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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第32話――――

 その後どれだけ経っても、事態は改善を見せなかった。

 密偵を使い入念に調べさせたものの、武具買い占めの首謀者も、噂の出所も判然としない。

 武具相場は多少の落ち着きを見せていたが、噂の方は布告を出してなお、領都の中で拡大を続けていた。



**



「……チッ」


 執務室で、ゼノルは一人舌打ちした。

 噂の拡散度合いが、軽視できない水準にまで達し始めているためだった。しかも盗賊や海賊や異民族ばかりではなく、隣のアガーディア公爵が攻めてくる、王の軍勢が攻めてくるといった、新たな内容まで確認されている。もはやその類の噂を知らない住民の方が少ないほどだろう。


 現状、まだ混乱が起こる域には達していない。

 ロドガルドは王国内でも随一の軍事力を持つ貴族であるため、その領都に住む民が危機感を覚えることはなかなかない。良くも悪くも平和ボケしているのだ。

 だが、いつまでも安穏としてくれているかはわからなかった。ふとしたきっかけで恐慌が伝播し、都市を覆い尽くす混乱が発生しないとも限らない。


 軍を動かすのも手だ。

 兵を使って噂の拡散を強引に取り締まり、暴動の抑止のために領都を巡回させる。ある程度の効果は見込めるだろう。

 だが、それが刺激となってしまう可能性もある。迫る外敵に手をこまねいているゼノルに対し、不満の声も出始めている。


 ゼノルは難しい判断をしいられていた。

 なによりの問題は……この噂の意図が、まったく読めない点にある。


「ゼ、ゼノル様!」


 その時、執務室の扉が勢いよく開き、スウェルスが血相を変えて飛び込んできた。

 ゼノルが視線を鋭くする。


「どうした。何があった」

「きょ、教団側に、動きが!」


 スウェルスは焦燥混じりに報告する。


「街に、新たな噂が流れています! なんでも今日の正午に、中央広場で聖女様が演説を行うのだと……。それもどうやら、これまでに流れていた噂に関連する内容だという話です!」

「……なんだと?」


 ゼノルはしばし険しい表情で黙考した後、おもむろに立ち上がる。


「向かうぞ。貴様も用意をしろ、スウェルス」

「は?」

「あの女の企みを直接確認する。貴様もついてくるがいい」

「ちょ、お待ちくださいゼノル様!」


 スウェルスが慌てたように言う。


「危険です! 人が集まることが予想されます。混乱が生まれる可能性だって……」

「護衛の兵を連れて行けば問題あるまい」

「その程度でどうにかなるとは限りませんよ! むしろかえって群衆の目を引きかねません!」

「いいかスウェルス。これは必要なことだ」


 ゼノルはそう言って、自らの補佐官を見据える。


「ここからは迅速さが重要になる。奴の策をいち早く把握し、対策を考えねばならん。事態はもはや楽観できる状況にない。貴様も理解しているはずだ」

「う……」

「オレの領民が恐ろしいのならば、貴様はここに引きこもっているか? 許してやらんでもない」

「……わかりました。行きますよ」

「それでいい」


 ゼノルが口の端を吊り上げて言う。


「案ずるな。少なくとも、奴がその場で暴動を起こすことはまずない。オレとの交渉の余地がなくなってしまうからな」

「それはそうでしょうが……」

「もっとも」


 ゼノルが物憂げに呟く。


「その程度の相手である方が、よほど助かるのだが」



**



 中央広場には、ゼノルの予想を上回る人数が集まっていた。

 ゼノルにギリギリまで勘づかれないよう、演説の噂は相当慎重に流していたはずだ。それでも広場の三分の一を埋めるほどの人数を集めたとなると、優秀な密偵を何人も動員したと見るしかなかった。


 教団の手管としては、やや違和感があるものだ。

 だが、それは今はどうでもいい。


 護衛の兵に囲まれながら、ゼノルが馬車から降りる。その物々しい雰囲気に、周囲の人間がぎょっとしたような視線を向ける。

 しかし、騒ぎにはならなかった。

 ゼノル以上に注目を集める存在が、広場にはいたからだろう。


 薄紅色の髪を垂らし、華やかながらも神聖さを感じさせる衣装を纏った、美しい少女。

 護衛らしき神官たちに周囲を固められながら、広場の中央付近にある演壇に堂々と立つ、ラニスの姿がそこにあった。

 どこか不安げで、何かを期待するような民の視線を浴びながら、ラニスはおもむろに口を開く。


「みんなーっ! 今日は来てくれてありがとう!」


 澄んだ声が、広場に響き渡った。

 どこか儚さすら感じさせるのに、蒼穹にまで届きそうなほどよく通り、思わず耳を傾けずにはいられない不思議な声。


「今日ワタシに会いに来てくれたみんなは……きっと、今いろんな噂を聞いて、不安を感じていると思う。わかるのだわ! ワタシが生まれた村も、傭兵崩れの盗賊団に襲われて、なくなってしまったから」


 群衆がざわめく。

 それは決して、知らぬ話に驚いたという反応ではなかった。ラニスの生まれの逸話は、多くの人間の知るところである。

 ただ、ここからどういう話が始まるのかわからない。


「今でも覚えてる。ハシバミや野いちごがたくさん生る森があったこと。干し草の山で友達とかくれんぼをしたこと。夕暮れ時に母が村に伝わる子守歌を歌ってくれたこと……。すべて失われてしまった。今はもう、ワタシの心の中にしか残ってない」


 そこでラニスは、情感の籠もった笑みを浮かべる。


「ワタシだけが生き残ったのは、ただ、それが神の意志だったから。その意味も、今はわかる。ワタシの力でたくさんの人を助けるという、使命のためだったのだわ」


 そう言って、微笑を浮かべたままゆっくりと聴衆を見回す。


「ワタシ、この街が好きよ! 食べ物はおいしくて、市はいつも賑わってる。教会の鐘楼から見る街並みはとってもきれいだわ。住人はみんな明るくて親切だし、なにより王国の中でも特に長い歴史を持つこの都市を、自分たちが支えてきたんだという誇りと自信に満ちている。ワタシが嫁ぐ街がこんなに素敵なところだなんて、今でも信じられないくらい」


 そこで――――ゼノルは、ラニスと目が合ったように感じた。

 聖女が目を細めながら告げる。


「だから……ワタシは、この街を守りたい」


 ラニスが背後を振り返った。

 控えていた神官たちが退がり、聖女の視線の先にあるものを、聴衆の目に晒す。

 それは――――武具の山だった。


「な、まさか……」


 ゼノルも思わず動揺の声を上げる。

 聖女の背後に積み上がっていたそれらは、初めから視界に入ってはいた。だが、どこかの古鉄屋が集めたがらくたの類だと思っていた。


 しかし、大量に積み上がった鋼の輝きを見る限り、あれはがらくたの類ではない。

 まず間違いなく――――市場で買いあさられていたものだ。


 いつの間にかラニスの手には、細長く薄く、両端が鋭く尖った白い金属が握られていた。

 それはまるで……巨大な羅針盤の針のような。

 ラニスは『針』を、ゆっくりと武具の山に向ける。


「これこそがワタシの使命で――――神の意志なのだわ」


 不意に、ぎちぎちという鈍い金属音が響いた。

 武具の山が鳴動する。

 群衆のざわめきが大きくなる中、積み上げられた鎧や剣が、不気味にうごめき始めた。

 まるで一つ一つが見えない糸で操られているかのように、空中を渦巻いていく。

 やがて――――それらは、一つの形を取り始めた。


 巨大な翼。

 長い首に厳めしい頭。

 鋼の爪を持つ太い手足に、鋭い刃が煌めく尾。


「竜だ……」


 群衆の中の、誰かが呟いた。

 きっとその場にいた誰もが、同じ認識だっただろう。

 無数の武具で形作られたそれは――――いくつもの伝説で語られる、巨大な竜そのものだった。

 翼開長は、おそらく一般的な家屋三軒分にも相当するだろう。

 陽光を反射する剣や鎧で構成されたその姿は、まさしく鋼の竜と呼ぶにふさわしい威容だ。


 群衆が呆気にとられる中、ラニスはおもむろに『針』を上に向ける。

 鋼の竜が――――浮いた。

 翼を打ち下ろすこともなく、巨大な体が地面を離れる。すさまじい重量があるはずだが、それをまるで感じさせることなく、竜は浮遊していた。


 竜が刃の翼を広げる。

 ギキィィィ――――ッッ、という鈍い金属音が、広場に轟いた。

 その顎こそ開いてないものの……それはまさしく、鋼の竜の咆哮だった。

 言葉を失っている群衆に背を向けたまま、ラニスはじっと竜を見上げる。


「村から逃げるとき……ワタシは助けられるばかりで、誰も助けることができなかったわ。小さいワタシには、なんの力もなかったから。でも……今は違う!」


 ラニスが振り返る。

 その顔に、すでに微笑は浮かんでいない。

 戦場に赴かんとする、戦乙女の面差しだった。


「神器の力で、ワタシがこの街を守るのだわ! 盗賊も海賊も、どんな貴族の軍勢だって、神器の奇跡で打ち払って見せる! みんなには指一本だって触れさせやしない! だから!」


 神器の権能で生み出された鋼の竜をその背に、ラニスは精悍な笑みとともに、聴衆へと手を差し伸べる。


「ワタシを応援してほしい! みんなの力を、ワタシに貸してほしいのだわ!」


 聴衆が沈黙する。

 それが破られるまでに……さほどの時間はかからなかった。


「聖女様……」「聖女様!」「聖女さまっ」「聖女様ぁー!」「私たちを守って、聖女様!」「おれ、応援するよ!」「聖女様はオレが守る!」「盗賊なんて全員ぶっ殺せ!」「海賊どもを海に叩き帰しちまえ!」「王だってこの街の敵じゃないぞ!」「俺も戦う! 聖女様だけに任せられるか!」「聖女様っ!」「聖女さまーっ!」


 声援が伝播していく。

 群衆が熱狂する様を、ゼノルはただ、見ていることしかできなかった。


「みんなーっ! ありがとう! ほんとうにありがとーっ!」


 声援に応えるように、ラニスが手を大きく振る。

 それはまるで、新たな宗教の教祖が、ここに誕生したかのようだった。


 不意に、竜が翼を打ち下ろした。

 その巨体を一気に上昇させると、広場の上空を悠然と飛行し始める。

 群衆が歓声を上げる中――――ラニスは自らの信徒へと、力強く告げた。


「みんなに、神の祝福を!」

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