまり、オレだけの責任ではないということだ」

「……。卿はいったい、どこまでご存じなのですか」

「それはオレの話が進めば自ずと明らかになることだ。もっとも、推測も多い。貴様を呼んだのは答え合わせも兼ねている。間違っていることがあれば遠慮なく指摘するがいい」

「……そのご様子ですと、本当に真相までたどり着いていそうですね。さすがはロドガルドの神童、と申し上げておくべきでしょうか」


 ダグライが重々しい息を吐いて言う。


「一つお伝えしますと、ロドガルド家への輿入れという案は、ラニス様が自ら提案してきたものでした。我々がそれに乗った形になります」

「ほう……やはりあの女、なかなかにしたたかで知恵が回るな。どうやら貴様らを踊らせていたのはオレの工作などではなく、あの女だったようだ」

「……あのう、ゼノル様」


 スウェルスが遠慮がちに言う。


「話が見えないのですが……先ほどおっしゃった内容が、今回の一件のすべてではないのですか?」

「ああ。あんなものは裏で渦巻いていた思惑の半分にも届かん。なにより、あの女の真意について何も説明できていないではないか」


 聞いたスウェルスが、戸惑ったように言う。


「言われてみればそうですが……では、肝心の聖女様の事情というのは?」

「奴は聖女という役割から降りたかったのだ。真の聖女となることを、回避するためにな」


 ゼノルは断言する。


「真の聖女となることはすなわち――――奴の、不可避の死を意味するのだから」

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