――――第37話――――
それから十日。スウェルスの差配により、物品の方は順調に集まりつつあった。
一方で、ラニスの情報については芳しくない。
「今のところ、現在市井に広まっている以上の情報は掴めていません」
スウェルスが浮かない表情で報告する。
「私の感覚ですが、どうも手応えがありません。生まれの村がすでになく、故郷を離れてからはずっと教団の庇護下で暮らしていたために、探れる場所も人も限られます。今後有用な情報が出てくるかは……正直、見込み薄かと」
「そうか……」
「ゼノル様。やはりもう、手を打つべきでは?」
スウェルスが進言する。
「聖女様の真意を知る者は、聖女様しかいない可能性もあります。目的の看破に躍起になるあまり、顕覧会に間に合わなければ元も子もありませんよ。何をされるつもりなのか存じ上げませんが、せめて準備は始めておくべきかと」
「それは当たり前だ」
ゼノルが顔をしかめて答える。
「婚約破棄は絶対だ。あの女をそこまで気遣ってやるつもりはない。わからなかったならその時はその時だ」
「それならいいのですが」
「すでにトレヴァーにも声をかけている。物品が揃いしだい始めるぞ」
「ええ? またあの男を頼るのですか……。リストの内容から予想はしていましたが」
スウェルスが微妙に嫌そうな顔をする。
とはいえ、ゼノルの考える竜殺しに、トレヴァーは必須だった。あの奇人はコミュニケーション能力に難があるため、スウェルスにも働いてもらわなければならない。
「しかし、だ」
話題逸らしも兼ねて、ゼノルは話を戻す。
「やはりあの女の目的がわからない限り、不確定要素が残る。それがどうにも気持ち悪い。ささいな情報でもいい、何かないのか」
「そう言われましても……」
「貴様の印象でもかまわん」
スウェルスが思い悩むように視線を下に向けた。
やがて短い沈黙の後、補佐官は口を開く。
「本当にただの印象ですが……あまり、神官らしくない方だな、と」
「む?」
「ゼノル様は感じられませんでしたか? ダグライ殿とヤマラ殿は、政敵同士でありながら近い雰囲気がありました。神官らしい雰囲気と言いますか……。領都のネルハ殿も同様ですし、私が過去に顔を合わせた高位の神官たちも、おおむねそうでした。ですが聖女様は……大神官という高い位階にありながら、そういった神官らしさがないように思えます。具体的にどう、と言われると説明できないのですが……」
ゼノルは沈黙する。
スウェルスの話す印象は、ゼノル自身もまた抱いていたものだったからだ。
言動や容姿や、立場のせいではない。神官としての教育も少なからず受けているはずだが、むしろ神学の素養を見せた過去の問答の際に、その違和感が一層強まったほどだった。
まるで――――、
「……いえ、すみません。なんの参考にもなりませんね」
スウェルスが申し訳なさそうに言った。
ゼノルがそれに答えようとしたとき――――、
「失礼しまー……す……」
執務室の扉から、ユナが恐る恐る顔を覗かせた。
雰囲気を察してか、遠慮がちに入室するメイドから目を離し、スウェルスがゼノルに伺うような視線を向ける。
「……わかった。少し考えてみよう」
ゼノルが目を閉じて補佐官に告げる。
「貴様は仕事に戻るがいい」
「かしこまりました。それでは失礼します」
スウェルスはそう言い残すと、どこかほっとした様子で執務室を出て行った。
扉が閉められるのを待って、ユナが口を開く。
「えっと……いいの?」
「ああ。少々無茶振りが過ぎた。これ以上問い詰められずに済んで奴も安堵しただろう」
「ふうん?」
「とはいえ、いくらか参考にはなったな。さすがスウェルスだ、目を付ける感覚がオレと近い」
「そういうの、普段からちゃんと言ってあげた方がいいと思うよ」
茶を注ぎながら、ユナが言う。
「男の人だって、褒められたらうれしいものでしょ?」
「割と褒めているぞ。オレはこう見えて部下の人心掌握には気を使っているのだ」
「そうなの? じゃあいいけど」
「……いや。思えば、最近はおろそかになっていたかもしれんな」
ゼノルが茶杯を手に取りながら、やや考え込むように言う。
「奴とは顔を合わせることが何かと多い。雑な態度で接しがちなところはある」
「あー……わかる。あるよね、そういうの」
ユナがどこか自省するように笑って言う。
「言葉遣いが適当になったりとか」
「うむ」
「あんまり気を使わなくなったりとか」
「うむ」
「相手と自分の立場なんかも、意識しなくなったりとかね」
「うむ」
いちいちうなずくゼノルに、ユナは苦笑して言う。
「やっぱりわたしも、もうちょっとちゃんとしなきゃダメかな」
「うむ……ん?」
うなずきかけたゼノルが、茶杯から口を離してユナに視線を向けた。
銀盆を抱えながら、ユナはうつむきがちに続ける。
「ゼノ君は当主で、わたしはただのメイドなのに……いつまでも子供の頃みたいに、馴れ馴れしくするのはよくないよね」
「……なんだ、おまえの話だったのか? 気にすることはない」
ゼノルが再び茶杯を傾けながら言う。
「今からかしこまられても違和感しかない。よその当主とて、立場が違えども親しき者くらい居よう。それにだ、スウェルスを見てみろ。あの男、オレにも全然無礼な口を叩くぞ。というか奴の場合、別に親しくない者にも平気でずけずけと物を言うからな。そのせいであれほど優秀であるにもかかわらず、オレが引き抜くまで冷や飯を食っていたほどだ。奴に比べれば、おまえなどまだ常識的だろう」
珍しく饒舌に答えたゼノルに、ユナは遠慮がちに言い返す。
「でも……貴族と仲いい人だってきっと、言葉遣いとかはわきまえてるよね? スウェルスさんも一応そうだし」
「……まあ、そうかもしれんが」
「あんまりこうやって話してるの、よくないかなぁって。特に……奥さんが来るんならね」
思わず返答に詰まるゼノルに、ユナがどこか寂しげに言う。
「婚約したんでしょ? 聖女様と」
「……例によって、また噂か?」
「うん、みんな話してるよ」
「この手際のよさ……やはりどうも既視感があるな……」
ぶつぶつと呟くゼノルに、ユナが続ける。
「おめでと。もしかしたら、ゼノ君には不本意だったかもしれなけど……でもよかったと思うよ」
「あのな、何度も言っているだろう。オレは当分、結婚などするつもりはないと」
ゼノルが顔をしかめて言う。
「たしかに婚約は交わしたが、当然破棄する。前回と同じようにな」
「もう……」
ユナが呆れたように言う。
「ゼノ君だって、いずれは結婚しなくちゃならないんでしょ? そんなことばっかりしてたら、誰もお嫁に来てくれなくなっちゃうよ?」
「……別に、問題はない」
「前も言ったかもだけど、いい人そうだったよ。聖女様」
ユナが微かに笑う。
「困ってた小さな子と猫ちゃんのために、神器まで使ってくれたし。だから……悪くないんじゃない? 奥さんとしてもさ。……わたしたち使用人のことも、大事にするって言ってくれたしねー」
冗談めかして付け加えるユナから、ゼノルは目を逸らす。
「……悪くなくとも、関係ない。オレが決めたことだ。それより」
半ば強引に、ゼノルは話題を変える。
「聖女と会っていたのだな。たしかに以前、ちらと聞いた覚えがあるが……話までしていたのか。どういう状況だったのだ? 小さな子と、猫?」
「えっとねー」
ユナが、晩夏での一件を説明していく。
「って感じ」
「そんなことがあったのか……。あの女もずいぶん不用心な真似をするのだな」
「そういうゼノ君も、昔は一人であちこち行ってなかった?」
「昔の話だ」
「前も納入忘れの卵を自分で引き取りに行こうとしたり、あんまり変わってない気もするけど……。でもそういえば、聖女様って昔のゼノ君に、ちょっと似てるかも」
ユナが少し笑って言う。
「顔がかわいいところとか、何か抱えてそうなところとか、妙に鋭いところとか、意外と気遣いな人だったりするところとかね」
「顔……? は、まあ置いておくとして、残りのはなんだ。奴の内面がオレに近しいとは思えんが」
「それがね。聖女様、わたしがクストハ出身ってこと、何も言わないうちから気づいてたんだよ」
聞いたゼノルが、意外そうに目を見開く。
「そうなのか?」
「うん。ゼノ君以来だよ、そんなの。今までいろんな人と会ってきたから、なんとなくわかるんだってさ」
「ふむ……。ありえん話でもないか」
「それでね。わたしがとっくに改宗して、昔のことはあんまり覚えてないって話したら……楽しい思い出だったなら、これ以上忘れないようにしないとね、だって。クストハの神さまのことも」
ユナが苦笑するように言う。
「あんまり神官っぽくない人だね。教団の教えでは、創神以外の神さまは全部偽物ってことになってるのに……聖女様があんなこと言ってよかったのかな」
「……」
ユナがどこか楽しげに言う一方で……ゼノルは引っかかるものを感じていた。
神官らしくない。その印象は、ゼノルとスウェルスのものと一致する。
「本当に……奴はそんなことを言っていたのか?」
「え、うん」
真剣に問いかけてくるゼノルに、ユナがやや戸惑いがちにうなずく。
「本物だろうと偽物だろうと、神さまなんて見たことないからって。普通、誰でもそうだと思うけど」
「……神を……見たことがない…………」
そのときゼノルの脳裏に、ふとある一文がよぎった。
聖女オリアンネの、伝承における一文が。
――――神の姿を見、神の声を聞きながら、現在の教団における教義の基礎を作り上げたと言われている。
バラバラだった手がかりが、秩序を持って一つの形に組み上がり始める。
最終的にできあがったそれは、醜悪な仮説だった。
だが――――これならば、聖女がなぜ執拗に結婚を求めるのかの説明がつく。
「そうか……」
あくまで仮説。確証はない。
だがそれを得る方法にも、すでに見当がついていた。
ゼノルはユナに顔を向けて言う。
「助かったぞ、ユナ。おまえのおかげで、反撃の策に確信を持てた。これで堂々と奴に婚約破棄を叩きつけられる」
「ええっ!? どう……いたしまして? いやっ、でも……」
「案ずるな」
残りの茶を一息に飲み干して、ゼノルは言う。
「オレにとっても奴にとっても、望ましい結末にしてやる」
「……そっか」
ユナは呟くと、どこかうれしそうに小さく答える。
「じゃあ……いっか。がんばってね、ゼノ君」
「ああ。それと……」
ゼノルがわずかに迷うように付け加える。
「おまえはもう、忘れてしまったかもしれないが……オレは覚えている。おまえの信じていた神のことを」
「え?」
「昔、その、してくれたことがあっただろう。向こうの宗教的儀式を」
「……御加護のおまじないのこと?」
ユナが驚いたような顔をする。
「思い出した。そういえば……したことあったね。ゼノ君に」
「おまえにとっては、簡単な民間儀礼の一つにすぎなかったかもしれんが……」
ゼノルが思い出すように、事務机に目を落として言う。
「オレには救いだった。ロドガルド家当主の座につく覚悟が決まったのも、あれがあったからだ」
「お、大げさだなぁ、もう……」
少し困ったように顔を逸らしたユナが、ゼノルをちらと横目で見る。
「……じゃあまた、やってあげよっか?」
「……む!?」
「これから大変だろうし……がんばれるように、みたいな。嫌ならいいけど」
「いや……せっかくだ。頼むとしよう」
ゼノルが、椅子ごとユナに向き直り、目を閉じた。
ユナは遠慮がちに歩み寄ると……銀盆を事務机に置いて、ゼノルの頭を両手で抱き寄せる。
「――――この子が善良なる、幸運なる、幸福なる運命に導かれますように」
額に口を寄せて呟く。
幼い頃に両親が口にしていたこの祈り詞を、ユナはまだ覚えていた。
「風が背を押し、陽が温かく面を照らし、雨がその喉を潤しますように」
それは大切な者の幸福を願う、クストハではごくありふれた、民間儀礼の一つ。
「過ちと罪が、いつか赦されて――――新しい一日を迎えられますように。月と海と金の羊に、ユナが祈ります」
ユナがそっと――――ゼノルの額に口づけた。
短い静寂の後、ユナがぱっとゼノルから離れる。
「はいおわり! はぁ~、なんか恥ずかしっ! これ、ほんとうは小さい子とか……に、やるやつなんだからね」
ユナがぱたぱたと手で顔を扇ぐ。
ゼノルは、
「……うむ、ご苦労」
目を開けると、噛みしめるようにそれだけ言った。
「……それだけ?」
「頑張れそうな気がしてきた」
「よろしい」
そう言うと、ユナは満足そうに笑った。
それを見て、ゼノルは表情を緩め……おもむろに席を立つ。
「では、さっそく始めるとするか」
「うん。がんばってね」
「……そうだ。言い忘れていたことがあった」
執務室をあとにしようとしていたゼノルは、ユナを振り返って言う。
「よその当主がどうとか、スウェルスと比べてどうとかいろいろ言ったが……おまえにかしこまられると寂しい。だから、立場など関係なくこれまでどおりでいてくれ」
聞いたユナは、目をしばたたかせると、
「もう……しょうがないな」
そう言って、うれしそうに笑った。




