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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第35話――――

「さあ、ワタシと結婚するのだわ! ゼノル!」


 数ヶ月ぶりに屋敷を訪れたラニスは、仁王立ちしながら開口一番にそう言った。

 左手に持った『針』をゼノルに向けながら、不敵に続ける。


「状況はわかっているわね? ワタシを守ってくれる聖女騎士団は、今も志願者が増え続けている。この領都に、あなたの統制が利かない武力集団ができあがるのは、領主としては嫌なんじゃないかしら? 喉元に刃物を突きつけられているようなものだものね」

「……」

「無理矢理ワタシを領地から追い出したって無駄よ? 制御できない怒れる集団がどんな行動を起こすかなんて、見たくないでしょ?」

「……」

「大丈夫。ワタシを妻に迎えれば、ちゃーんと収拾を付けてあげるのだわ。だから安心して結婚しなさい」


 堂々と言い放つラニス。

 応接室の長椅子で目を伏せながら、ゼノルはただ沈黙していた。

 やがて、おもむろに口を開く。


「それが例の神器か。せっかくの機会だ、よく見せてみるがいい」

「だーめ」


 ラニスは『針』を抱えるようにして言う。


「これだけは渡せないのだわ。ワタシの切り札だもの。それに、万が一効果が切れたら剣とか鎧とかが街に落ちてきて危ないし」

「『針』ではない」


 そう言って、ゼノルはゆっくりと指さした。


「そちらの方だ」


 『針』を握る――――聖女の左腕を。

 ラニスが目を見開いて硬直した。

 ゼノルは静かに続ける。


「ずっと疑問に思っていた。聖女とはいったいなんなのか。選ばれることが稀な神器にも、選ばれる者はいよう。聖者は、ただ幸運だった者とも言える。だが……すべての神器に選ばれるともなれば、幸運の域を超えている。聖女は、聖者に内包される存在などではない。明らかな逸脱者だ」

「……」

「神に愛されし者。なるほどその可能性もあるだろう。しかし、だ。より合理的な説明が可能だとしたら? すべての神器に選ばれるなど、人智を超えた現象だ。そんな現象を引き起こす存在を、誰もが知っている。そう、たとえば――――」


 鋭い眼光とともに、ゼノルは告げる。


「――――神器に必ず選ばれるようになる神器が、存在するとしたら」


 沈黙を保つラニスに、ゼノルは続ける。


「かつての聖女オリアンネは、左腕と右目を失っていたそうだな。だが、それを思わせるような伝承はほとんどない。義眼はまだしも、義手にまったく気づかれないことなど普通はありえないだろう……生身の腕と寸分違わず動く義手でも、付けていない限りは」

「……」

「ところで、貴様は右利きだな? 以前この部屋で、ペンや茶杯を右手で持っていた。しかし、だ……貴様が夏に『ナイフ』で傷つけていたのは、右腕だった。これはいかにも妙だ。なぜ利き腕を傷つけた? わざわざ慣れない左手で刃物を握ってまで」

「……」

「オリアンネが義手であったことを思わせる記述は、少数ではあるものの伝承の中に残っている。決して左の長手袋を外さなかった、などだ。思えば、ラニス――――貴様がその長手袋を外したところを、見たことがなかったな」

「…………へぇ」


 押し黙っていたラニスが、そこで感心したような声を上げた。


「やっぱり、ロドガルドの神童なんて呼ばれているだけあるのね。まさか神官でもない人間が、それにたどり着くなんて思わなかったのだわ」

「……ラニス様」

「別にいいでしょ。バレて困ることもないんだし」


 ダグライの制止を受け流しながら、ラニスが『針』を右手に持ち替える。

 そして左の袖をめくり――――おもむろに、白の長手袋を外した。


「……!」


 ゼノルが、わずかに目を見開く。

 ラニスの左腕は――――人間のそれではなかった。


 奇妙な光沢を放つ、白い金属のような質感。そのところどころには薄青い輝きがある。

 滑らかに動くにもかかわらず、手首にも指にも、外からは一切の関節機構が見て取れなかった。

 肉の腕でもなければ、尋常な義手でもない。


「これが教団最秘の神器――――『左腕』」


 無機質な掌を翻しながら、ラニスが微笑とともに言う。


「その権能はあなたの予想どおり、他の神器の権能を引き出すこと。あと、普通の腕みたいに動かせるってこともかしら」

「……」

「外してみろなんて言わないでね? もうこれ、自分でもどうやったら外れるのかわかんないんだから」

「……なるほどな」


 ゼノルが、ぽつりと言う。


「やはり聖女とは、『左腕』なる神器に選ばれた聖者だったわけか」

「そ。別に、そこまで特別な存在ではなかったのだわ」

「……オリアンネは、幼い頃に獣に襲われ、右目と左腕を失ったそうだが」

「ワタシはどうだったかって? そんなの訊かなくてもわかるでしょ。盗賊よ盗賊」


 ラニスはひらひらと手を振りながら言う。


「村から逃げ出したときのことはよく覚えてないんだけど、矢が刺さってたみたいでね。予後が悪くて、肘から先を切らなきゃいけなかったのよ」

「……」

「教団に保護されたあと、試しに『左腕』を付けられたら選ばれちゃって。それからずっと聖女やってるわ」

「……どうりで」


 ゼノルが得心したような表情で言う。


「聖女が八百年もの間現れなかったわけだ。選ばれる選ばれない以前に、試すだけでも左腕を失っている必要があるのだから」

「昔はそのためにわざわざ自分で腕を切り落とした神官もいたみたいだけどね」


 ラニスがおどけたように言う。


「それにしても、よくわかったのだわ。『左腕』の記録なんて出回っていないはずなのに。さすがにオリアンネの伝承だけで当たりを付けられたとは思えないのだけれど」

「当たり自体は付けられた。だが確証はなくてな。貴様へ堂々と指摘するため、以前話したヤマラなる神官に確認をとらせてもらった。最秘と言う割に、あっさり教えてくれたぞ」

「……へぇ」


 ラニスの目がわずかに細められる。


「ずいぶん不届きな神官もいたものなのだわ。自分たちのために、教団を裏切るだなんて」

「だが、こちらは助かった」

「ふふ――――なにが?」


 ラニスは不敵な笑みとともに言う。


「たしかに、『左腕』は聖女の秘密。教団もこれまで隠してきたことなのだわ。でも……たとえそれが皆に知れ渡ったとして、なんだって言うのかしら?」

「……」

「『左腕』のおかげとはいえ、ワタシがすべての神器に選ばれることに変わりはない。『左腕』には選ばれているのだから、聖者の条件にも背かない。それにね……ワタシがみんなから応援されるのは、聖女だからじゃないわ。ワタシが、人気者だからよ」

「……」

「かわいくて、有名人で、明るくて優しくて、なにより利益を与えられる。だからみんなに応援してもらえるの。本物の聖女じゃなくても、左腕がこんなでも、関係ない。だから――――あなたがこの状況を覆す材料には、ならない」

「……」

「大人しく結婚して。大丈夫、あなたにも損はさせないのだわ。ワタシの力で、ロドガルドをもっともっと興してあげる」

「……何が」


 そのとき、ゼノルが静かに口を開いた。


「貴様にそうまでさせるのだ。背負う家もなく、すでに十分な地位を得ている貴様が、なぜわざわざロドガルドに嫁ごうとする? それだけがずっとわからない」

「なぜ? ワタシは初めからはっきり言っているのだわ」


 ラニスが艶然と言う。


「それが、神の意志だから」

「その戯れ言を信じろと?」

「どっちでもいいのだわ。あなたにはもう、選択肢はないのだから」

「もしも」


 いささかも表情を変えずに、ゼノルが言う。


「結婚以外の方法で、オレが貴様の望みを叶えてやると言ったら、どうだ?」


 その時――――ラニスの表情が、わずかに揺らいだ。


「……ワタシの望みが、何かもわからないのに?」

「たとえどんな望みであろうと、オレには造作もない」

「…………アハ」


 わずかに沈黙したラニスだったが、やがて失笑を漏らすかのように笑った。


「普通に、無理」

「……」

「だってワタシたち、何回か会って話しただけじゃない? その言葉、どうやって信用したらいいのかしら」

「……」

「あなたがワタシに便宜を図る理由は、結婚を避けるため以外にない。状況が覆れば反故にされかねない。そんな相手との約束を、信じる気にはなれない」

「……自分から求婚してきた女の台詞とは思えんな」

「そうかしら? 結婚なんてただの利害で、愛とか信頼とか、そういうのじゃなくない? それは貴族のあなたの方がよくわかってると思ってたけど」


 無言を返すゼノルに、ラニスはどこか呆れたように言う。


「もっと早く、ワタシがまだ不利だったときに言ってれば迷ってたかもね。ここまで追い詰めた相手と交渉する理由なんてないのだわ」


 そして、無慈悲に告げる。


「さあ、返事を聞かせてくれるかしら。もう検討の必要なんてないわよね」

 聖女の言葉に、ゼノルはしばし沈黙していたが――――、

「……いいだろう」


 やがて、重々しくそう言った。


「貴様と婚約してやる」

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