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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第20話――――

「聖女様は『ナイフ』を使われているものと考えます。ゼノル卿」


 スウェルスの報告から、数日後。

 前触れもなく、再び屋敷を訪ねてきた上級神官ヤマラは、話も早々にそんなことを言った。

 ゼノルは表情を険しくする。


「ふん……やはり『ナイフ』か。聖者モーフィが選ばれていたという、伝説級の神器。たしかそれを用いて自らの体を傷つけると、流れた血はあらゆる傷病を癒す万能薬となるのだったな」

「恐れながら、あらゆる、というとさすがに語弊があります。不治の死病や、死に瀕するほどの重傷など、癒しきれない傷病は存在しますので。ただそれでも、医者が匙を投げるほどの患者を治すことができる、奇跡の神器であることは確かです」


 ヤマラは微笑とともに言う。


「しかも『ナイフ』は『箱』などと違い、選ばれた者でなければほとんど効果を発揮しません。今この時代、使用できるのはおそらく聖女様だけでしょう。その権能と併せ、まさしく伝説級と呼ぶにふさわしい神器です」

「はっ。実に結構なことだ」


 ゼノルは皮肉交じりに言う。


「その奇跡の神器で領民を癒してもらえるのならば、領主としては願ってもない。ただし……それだけで済めばの話だがな」

「卿の懸念はもっともでございます」


 ヤマラが微笑のままうなずく。


「『ナイフ』はその権能の貴重さゆえ、これまでに多くの争いを生みました。傷病を癒す力は、誰もが求め、同時に決して敵に渡すわけにはいかないもの。聖者モーフィも、最後には不審な死を遂げました。聖女様がどのようなおつもりなのかはわかりかねますが……近く混乱が起こっても、不思議ではない状況であると推察いたします」


 無言を返すゼノルに、ヤマラは指を組みながら言う。


「そこで……いかがでしょう、ゼノル卿。あらためて、我々の助力を受け入れては」

「……」

「両替騒動での一件は、見事の一言に尽きました。『箱』による無尽蔵の資金と、聖女様の求心力に真っ向から挑み、あれほどあざやかに領民の支持を取り返してしまわれるとは。卿の手腕に感服したしだいでございます。あるいは今回の一件についても、我々の力など必要ないのかもしれません……が、わざわざご自身の手を煩わせる必要もないでしょう」

「……」

「ぜひお力添えしたく存じます、ゼノル卿。同じ教団の者だからこそ、取れる手もございますので」

「……どうやら、貴殿は少々思い違いをされているようだ」


 その時、ゼノルが長椅子の背もたれに体重を預けながら、おもむろに言った。


「助力ならすでに、オレは十分すぎるほど受けている。このたびの情報提供も感謝するぞ、ヤマラ殿」

「……。いえ、この程度は……」

「この程度のことで力を貸したと思うな、などとのたまうほど、オレは厚かましくないとも。こう見えて、民に慕われる善良な領主を目指しているのでな。ましてや、臣下でもない者に過剰な献身を求めるなどという、道理に合わんことなどできるはずもない」


 ねぎらいにも似た言葉はその裏側に、ヤマラのこれ以上の踏み込みを許さない、明確な拒絶を孕んでいた。

 ゼノルは微笑を浮かべて続ける。


「ここまでさせてしまったからには、褒美も出さねばな。楽しみにしておくがいい」

「……恐れながら、ゼノル卿もまた、思い違いをされていることと存じます」


 ヤマラは不意に、顔に貼り付けていた微笑を消し、真剣を帯びた声音で言った。


「私は決して、見返り目当てに卿へご提案差し上げているのではございません」


 無言を返すゼノルに、ヤマラは続ける。


「金銭も利権も便宜も、何も望みません。卿に取り入ろうというつもりは欠片もございません。我々が望むのはただ、聖女様のみ。このたびの縁談がご破算となれば、それで十分なのでございます」

「……ふむ。それはそれで、大貴族の主としては寂しいものがあるが」


 様子の変わったヤマラにも、ゼノルは余裕のある態度を崩さない。


「貴殿としては、聖女殿には今後も苦しみ迷う民のため、力を尽くしてもらいたいのだったな。そのために、結婚などされては困ると」

「ええ、ええ。そのとおりでございます」


 ヤマラは再び、微笑をその顔に貼り付けて言う。


「聖女様にはぜひとも、オリアンネ様のような存在になっていただかなくてはなりませんので」


 それはどこか、狂信的にも聞こえる言葉だった。

 黙って聞いていたゼノルは、やがて鼻で笑いながら言う。


「ふっ。ならば、貴殿にとって朗報がある。聖女殿との縁談は、実はすでにオレの方から断ったのだ。情報通らしい貴殿も、どうやら民の間で流れていた噂までは耳に入っていなかったようだな」

「……もちろん、それは聞きおよんでおりました。しかし正式に断られた程度のことで、ダグライや聖女様があきらめるとは思えません。このたびの治癒騒動が、再び婚約を迫る策の一環であると、卿も考えていたのでは?」

「そうなのか? いやまったく、そのような考えには至らなかった。なにせ縁談を断って以降、聖女殿からの連絡など一切なかったのでな」


 しらじらしく、ゼノルがのたまう。


「貴殿の思い違いということもあるだろう。オレが危惧していたのも婚約云々ではなく、聖女殿の噂が広がることによって起こる混乱の方だ。神器の情報を提供してくれたことに関しては感謝するが――――それ以上の助力は、求めていない」

「……なるほど。承知いたました」


 ゼノルの決定的な拒絶の言葉に、ヤマラは退く姿勢を見せた。


「たしかに、私の思い違いだったかもしれません。自らの使命を前に、少々気が逸っていたようです。無礼をお許しください」

「許そう。寛大さもまた、善良な領主の条件であるからな」

「感謝いたします。……ときに、ゼノル卿。力の本質とは、何だとお考えですか?」


 唐突に向けられた問いに、ゼノルはわずかに目を細めて言う。


「さてな。いかようにも答えられそうな問いではあるが……まずは貴殿の考えを聞こうか、ヤマラ殿」

「数、でございます」


 ヤマラは微笑を顔に貼り付けたまま、間髪入れずに答えた。


「論争や政争の本質は、その実どれだけ多くの味方を得られるかの競い合いです。その結果がたとえ不合理なものであったとしても、数という暴力を背後に構えられれば、それを覆すことは容易ではありません。もちろん……より原始的な暴力のぶつかり合いである、戦争においては言うまでもないでしょう」

「……」

「かつての教会戦争では、多数の農民兵に王や貴族の兵たちが苦しめられました。人心を掴む聖女様の才を、あまり軽く見られない方がよいかと存じます、ゼノル卿」


 無言のまま視線を鋭くするゼノルを前に、まるで怯むことなくヤマラは告げる。


「あれはいずれ――――真に聖女となられるお方なのですから」

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