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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
一章 公爵令嬢編

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――――第8話――――

 それから数日。

 ロドガルド領都は、お祭り騒ぎの様相を呈していた。


『領主様が、海賊を全滅させた』

『ロドガルドの神童がまたやってくれた』

『海賊の宝まで持ち帰ってきた』

『王国始まって以来の快挙らしい』


 街はそのような話題で持ちきりだ。

 普段話題に飢えた領民たちは、ゼノルの偉業をここぞとばかりに祝い、それを口実に騒いでいた。


「ふはは、久しぶりに気分がいい」


 例によって、屋敷の執務室。

 まだ日の高い時間帯であるにもかかわらず、ゼノルもまた、葡萄酒ぶどうしゅで祝杯をあげていた。


「ここまで事がうまく運ぶとは思わなかったな。さすがオレ。やはりあの男を見出したこの目に間違いはなかった。ふははは」


 上機嫌に葡萄酒を(あお)るゼノル。

 その様子を眺めながら、スウェルスは言う。


「商会からは早くも祝いの品が届いております。それと都市参事会から、今回の功績を称える石碑の建立について打診が」

「ふははは、よいよい。好きにさせるがいい」


 浮かれ気味のゼノルに、それでもスウェルスは感心したように言う。


「……私は思いつきもしませんでした。まさか……このような方法で、アガーディア公爵の動きを抑えてしまうとは」

「ふっ。この程度、オレには造作もないことだ」


 ゼノルは不敵に笑って言う。


「もう公爵は動けまい。たとえレイシアに何を言われようとも……自領の近海でこれほどの大戦果を見せつけられ、あまつさえオレに借りまで作ってしまった、今となってはな」


 レイシアのたくらみをくじくため、ゼノルが打ち出した策。それが、アガーディア領近海における海賊の討伐だった。


 当初、海賊討伐はロドガルド領近海のみを予定していた。

 同じ海に面した西側にあるアガーディアの近海にも海賊は出没し、ロドガルド行きの商船がそちらで襲われることもあったのだが、わざわざ兵を消耗して隣の領地の世話まで焼いてやる義理はないと、見送っていたのだ。

 だが、レイシアの策謀により事情が変わった。

 アガーディアに貸しを作り、同時に武力を誇示する理由ができたのだ。


 スウェルスが言う。


「アガーディアは元々、海戦を不得手としていましたからね。海賊にも手を焼いていたようですので、ロドガルドには完全に恩を売られた形でしょう。同時に……脅された形にも、なったのでしょうが」


 それらがまさに、ロドガルドに楯突けなくなった理由だった。

 貴族社会では、体面や建前、口実といった概念がとにかく重要となる。

 恩義のある相手に剣を向けたとなれば、非難は必至。他家からは白い目を向けられ、王が仲裁に入った際にも、ロドガルド側に有利な裁定が下る可能性が高くなってしまう。

 アガーディアは、報復のためといえど安易に手が出せない状況となったのだ。


 さらに、それだけではない。

 ゼノルが酒杯を揺らしながらしみじみ言う。


「それにしても、まさか海賊を根城ごと壊滅させてしまうとはな……ふっ。この状況でロドガルドとるなどと言われれば、アガーディアの兵はさぞ震え上がってしまうことだろう」


 ゼノルの言葉のとおり、アガーディア側には戦意の低下という問題ものしかかってくる。

 元より、異民族から王国を守ってきたロドガルドは、精強な兵を有する辺境伯家として知られる。和平が結ばれた今でも常備軍の規模は他家を圧倒しており、その強さは健在だ。


 その事実をあらためて突きつけるかのような、今回の大戦果である。

 海戦と陸戦はまた別だが……自分たちが手を焼いていた海賊をあっという間に壊滅させてしまった者たちに対し、勝てるイメージを持てる兵が、果たしてどれだけいるだろうか。

 いざ戦争になったとしても、戦意の高揚などとても望めるはずがない状態なのだ。


 ゼノルはほくそ笑む。


「あらかじめアガーディアと王家には手紙を出し、商船の安全確保のために海賊討伐を行うと事前に宣言している。示威行為だなどという言いがかりも、これでつけられまい。まったく自分の周到さが恐ろしい。ふははは!」


 無事策謀が実を結び、悦に入るゼノルだったが、ふと思い出したように補佐官へ問いかける。


「そうだ。噂の拡散具合はどうなっている?」

「そちらも順調のようです」


 スウェルスが淡々と説明する。


「ゼノル様が自ら軍船に乗り込んだという流言は、すでにかなり広範囲に広まっています。さらに、『命乞いする海賊を、バラバラにしてサメに喰わせた』『捕まえた海賊の腹を順番に割き、財宝がないか探した』『海賊の生き血を無意味に飲み、兵たちをドン引きさせた』といった一連の醜聞も、十分な拡散を確認しています」

「ふっ……いいぞ」


 ゼノルは満足げに笑う。


「これで公爵令嬢と破談したなどというしょうもない噂は、すぐに鳴りをひそめることだろう」


 ゼノルは、噂への対策もしっかり講じていた。

 醜聞を否定するのではなく――――よりひどい醜聞の拡散によって、上書きしてしまうという形で。


『貴様の船に、オレも乗る……ということにしろ』


 ゼノルがいきなりそんなことを言い出した時、スウェルスにはその意図がなんなのかまるで読めなかった。

 だが策の全貌を聞くと、この状況を覆すのにこの上ない一手であることが理解できた。


 噂は醜聞ほどよく広がる。

 それならば、よりインパクトの強い醜聞を作り出すことで、それ以前の小さな醜聞をかき消すこともまた、不可能ではない。


 元々〝冷血卿〟の通り名を持っていたゼノルだ。事前に軍船に乗り込むという偽情報を丹念に広げていたこともあって、海賊に対する残虐行為の噂には、説得力と話題性が伴った。

 無論、ゼノルがずっと領内の屋敷にいたと知る街の有力者たちは、噂など一顧だにしない。よって領地経営には何の支障もない。

 しかし、ロドガルド領内の様子などわからない他の貴族たちは、もしかしたらと思ってしまう。

 思わせてしまえばゼノルの勝ちだ。あつらえた醜聞が広がるほどに、破談の噂の印象は薄れ、報復を叫ぶアガーディア公爵への支持もどうしたって弱くなる。


 アガーディア公爵はすでに、口実も体面も、勝ち目すらもゼノルに奪われている状態だった。もはや娘に何を訴えられたところで、動くことはできない。

 レイシアの目論見は、完全に(くじ)いたと言っても過言ではなかった。


「ただ……」


 と、あくまで冷静な調子でスウェルスは続ける。

 浮かれた主に水を差す義務が、彼にはあった。


「醜聞の方は想定ほど拡散していません。おそらく戦果が大きすぎたため、ゼノル様の快挙を称える声にかき消されてしまっているものと」

「それは仕方あるまい。いずれにせよ、破談の噂を薄れさせる目的は達せているのだ。むしろ嬉しい誤算というものだろう」

「それと」


 懐から封書を取り出しながら、スウェルスはさらに続ける。


「アガーディア公爵から、手紙が届いております」

「おお!」


 ゼノルが身を乗り出す。


「そろそろ接触してくる頃だろうと思っていた。それで、内容は?」

「内容は……概略を述べるならば、海賊討伐について、感謝するといったものですが」

「ふはは、そうか! まあ向こうの立場ならそう言うほかあるまい。内心では唇を噛みしめているだろうがな。ふははは!」

「……ゼノル様」


 高笑いを浮かべるゼノルとは裏腹に、スウェルスの表情には緩んだ雰囲気がなかった。

 封書を机に置いて言う。


「ぜひ早急に、ご自身でもご一読ください」

「ん? 無論だ。わかっているとも」


 ゼノルが葡萄酒を呷りながらひらひらと手を振った、その時。


「あのう、ゼノル様……」


 執務室の扉がわずかに開き、ユナが顔を覗かせた。

 その手には、色つきガラスの瓶が握られている。


「葡萄酒のおかわり、お持ちしましたけど……」


 スウェルスはユナに一瞬目を向けると、踵を返す。


「では、私は政務に戻ります。酒もほどほどのうちに、手紙に目を通されますよう」


 そう言い残して、スウェルスは執務室を出て行った。

 代わりに、ユナが入室してくる。


「ご苦労だ、ユナ。注いでくれ」


 と言って、浮かれきったゼノルがガラスの酒杯を掲げる。


「……」


 ユナは無言で近寄ると、すでに栓の開いていた瓶から紫の液体を酒杯に注いでいく。

 ゼノルはそれを口元に運ぼうとして……眉をひそめた。


「……ん?」


 目をこらして、ガラス杯に透けた液体を見る。

 そのまま一口飲んで……ゼノルは微妙な表情をした。


「なんだこれは。葡萄ジュースではないか」

「そうですー。酔っ払いにはジュースで十分ですー」


 と、空になった酒瓶に呆れたような目を向けながら、ユナは言う。


「飲み過ぎだよ。まだ仕事残ってるんでしょ? このくらいにしておきなって」

「いつも身を粉にして働いているのだ。こんな時くらいいいではないか」

「だーめ」


 ユナが腰に手を当てて言う。


「だってゼノ君が調子に乗ってると、ぜったい悪いこと起きるんだもん」

「はあ……ユナ。それは認知の歪みにすぎん。オレの浮かれ顔とその後の絶望顔の落差が大きいために、記憶に残りやすいだけのことだ。因果関係などあるはずもない」

「あると思うけどなー。だって今のゼノ君、明らかに気を抜いてるし」


 メイドに苦言を呈されるゼノルだったが、まるでどこ吹く風といった様子で、葡萄ジュースの満たされたガラス杯を揺らす。


「ふっ。多少気を抜こうと、オレの知性は曇らん」

「うわぁ……相当だねこりゃ」


 ユナがカビの生えた食べ物を見るような目をして言う。


「ベルトリッド様が今のゼノ君見たら、ぜったい怒るよ」

「……」


 ベルトリッドとは、ロドガルドの先々代当主であり、ゼノルの祖父だった。

 ゼノルはもちろん、ユナも幼い頃から知っている人物だ。

 強がるように鼻を鳴らして、ゼノルは言う。


「ふん。弱り切ったジジイなど、もはや相手にならん。今の当主はこのオレだ」

「えー? じゃあわたし、ベルトリッド様の方につこうかな」

「……なぜだ」

「今のゼノ君だと負けそうだから」

「……」


 ゼノルはばつの悪い顔になり、溜息をついて言う。


「……こじれにこじれた婚姻話を、やっと破談にできそうなのだ。おまえも少しくらい喜べ」

「ええ……? 海賊の方じゃなくて、そんなことで浮かれてたの? それって、もしかしてあの話?」


 ユナが問う。


「公爵家のお姫様と婚約したけど、ゼノ君が殴って破談になったって噂が流れてた」

「ぐっ……! 事実無根だ! 実態はまるで違う……!」

「わかってるよ。ゼノ君ずっとここにいて仕事しかしてないし」


 表情を歪めて弁明するゼノルに、ユナが普通の顔で言う。


「あの日、屋敷に来てたきれいなお姫様のことだよね? 縁談自体は続いてたんだ」

「こちらは一度断ったにもかかわらず、向こうが強引に続けていただけだ。まったく迷惑極まりない……」

「なんで断っちゃったの?」


 ユナが、普通の調子で問いかけてくる。


「公爵家のお姫様だなんて、たぶんロドガルド家にとってもすごくいい相手だよね? しかも美人だし。もったいなくない? ゼノ君だっていつかは、奥さんもらわないとでしょ?」


 ゼノルは一瞬、ほんのわずかに目を見開いて、ユナを見た。

 だが直後、再びガラス杯に目を戻して答える。


「……顔がオレの好みではなかった」

「うっわ、ぜいたくー! 理想高すぎじゃない? ゼノ君、そこまで求められる顔してる?」

「……冗談だ。家格が高い相手だからといって、望ましいとは限らん。無用な争いに巻き込まれることもあるからな」

「ふうん……そっか」


 ユナが、少し笑って言う。


「じゃ、よかったね、ちゃんと断れて。真剣に求婚してたのに、振られちゃったお姫様は、ちょっとかわいそうかもだけど」

「何がかわいそうなものか、あんなとんでもない女……」


 ゼノルが思い出したかのように、苦い顔で唸る。

 ユナはそんなゼノルを見て、仕方なさそうに笑う。


「……なんか、昔読んだ本のお話を思い出しちゃった。王女様の求婚を断って断って断り続けた、勇者様のお話。あれって今思えば、ロドガルドの始祖様がモデルだったのかも」


 ゼノルはふと顔を上げて、ユナを見た。


「……小さい頃、母親から与えられたという本か?」

「あれ、言ったことあったっけ?」

「……昔、聞いた覚えがある」

「よく覚えてたねーそんなこと。そうだよ、その本。逃げてくる途中で売っちゃったから、もう手元にはないんだけど」

「……」

「内容もほとんど忘れちゃった。実はずっと探してるんだけど、ここの書庫にはないみたいだったし、街の古書店でも見かけたことないんだよね。まあ……たとえあっても、本なんて高くて買えないんだけどね」


 てへへと笑うユナ。

 ゼノルはそんなメイドを眺めながら、静かに言う。


「……これから建つ教会の図書館にならば、もしかしたら収められるかもしれんな」

「あ、そういえば大きな教会には図書館が付くんだっけ。じゃあそっちに期待だね」


 ユナの顔が明るくなる。

 ゼノルはメイドから目を逸らし、ガラス杯を机に置くと、軽く伸びをしながら言った。


「さて。ではいい加減、仕事に戻るとするか」

「それがいいよ。がんばってね。スウェルスさんも、なんか手紙読んでって言ってたし」

「……そういえばそうだったな」


 ユナに言われ、ゼノルは思い出したように机の封書をつまみ上げた。


「まあスウェルスが一度目を通している以上、問題はないだろうが……」


 中の便箋を開き、文面を目で追っていく。

 次第に……ゼノルの顔が曇り始める。


「……なんだ、これは」

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