――――第31話――――
暑かった夏が終わり、ロドガルド領にも秋が訪れていた。
過ごしやすくなった執務室で、ゼノルは黙々と本のページをめくっている。
「失礼します、ゼノル様……って、どうしたんですかそれはいったい」
入室してきたスウェルスが、眉をひそめて言う。
それもそのはず。ゼノルの事務机には、大量の本が積み上がっていたからだ。
その中心で埋もれるように読書に耽っていたゼノルが、わずらわしそうに顔を上げて言う。
「少々調べ物をしていたのだ。貴様の方こそなんの用だ」
「私の用など決まっているでしょう、仕事ですよ……これ、どこに置けば?」
スウェルスが持ってきた書類の束の置き場所を、ゼノルは室内を見回して探す。
迷った挙げ句に、部屋の隅にあった椅子を指さした。
言われたとおりに書類を置きながら、スウェルスは苦言を呈す。
「少し整理されては? それじゃ仕事になりませんよ」
「む? ああ、そうだな……」
上の空で返事をするゼノルの目は、すでにページに戻っていた。
スウェルスが呆れ混じりに咎める。
「ゼノル様、何を調べられているのか存じ上げませんが……」
「わかったわかった。なんだ、急ぐ書類でもあるのか」
「いえ、そうではありません。ただ、いくつか報告が」
スウェルスが真剣な表情で言う。
「武具が買いあさられ高騰している件なのですが」
「ああ、そのことか」
ゼノルが本を閉じて置く。
「あれから何か変化はあったか? 金策のためにオレが大量の武器を売り払ったため、さすがに相場は多少落ち着いただろうが」
「いえ、落ち着いていません」
「は?」
スウェルスが険しい顔で眼鏡を直す。
「こちらが市場に流した武器も、すべて何者かによって買い上げられてしまったようです。相場に変化はないどころか、かえって高騰を見せています」
「……馬鹿な」
ゼノルが視線を鋭くする。
「軍で使用していた武器を売り払ったのだぞ。それをすべて買い上げるなど、相当な資金が必要だったはずだ」
「ですが、現実に起こっています。それと……盗賊団の件ですが」
「盗賊団?」
ゼノルが眉をひそめる。
「領都の近郊に根城を作っている大規模な盗賊団がいると、領民の間で噂になっていた件か? それについてはすでに伝えただろう。軍に調査させたが、やはりそのような事実はなかったと。噂もいずれは沈静化していくはずだ」
「それが……ここ最近になって、逆に爆発的な広がりを見せているのです」
「……なんだと?」
「それだけではありません。異民族が攻めてくるといった噂や、海から海賊の残党が復讐にやってくるといった噂まで同時に広がっています。そのせいで、特に領都の住民たちの間では混乱が起こりつつあります」
「……」
「どう……思われますか、ゼノル様」
スウェルスの問いかけに、ゼノルは黙考する。
妙な話だった。
物品の高騰も流言による混乱も、特に大きな理由なく発生することは確かにある。だがここまでのものとなると、その域を明確に超えているとゼノルは思った。何らかの意図を感じる。
今仕掛けてくるとしたら、沈黙を保ちながらも領都に居座り続けているラニスだ。しかし、その意図が読めない。
さらに言えば、こういった謀略めいた手管は、教団の得手とするところではない。
ゼノルはこめかみに指を当てながら呟く。
「……このやり口、どうにも既視感があるな」
「え?」
スウェルスが困惑気味に訊き返した、その時。
「失礼しまー……す……」
遠慮がちなノックの音とともに、執務室の扉からユナが顔を覗かせた。
部屋に漂う緊張感を感じたのか、ユナは足音も立てずに入室すると、壁際すれすれを歩いてくる。そして本でいっぱいで茶杯の置き場もない事務机を見て、途方に暮れたように立ち尽くした。
ゼノルは一つ息を吐いて、スウェルスに告げる。
「噂と武具の高騰、双方について可能な限り調べろ。それと、混乱を収めるために布告を出す。盗賊も海賊も虚偽、異民族が攻めてくることもないとな。今できるのはそれくらいだ」
「……そうですね。かしこまりました。早急に手配いたします」
スウェルスはそう言うと、踵を返して執務室を出て行った。
再び嘆息するゼノルを見て、ユナが心配そうに言う。
「……大丈夫?」
「ん? ああ。大したことではない」
「お茶、いる?」
「もらおう」
そう言って、ゼノルが本を脇にどけていく。
茶を淹れながら、ユナはゼノルに訊ねる。
「それにしても、すごい本だね。また読書に目覚めたの?」
「いや。ただ調べ物をしていただけだ」
「調べ物?」
「かつての聖女オリアンネについて、少しな」
銀盆を抱えるユナが、思い出したように言う。
「そういえば、あの王国史だか教団史だかを読んでた時、気になることが書いてあったって言ってたね。たしか、オリアンネ様は実は右目と左腕を失ってたとか……。結局あれから何かわかったの?」
「いや、わからなかった」
ゼノルが茶杯を手に取りながら答える。
「例の本はすべて読んだ。聖者の章も含めてな。だが肝心のオリアンネについては、不自然なくらい記述が少なかった」
ゼノルは続ける。
「紙面が割かれていなかったわけではない。むしろ他の聖者よりも文量は多かった。だが肝心の内容は、巷に流れる伝承をただまとめたようなものだったのだ。右目と左腕について一切触れていないばかりか、その生まれや晩年についても、まったく記述がない」
「へえ。でも……」
ユナが難しい顔で言う。
「オリアンネ様のことって、どんな本にもそんな感じでしか書かれてなくない? 昔のことだし、誰も知らないのかも」
「そう。思えばそれが妙なのだ」
ゼノルが言う。
「教団に多大な影響をおよぼし、一時はその頂点に立った聖女だぞ。記録がない方がおかしい。生まれはまだしも、その晩年が定かでないというのは明らかに不自然だ。意図的に秘されている可能性がある」
「言われてみれば……」
「というわけで、こうなっている」
ゼノルは事務机の本の山に目を向ける。
「関連しそうな屋敷の蔵書と、教団から送られてきた本を片っ端から調べているところだ。核心に迫る内容とまでは言わずとも、何か手がかりが記されているかもしれんからな」
「ふうん。でもゼノ君、屋敷の蔵書は昔全部読んだって……あ、読み飛ばしてたんだっけ」
「うむ」
「ふふっ。じゃあ読んでなかったところに書いてあるかもしれないね。何か見つかったの?」
「見つかった、と言えるほどではないが……」
ゼノルが本の山を見つめたまま言う。
「仮説のようなものは立てられた。オリアンネの左腕は、やはり義手だったのだろう。複数の伝承にそれを思わせるような記述があった。左の長手袋は決して外さなかった、などだな。隻腕だったことが伝えられていない一番の理由は……おそらく、オリアンネが聖女の力を示したのが義手を付けるようになってからなのだ。そしてそれ以降、人前で『左腕』を外すことはなかった。そう考えると、オレがこれまで抱いていたいくつかの違和感に説明がつく」
「ふうん……?」
ユナが小首をかしげて相づちを打つ。
いまいちピンときていない様子だった。聖女オリアンネが実は義手だったと聞いたとして、きっと多くの人間が同じような反応を返すだろう。
だがゼノルは、これこそがあらゆる神器に選ばれる聖女という存在の秘密に迫るものだと予感していた。
あるいは、現代の聖女ラニスの内心にまで迫りうるものだとも。
「……とはいえ、確証はないがな」
と、ゼノルは脱力して言う。
「いくらか読み飛ばしていたとはいえ、どれも一度は目を通した本だ。新たな発見と言えるほどのものはなかった。教団から送られてきた分も見込みは薄いだろう。他に期待できるとすれば……教会の蔵書か」
聞いたユナが、不思議そうに問い返す。
「それって、ネルハ様のところにある本ってこと? 送られてきた本と同じじゃないの?」
「基本的にはそうだ。教団は……十中八九、神器で写本を大量に作っているからな。どこの教会も蔵書は似通っているはずだ。だが教会によっては、教会長が独自に本を蒐集し、収蔵することもあると聞く。あのババアの個人的な蔵書であれば、あるいは……と言ったところか」
可能性はあると、ゼノルは見ていた。
前回、大教会の建設予定地で会った時に、意味ありげなことを言っていたのも気にかかる。
「……ねえ、ゼノ君」
その時、ユナがぽつりと訊ねる。
「オリアンネ様のことをそんなに調べてるのって……なんで? 単に、気になったから?」
「……三割くらいはそうだが」
「じゃあ、残りの七割は?」
「無論、聖女との縁談を断るために決まっている」
ゼノルは、ユナから目を離して言う。
「連中、まだあきらめていないようだからな。どんな手を使ってくるかわからん以上、反撃の糸口は常に探っておかなくては」
「ゼノ君……ほんとうにそれでいいの?」
「……どういう意味だ」
いぶかしげに問い返すゼノルに、ユナはうつむきがちに言う。
「聖女様……この前会ったけど、いい人そうだったよ」
「……」
「ゼノ君も、どうせ、いずれは……」
そこで、言葉が途切れる。
執務室に、気まずい沈黙が満ちた。
なんとなく、二人そろって扉をちらりと見る。
これまではこういう時、タイミング悪くスウェルスが闖入してきたものだった。
しかし、今は……期待に反し、扉は静かなままだ。




