――――第21話――――
ヤマラが去って、ほどなく。
ゼノルとスウェルスは、共に執務室で難しい顔をしていた。
「……ヤマラ殿はああ言っていましたが」
スウェルスが、ゼノルの様子をうかがいながら口を開く。
「本当に、聖女様はあの『ナイフ』を使っているのでしょうか」
「おそらくな」
ゼノルが椅子の背もたれに身を預け、腕を組みながら言う。
「奴が領都の病人や怪我人を妙な方法で治して回っているというのは、事実なのだろう?」
「ええ」
スウェルスがはっきりとうなずく。
「現在も比較的貧しい地区を中心に、護衛の神官を引き連れた聖女様が傷病者を訪ねて回っているようです。治療の対象となるのは、浮浪者などが多いようですが……体調がよくなる程度に留まらず、足を悪くしていた者が歩けるようになったり、失明していた者が視力を取り戻すなど、奇跡のような事例が何件も報告されています。〝仕込み〟を疑って裏を取らせましたが、患者はすべて実在しており、病に苦しんでいたことも確かなようでした」
「そのうえ、だ。奴はなにやら小瓶に入れた赤い液体を病人に飲ませたり、患部に垂らしていたそうではないか。さらに、自身の右腕には包帯を巻いていたと」
スウェルスの説明を引き継ぐように、ゼノルは言う。
「『ナイフ』は、使用者から流れた血を万能薬に変える神器だとされている。小瓶の赤い液体があの女の血なのだとすると……神器の正体を疑う余地はないだろう」
「そう、ですね……」
スウェルスが言葉を詰まらせる。
その煮え切らない様子に、ゼノルがいぶかしげな目を向けると、スウェルスはぽつぽつと続ける。
「いえたしかに、状況を見ればそうとしか考えられないのですが……やはり、にわかには信じがたいものがあるな、と。『ナイフ』など、聖者モーフィの逸話でしか聞いたことのない、伝説の神器ですから」
「まあそうだろうな」
「今さらですが……やはり聖女様は聖女様ということなのでしょうね。普通に考えて、『箱』に加えて『ナイフ』にも選ばれることなど、確率的にありえません。すべての神器に選ばれるという特性を、持っていない限りは」
「……そう、だな」
ゼノルが、わずかに眉をひそめて言う。
「『箱』と『ナイフ』のみならず、奴は二人目の聖女と呼ばれるようになるまでの間に数多くの神器を扱ってきただろう。それらすべてに選ばれていたとなると、たしかに普通の人間、普通の聖者だとは言えんな。まさしく、聖女といったところだが……」
そう言いながらも、ゼノルは疑問を覚え始めていた。
あらゆる神器に選ばれるという奇跡の特性を持つ少女は……いくらか奇矯なところはありながらも、普通の人間のように見えたからだ。
そもそも……あらゆる神器に選ばれるなどということが、ありうるのだろうか?
選ばれにくい神器に選ばれたからといって、選ばれやすい神器にも選ばれるとは限らない。ロドガルド家の始祖以降、約七百年間誰も扱えなかった『聖剣』を扱えるゼノルも、『夜』や『鍵』には選ばれなかった。このあたりの基準について、教団は神に与えられた資質がどうとか言っているが、ゼノルは純粋な確率だと考えている。一千万分の一の籤に当たったからといって、次に振ったサイコロで六を出せるとは限らない。
では――――聖女とはなんなのか。
「して……どうされますか、ゼノル様」
スウェルスの心配そうな声に、ゼノルは思考の水底から引き戻される。
「さすがに今回は、放置するわけにもいかないかと思うのですが……」
「そうだな」
ゼノルは表情を険しくしながら言う。
「表だけを見るならば、奴はオレの領民を勝手に健康にしてくれているわけで、歓迎こそすれ厭う理由などない。だが……裏まで見れば、状況は非常にまずいことがわかる」
ラニスの行動には、ゼノルが警戒するだけのものがあった。
「傷病を癒す力は、代えられるものがない。どんな名医でも『ナイフ』の権能にはおよばんだろう。だからこそ、あの女は力を持つ。今はまだ貧民を癒している程度だが、いずれは領内の有力者が噂を聞きつけ、自身の病を治してもらおうと呼び寄せるようになるだろう。それはやがて、他の領地、他の貴族にも波及する。そうして起こるのは、聖女の取り合いだ。それを利用すれば、あの女はいくらでも金や便宜を引き出せるようになる。反面オレは、聖女を巡る混乱を抑えるために奔走させられるというわけだ」
それはラニス以前に『ナイフ』を扱える者がいた過去の時代にも、起こっていたことだった。
ゼノルは続ける。
「それだけならまだマシだ。金や権力ならすでに、奴は教団のそれを利用できる立場だ。これ以上増えてもさして影響はない。本当の問題は……奴が、民衆の支持を集めすぎることだ」
「そうですね……」
スウェルスもうなずいて言う。
「聖者モーフィにも、彼に恩義を感じたり、感銘を受けたりして崇拝するようになった者が多数現れたと言われています。もしも教団の聖者認定を受けていなければ……別の宗教が生まれていたほどだったとも」
「そうなれば手に負えん」
ゼノルが、こめかみに指を当てながら言う。
「ヤマラは強さとは数だなどと言っていたが、それも一理ある。領内に強力な指導者が現れることは、領主として防がねばならんことの一つだ。領民が団結し、反乱でも起こされればたまったものではないからな」
「聖女様の場合、そこに財力や権力まで乗せることができますからね……。教団のみならず、領内の有力者や他の貴族まで背後に構えられるとなると、ゼノル様に対して相当な交渉力を持つことになります」
「その交渉力で婚約を迫られれば、撥ねのけるのは容易ではないな」
重苦しい様子で言うゼノルに、スウェルスは問いかける。
「何か、対抗策はおありなのですか? 一応、ヤマラ殿にあらためて助力を乞う手はありますが……」
「だから、その選択肢はないと言っているだろう」
ゼノルは顔をしかめて言う。
「所詮連中は教団の中でも傍流。手を結ぶなど泥船に乗るようなものだ。だからこそあれほどはっきり拒絶して見せたというのに」
「そう、なのですか……? しかし、聖女様の手に対抗するためには……」
「あの女に勝てればそれでいいわけではない。オレは、その先も見据えねばならんからな」
ゼノルはそう断言すると、未だ納得していない顔のスウェルスに言う。
「案ずるな。対抗策は一応、いくつか考えている。今は様子見の時期だな」
「はあ……ですが時間が経つほどに、聖女様の評判は広がっていきますが……」
「まあ見ていろ」
ゼノルは窓の外に目を移しながら言う。
「何事にも、適切なタイミングがあるものだ」
**
それから約半月後。事態は動きを見せた。
「ゼノル様、まずいことが」
深刻な顔で執務室に入ってきたスウェルスが、資料を片手に報告する。
「貧民地区で流行の兆しがあった乳痢病ですが、ここ最近になって急速な拡大を見せています。さらに先日、別の地区でも発症者が現れました。このままでは最悪、領都全域での大流行に繋がりかねません」
乳痢病とは、都市などで時折大規模に発生する、流行病の一種だ。
激しい下痢が特徴的で、悪ければ発症から数日で死に至る。この病が知られるようになってすでに百年が経つが、未だに原因は不明で、有効な治療法も見つかっていなかった。
表情を変えないまま黙って聞くゼノルに、スウェルスはさらに続ける。
「加えて……どうやら発症者のもとに、聖女様が訪れているようなのです。神器の力によって乳痢病が治るのだという噂が、民の間で流れ始めています。『ナイフ』の権能は、こういった流行病にもやはり有効なようですね……。一応、聖女様の行動によっていくらかは流行拡大が抑えられそうですが……おそらく限定的かと」
『ナイフ』の権能は、使用者の血をあらゆる傷病を癒す万能薬に変えるというものだ。
血を流す必要がある以上、治療できる患者の数はどうしても限られる。乳痢病が本格的な広がりを見せれば、焼け石に水だ。
ただそれでも……民衆は、自分たちのために傷つく聖女を、熱烈に支持することだろう。
「いかがされますか、ゼノル様。このまま手をこまねいていれば、領民に病死者が増えるとともに聖女様の支持まで拡大していくという、二重苦の状況に陥りかねません」
「……なるほどな」
ゼノルは事務机の椅子から立ち上がりながら言う。
「だからこのタイミングだったというわけか。報告が遅いぞ、スウェルス」
「ゼ、ゼノル様? どちらへ……」
「今朝方、連絡が入った」
執務室の扉に手を掛けて、ゼノルは答える。
「聖女が来る」




