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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第30話――――

 乳痢病の流行もすっかり収束した、秋口のある日。

 ユナは一人、領都の街を歩いていた。


 今日は休日だった。

 メイドに休日など、普通はない。だがロドガルド家は大貴族なだけあって昔から大量の使用人を雇い入れており、人手に余裕があるためか皆に定期的に休みが与えられていた。


「はぁ。まだまだ暑いなぁ」


 街を流れる運河の川面を眺めながら呟いて、ユナは編み籠のバッグを肩にかけ直す。

 早朝に、市で買い物をした帰りだった。目当ては裁縫に使う布きれと糸だったが、つい目移りして余計なものも買ってしまっている。


 とはいえ、給金は十分に出ている。普通にメイドの仕事にいそしんでいれば、金など貯まる一方だ。たまに無駄遣いしたくらいで困ることはない。

 だから大丈夫なんだと自分に言い聞かせ、ユナは屋敷に戻る道を急ぐ。

 その時。


「……あれ?」


 ユナは足を止める。

 小さな女の子が一人、道の端に立って何やら街路樹の上の方を見上げていた。

 その表情や、誰かに助けを求めたそうな仕草を見るに、どうやら困っている様子だった。

 ユナはその子供に歩み寄る。


「どうしたの?」


 女の子が答える前に、みゃあ、という鳴き声が上がった。

 ユナが声の方を見上げると……街路樹の枝に、白い子猫の姿があった。


「ミーちゃんが降りられなくなっちゃったの

 女の子が泣きそうな声で言う。


「うちに残した子だから、大事にしないといけないのに……」


 話を聞くと、どうやら白猫は女の子の家の飼い猫であるらしかった。

 女の子が遊び半分に外に連れ出した結果、興奮して樹に登ってしまって枝から降りられなくなってしまったのだという。

 女の子の家はビール工房であり、鼠を狩る猫はとても大事にされる。白猫は春に生まれたばかりの子猫で、その中でも一番元気でかしこい、父からも期待されている子であるようだった。


「お父さんに怒られちゃう……ねえお姉ちゃん。ミーちゃん助けられる?」

「う、うーん……」


 ユナが困り気味に街路樹を見上げる。

 白猫のいる枝は、かなり高いところにあった。

 猫が飛び降りられないほどの高さだ。飛び上がっても、指先すら触れられそうにない。

 怖いのか、白猫もうずくまって不安そうにしている。

 同じく不安そうな女の子を見て……ユナは笑って言う。


「……待ってて。お姉ちゃん、きっとなんとかしてあげるから!」

「ほんと?」


 女の子が期待に目を輝かせる。


 はしごを借りられれば……とユナは思う。

 ただ、あそこまで登れるはしごを都合よく借りられるどうか。借りられたとしても、幹に立てかけて猫のいる枝先まで手が届くかは微妙だった。

 それでもできることからやってみようと、はしごがありそうなところはどこだろうと顔を上げた……その時。


「こんにちは! 何かお困りかしら?」


 よく澄んだ声が、ユナの耳朶(じだ)を叩いた。振り返る。

 そこにいたのは、外套のフードを目深に被った少女だった。

 わずかに覗く人相と、薄紅色の髪。その声と併せ……ユナは少女の正体に気づいて声を上げそうになる。


「せ……っ!」


 とっさに自分の口を塞いだ。

 女の子は気づいた様子もなく、ユナにしたのと同じ説明を少女にも繰り返す。


「あのね、ミーちゃんが降りられなくなっちゃったの。ミーちゃんはうちの子でね、お父さんが……」

「ふんふん

 少女は女の子の前にしゃがみ込むと、その子供らしいわかりにくい説明をうんうんと頷きながら聞く。

 そして、立ち上がる。


「よし! ワタシに任せるのだわ!」

「ほんと!?」

「ミーちゃんのこと、すぐに下ろしてあげる!」


 自信満々に言った少女に、女の子が大喜びする。

 そんな彼女らを前に、ユナは若干気後れしながらも声をかける。


「あのう……はしご、借りてきます?」

「大丈夫、必要ないのだわ」


 ユナを正面から見据えた少女が、頼もしい笑みとともに言った。


「見ててね」


 妙な説得力のあるその仕草に、ユナは思わずこくりとうなずいて引き下がる。

 少女は、白猫のいる枝を見上げた。

 そして不意に、右足のつま先で地面をとんとんと鳴らす。

 次の瞬間――――少女は思い切り跳び上がって、猫の近くの枝を掴んだ。


「え、ええーっ!?」


 ユナが驚きの声を上げる。

 それは普通の人間なら、全力で飛び上がっても到底届かないような高さの枝だったからだ。


「んぐ……ミーちゃん、こっちよ! おいで!」


 枝にぶら下がる少女が、片手を離して白猫に差し伸べる。

 だが白猫は見知らぬ人間が怖いのか、身じろぎするばかりで少女に近寄ろうとしない。


「もう、こんなとこ登るくせに臆病なんだから!」


 少女は焦れたようにそう言うと、枝を掴みながら白猫へにじり寄った。

 そして片腕で自分を少し持ち上げると、空いた手を伸ばして白猫の首根っこをむんずと掴む。

 枝がみしみしと音を鳴らすが、折れる前に少女は手を離した。猫と共に、軽やかに地面に降り立つ。

 わさわさと枝がしなって葉が落ちる中、女の子が猫を抱えた少女に駆け寄る。


「わぁ、ミーちゃん!」

「はい! 今度は離しちゃダメよ?」

「うん! ありがとうお姉ちゃん!」


 飼い猫を受け取った女の子が、手を振りながら走り去っていった。

 それを見届けた少女は――――急に、地面にへたり込んだ。


「わっ、大丈夫ですか聖女様!?」


 ユナがあわてて駆け寄る。

 見ると、少女の顔からは血の気が失せており、大量の汗をかいていた。


「だ、大丈夫、なのだわ……」


 ラニスが顔を上げ、力なく笑って言う。


「ちょっと疲れた、だけだから……休んでいれば、治るのだわ……。これを使うと、どうしても、ね……」


 ラニスの視線の先には、右足首に巻かれた細身のアンクレットがあった。

 ユナは与り知らぬことだったが、それは『足輪』と呼ばれる神器だった。つま先を鳴らすことで発動し、使用者の身体能力を人間の限界を超えて強化する。

 代償として、使用後に極度の疲労が発生するという難点があったが……狼藉者を撃退するには十分であるため、教団から護身用にと預けられていたものだった。

 ラニスの様子を見ていたユナが、編み籠のバッグに手を入れながら言う。


「あの……よかったらこれ、どうぞ。さっき市で買ったものなんですけど……」


 差し出したのは、赤紫色のプラムだった。

 ラニスは一瞬きょとんとした後、笑顔になって言う。


「ありがとう! いただくのだわ」


 街路樹の木陰で、ラニスは受け取ったプラムをおいしそうに囓りだした。

 ユナはなんとなく、その隣にしゃがみ込む。


「『足輪』を使うと、すごくお腹がすくの。助かったのだわ」

「はあ、どういたしまして。それより、その……お一人で歩いていて、大丈夫なんですか?」


 ラニスはもぐもぐとプラムを食みながら、ユナの顔をじっと見つめる。


「……ごめんなさい。どこかで会っていたかしら? ワタシのこと知ってるってことは、顔を合わせたことがあるのだと思うけれど……ワタシ、たくさんの人と会うから、時々顔を思い出せなくて」

「あ、いえ! わたしが一方的に見たことあっただけなので。その、ゼノ君……ゼノル様のお屋敷で」

「え? じゃああなた、もしかしてゼノル卿のところで働いてる子?」

「は、はい。メイドです……」

「へー!」


 ラニスが意外そうに目を見開く。


「すごい巡り合わせなのだわ! 神の思し召しかも!」

「は、はは……」

「じゃあひょっとして……ワタシがしつこく求婚してることもご存じ?」

「……はい。使用人の間でも、噂になってたので……」

「アハ、なんだか恥ずかしいのだわ。ゼノル卿、ほんっとなびかないのよね! ねえあなた、何か知らない? ゼノル卿がなんで誰とも婚約しないのかとか、どういう女性が好みなのかとか。もしかして、愛人はいたりするのかしら?」

「そ、それは……」


 ユナは目を逸らしながら答える。


「わたしは、ただのメイドなので、よく……」

「それもそうなのだわ。変なこと訊いてごめんなさい」


 そう言って、ラニスはまた一口プラムを囓る。

 ユナは……思えば自分は、ゼノルのそういった事柄について何も知らないことに気づいた。

 さすがに愛人はいないだろうが、女性の好みはもちろん、頑なに縁談を拒み続ける理由も、本当のところはわからない。

 もやもやする気持ちを誤魔化すように、ユナはラニスに訊ねる。


「聖女様は、その……普段から、こうやって一人で人助けをしてるんですか?」

「さすがに普段はこんなことしていないのだわ」


 ラニスは苦笑しながら答える。


「今日は、そのままの街を見ておきたかったの。他の神官を連れていると、どうしても目立ってしまうから」

「そのままの街……ですか?」

「通りの雰囲気や、住民がどんなことを話しているのか、とかね。この街のことをよく知っておきたくて。ワタシがゼノル卿に要求を通すには……できるだけ、たくさんの人を味方に付けるしかないから」


 地面に目を向けながら、聖女は言う。


「神器はすごい力を持つけれど、それでも権力者を屈服させるには弱すぎる。人の世を動かすのはいつだって、大勢の人の力なのよ」

「はあ……」

「そうだ! あなたも、よかったら応援してくれない?」


 ラニスがユナに、笑顔を向けて言う。


「ワタシが辺境伯夫人になれたら、あなたたちの待遇もきっとよくしてあげるわ。だから屋敷の使用人たちに、ワタシのことをよく言っておいてもらえないかしら?」

「そ、それは……」


 ユナは戸惑う。

 ラニスの目的は、なんとなく察しがついた。


 屋敷の使用人たちは、貴族にとってもっとも身近な〝民衆〟だ。彼らをぞんざいに扱う当主も多いが、そういった者たちですら彼らの団結には神経を尖らせる。

 小さな材料ではあるものの、使用人たちの意向は、配偶者選びにおける一つの判断基準になり得るものだった。

 ユナの困惑を見て取ったのか、ラニスは急に手を振りながら言った。


「うそうそ。冗談なのだわ。メイドがワタシの手先みたいなことしてたら、目を付けられちゃうかもしれないものね」


 返答に困るユナを、ラニスはじっと見つめて言う。


「違っていたら申し訳ないのだけれど……あなた、クストハの生まれだったりしない?」

「えっ……!? そ、そうです。どうしてわかったんですか?」


 ユナは驚いてラニスを見返した。

 海向こうの国であるクストハの民は、見た目は王国人とほとんど変わりない。小さい頃に王国へやってきたユナが、これまで出身国を一目で見抜かれたことは一度しかなかった。


「なんとなく、ね。ワタシはたくさんの人に会ってきたから、雰囲気でわかるのだわ」


 ラニスは笑って言う。


「王国にはいつ頃?」

「十年くらい前に……」

「そう……じゃあひょっとして、政変で?」


 ユナがうなずくと、ラニスは同情するように言う。


「じゃあ、大変だったのね……。ワタシも」


 ぽつりと続ける。


「ずっと昔に、故郷をなくしたわ」

「あ……知ってます。生まれの村が、盗賊団に襲われたって……」

「と言っても、もうよく覚えていないのだけれどね。それこそ、あなたがここに来た時くらいに起こったことだから」


 聖女は儚げに笑い、それから迷うように問いかける。


「ねえ。あなたは……神を恨んでる?」

「え……?」

「クストハでは、全然違う神を信仰しているのでしょう? 彼らはあなたを、不幸から守ってくれなかった。そのことに怒りを覚えたりはしなかった? それとも、あまり信心深くはなかったかしら?」

「……いえ」


 ユナは、地面を見つめながら答える。


「どちらかというと、わたしの家は信心深い方だったと思います。でも……神さまを恨んでなんていないですよ」


 そう言って、ユナは小さく笑う。


「人間の社会って、やっぱり人間が責任を負うものだと思いますし。わたしが恨まないといけないとしたら、それは神さまじゃなくて人間なんだと思います。そもそもクストハの神さまって、こっちの神さまほどすごい感じじゃないですしね。それに……信仰で嫌な思いをしたこと、ありませんもん」

「……」

「お母さんに祈りの言葉を教えてもらったり、お祭りに行ったり……全部、いい思い出です。神さまを恨む気にはなれません」


 そこで、ユナは苦笑する。


「でもわたしも、もうあんまりよく覚えてないんですけどね、向こうのことは。小さい頃のことですし……今はもう王国民で、教団の信徒ですから。教会にだってちゃんと通ってるんですよ?」

「そう。それなら……これ以上、忘れないようにしないとね」

「え……?」


 ラニスが、どこか遠くを見つめるようにして言う。


「楽しい思い出なら、覚えておかなくちゃ。昔祈っていた神さまのことだって」

「……いいんですか? 聖女様がそんなこと言って。だって、教団の教えだと……」

「創神以外の神は、全部偽物って? アハ、どうでもいいのだわそんなこと。本物だろうと偽物だろうと、神さまなんて見たことないし」


 ラニスは立ち上がると、外套の裾を払いながら、ユナを見下ろして言う。


「プラム、おいしかったのだわ。なんだか少し喋りすぎちゃったかも。あなたには、不思議と話したくなっちゃって……。あの冷血卿も、もしかしたら案外、あなたみたいな子が好みだったりするのかもね」

「……。そんなこと……」

「気をつけないとダメよ? 油断してるとすぐ手を出されちゃうって、恋愛小説にも書いてあったから!」


 ラニスは踵を返す。


「ワタシがロドガルドに嫁いだら、そのときはワタシたち、友達になりましょう? それじゃあね!」


 そんなことを言い残して、聖女は駆け足で去って行った。


「……」


 ラニスの姿が見えなくなってからも、ユナはしばらくその場にしゃがみ込んでいた。


 聖女がゼノルと結婚する。

 ありえないとは言い切れなかった。

 ゼノル自身は執拗に婚約を拒んでいるが、跡継ぎのためにいつかは妻を迎える必要がある。そのいつかが、今回でないとは限らない。


 いい人そうだと、ユナは素直に思った。

 身分を隠して街を見回っていたにもかかわらず、困っている子供を助けるために神器まで使った。聖女としての役割を演じているわけではなく、根が善人なのだろう。


 ロドガルドに嫁いできてくれれば、きっと自分たち使用人のことも、大事にしてくれるに違いない。

 しかし。


「……」


 街路樹に背を預け、ユナは強く膝を抱える。

 胸の内は、ずっともやもやしたままだった。

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