――――第38話――――
夜。
教会からほど近い街の広場に、月明かりに照らされた人影が一つ、立っていた。
そこに、もう一つの人影が近づく。
「来ていたか、ババア」
人影が――――ゼノルが足を止め、そう声をかけた。
広場には一人だった。馬車も護衛も、後方に置いてきている。
佇む人影が、微笑とともに振り返る。
「お待ちしていましたよ、坊ちゃん」
ロドガルド領都の教会長である老婆、ネルハだった。
「なにも、わざわざこのような場所でなくともよかったでしょうに」
「教会には奴らがいる。顔を合わせたくはなかったのでな。かと言って、足の悪い貴様にオレの屋敷まで来させるわけにもいかん」
「おや……老人に気遣えるようになりましたね」
「元々気遣っていたとも。貴様が老いただけだ」
にべもなく言うと、ゼノルは視線を鋭くする。
「それで……例の物は? ずいぶんと軽装に見えるが」
「もちろん、持ってきましたとも」
ネルハが杖を突きながら、ゼノルに歩み寄る。
そして――――一冊の古びた本を差し出した。
ゼノルが眉をひそめる。
「……これだけか?」
「ええ。この一冊に、坊ちゃんの知りたいことはすべて書かれていることでしょう」
ゼノルが本に視線を落とす。
装丁の年季の入り方からわかる。これは、教団が各地の教会図書館に送っている蔵書の類ではない。
本を受け取るゼノルに、ネルハが意味ありげに微笑んで言う。
「もっとも……坊ちゃんはすでに、たどり着いていたようですね」
「……貴様、初めからすべて知っていたな。この騒動の裏にあった思惑を」
「これでも教会長ですからね。教団の内情は耳に入ってきます」
ネルハが感慨深げに言う。
「あるいは、とも思いましたが……やはり聖女との婚姻は、坊ちゃんの天命ではなかったようですね」
「ふん。当然だ」
ゼノルが断言する。
「オレの使命は、神ではなくオレが決める。言うまでもなく、オレの伴侶もな」
「ふふ……それもよろしいでしょう」
ネルハが微笑む。
「ですが、坊ちゃん。あの子も哀れな子です。ちゃんと手心を加えてあげてくださいね? 坊ちゃんならきっと、造作もないことでしょう」
「ああ」
ゼノルは踵を返す。
そして老神官に、背中で答えた。
「まあ見ているがいい、ババア」
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そして数日後。
「顕覧会に向けた作戦会議、とのことですが……」
朝日の差し込む応接室にて、スウェルスが微妙な顔で言う。
「この男を同席させる必要はあったのですか?」
視線の先には、例によってぼろぼろの白衣を着たトレヴァーがいた。
テーブルの上に置いた、何やら横向きにした車輪のような謎の機械を熱心に調整している。
応接室には、明らかに不似合いな代物だった。
「この男は必要だ。オレの作戦の理屈を解説してもらう必要がある」
長椅子の背後に立つゼノルが答えるも、スウェルスはいまいち納得できない顔のまま続ける。
「まあそれはいいとしても……なぜ応接室なのです? いつものように、執務室ではいけなかったのですか?」
「もう一人、客人が同席するからな。あそこは不向きだ」
「客人……?」
「まもなく来るだろう」
その時、応接室の扉がノックされた。
案内のメイドと共に、客人の姿が、開かれた扉の向こうに現れる。
その人物を見たスウェルスが、目を見開いた。
「あ、あなたは……!」




