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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第27話――――

 ゼノルが乳痢病の対策を講じ始めてから、十日。

 流行ははっきりと、収束の兆しを見せ始めていた。


 ゼノルを恐ろしい領主だと思っている領民たちは、比較的素直にその意向に従う。兵を動員したこともあってか、飲めと言われた物はきちんと飲み、使うなと言われた井戸やゴミ捨て場は、言われたとおりに使わなかった。


 しかしそれ以上に、対策自体の効果が高かったことが、収束の要因と言えるだろう。

 水に塩と蜂蜜を溶かしたものを飲み続けた発症者は、その多くが回復した。すべての患者に無償で配付したことも相まって、ロドガルド領都の流行における乳痢病の死亡率は、通常では考えられないほどに低減した。また可能な限り患者を隔離し、原因となった井戸を封鎖したことで、それ以上の患者の発生も防いだ。


 結果的に、ゼノルの打った手は――――ラニスの『ナイフ』による地道な活動よりも、はるかに大きな効果を上げることとなった。



**



「こんなの、完全に想定外だったのだわ……」


 朝。教会の一室で、ラニスはうめいていた。

 今日もまた病める民を救うため、街に出ることになっている。

 だが、その表情は忌々しげだ。


「水と塩と、蜂蜜ぅ? もう、そんなんで治るんなら神器なんていらないじゃない!」


 ゼノルの講じた乳痢病対策は、ラニスの耳にも聞こえてきていた。

 水に少量の塩と蜂蜜を溶かしたものを、患者に飲ませ続ける。そんな治療法を、ラニスは最初あざ笑った。そんな方法で治るわけがない。苦し紛れの、領民を助けるポーズにすぎない策だと。


 だが、その治療法がはっきり効果を見せ始めたと聞くと、ラニスの顔は引きつった。

 ゼノルの策によって流行が収まり始めた段階までくると、その理不尽さに怒りすら覚えた。


「そんな治療法、教会のどんな医学書にだって書いてなかったのに! なんで今突然、ゼノルがそんなもの思いつくのよ!」


 ラニスは当然、トレヴァーという常軌を逸した医者の存在を知らない。

 ゼノルが突然打ち出したと思っている治療法が、トレヴァーが自分自身を使って行った、狂気の人体実験の産物であることなど想像もつかない。

 そのような人材を見出す、ゼノルの慧眼についても。


「しかも無償配付って……普通、領主はそこまでしないのだわ。完全に、領民のワタシに対する支持を奪いにきてる……」


 状況は悪い。

 乳痢病の発生に対し、効果的かつ慈悲深い対策を講じたゼノルの評判は、確実に上がっていた。これまでに稼いだ優位を、巻き返されかねないほどに。

 それでも。


「……まだ勝負はついていないのだわ」


 ラニスが唇を噛みしめて言う。


「乳痢病が収まってしまえば、冷血卿はこれ以上領民の支持を集められない。でもワタシは違う。『ナイフ』を使えば、どんな傷病を患っている者だって治せる。病める民衆を探して治して、支持を広げ続けることだって……」

「ラニス様」


 その時、室内にラニスを呼ぶ声が響いた。

 入室してきた、ダグライのものだった。

 ラニスは上級神官を振り返って問う。


「なにかしら。今日は、あなたもついてくるつもりとか?」

「いえ」


 ダグライが短く否定し、真剣な顔で続ける。


「ゼノル卿に動きが。少々まずい手を打たれました」

「こ、今度はなに?」


 明らかに聞きたくなさそうな顔で、ラニスが訊ねた。

 ダグライが説明する。詳細がわかるにつれ、ラニスの顔が、だんだんと引きつり始める。

 説明が終わるやいなや、ラニスは立ち上がった。


「ワタシも直接確認するのだわ。案内して!」

「……かしこまりました」


 護衛の神官たちに声をかけ、彼らも伴いながらラニスは教会を出る。

 ダグライの案内で向かった先は、教会から最も近い場所にある、街の掲示板だった。

 それは主に、領主や参事会からの告知などが貼り出される場所だ。

 春の減税も、乳痢病の拡大防止策も、その旨を記した紙が街の各所にある掲示板に貼り出される形で告知された。


 掲示板の前には、数人の市民が集っていた。聖女の姿に気づいた彼らは、皆驚いたような顔をして、それから目を逸らし、そそくさと去って行く。

 そのよそよそしい反応に、ラニスはゼノルの策が、完璧に嵌まってしまったことを悟った。


 ラニスは掲示板に歩み寄る。

 そこには、真新しい告知の紙が一枚、貼られていた。


 内容は、おおむねダグライが話したとおり――――ラニスにとっては最悪のものだった。

 貴族らしい大仰な文体で書かれたそれを要約すると、以下のようになる。


『聖ラニスに対し、これまで行った慈善活動の褒賞として、約束どおり王国金貨一〇〇〇枚を与える。さらには今後、領民を一人治療するごとに金貨一枚を支払うという条件も呑む。また可能な限り様々な便宜を約束するし、参事会全員の署名をした感謝状も贈る。これで勘弁してほしい。伝染病も流行っちゃって今大変だから、どうかこの街に住む者たちを見捨てるなんて言わないでほしい。もしこれでも不満なら、また話し合おう。――――ゼノル』


「……」


 実際の文面は、ダグライの説明以上にひどいものだった。

 ラニスは、以前に自分で言った言葉を思い出す。


『――――見返り目当ての善行なんて、すぐに気づかれる。そういう偽善は時に、ものすごく嫌われる原因になるの』


 思わず、引きつった顔で呟いた。


「本当に……なんてことしてくれるのよ、冷血卿」

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