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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第19話――――

 孤児のティメオは、路上に座り込み、一人うなだれていた。

 目は開いているが、視界に広がるのは白い靄のような景色だけ。陰影の移り変わりで、かろうじて人の気配がわかる程度だ。


 初めは、まぶたが腫れる程度だった。

 すぐに目やにがひどくなり、異物感に苛まれるようになった。涙が止まらなくなって、孤児の仲間からは『目ぇ真っ赤だぞ』などとからかわれた。


 症状はどんどん悪くなっていった。眩しく感じていた光はしだいに痛いほどになり、目を開けているのも辛くなった。物を見ようとしても、ぼやけてよく見えなくなった。

 刺すようだった眼球の痛みは、ある時から急に和らいだ。だがそれと引き換えに、視界のほとんどが失われてしまった。


「なんだよ、これ……」


 仲間たちの中では、一番喧嘩が強かった。見よう見まねの剣術だって、誰よりも上手くできた。

 もう少し大きくなれば、ロドガルド軍の入隊試験を受け、待遇のいい正規兵としての道もひらけるかもしれないと思っていた。

 だが今となっては、日々の暮らしすらままならない。市の配給に頼れない日は、路上で恵みを乞うしかない。


「なんでおればかり、こんな目に……」


 涙が頬を伝う。ティメオの嘆きとは無関係に、それは今や常に流れるものになっていた。

 その時――――目の前に、人の気配が現れる。


「あら? あなた……もしかして、目が見えないのかしら」


 耳に心地良い、女の声だった。

 ティメオは顔を上げる。

 白く濁った視界の中に、微かに人影が映った。三つか、四つ。声からして、そのうちの一人は女なのだろうとティメオは考える。


「ああ……そうなんだ。何も見えないんだ。恵んでくれ、頼むよ……」


 哀れみを誘うような声を出す自分を、ティメオは情けなく思う。


「ふうん?」


 不意に、人影の一つが自分にぐいと顔を寄せてきた。

 教会で焚かれる香の香りとともに、嗅ぎ慣れない女の匂いが鼻腔を刺し、ティメオはどきりとする。


「これくらいならいけそうなのだわ」

「……え?」

「あなた、ちょっとじっとしててね」


 女が言い終えるやいなや、背後に控えていた人影が二人分動いた。

 屈強な腕が左右からティメオを押さえ、両の瞼を強引に開かされる。


「お、おい、何する気だ!?」

「大丈夫」


 女が、穏やかに答える。


「奇跡をあげるのだわ」


 次の瞬間――――目に液体が落ちるとともに、白かった視界が赤黒く染まった。


「う……っ!」


 得体の知れない感覚と熱に、ティメオはたまらず瞼を閉じる。

 目を擦りたかったが、両腕はまだ押さえられておりままならない。


「お、おれに何したんだ!?」

「うーん……もうそろそろいいかしら」


 ティメオの叫びにも、女は暢気な調子で言う。


「目を開けてみるのだわ」

「……?」


 ティメオは、思わず怪訝な顔をした。

 同時に、気づく。

 ずっと感じていた、眼球のずきずきした痛みが、消えている。


 ティメオは、恐る恐る瞼を開ける。

 光があった。


「っ……!」


 数ヶ月ぶりにまともに見た光は、目が眩みそうになるほどだった。

 しかしティメオは、それでも取り憑かれたように光を見続ける。

 やがて慣れてきたのか、視界が像を結んできた。自分の目の前にいる人物のことも、しだいに見えるようになる。


「あ……」


 それは聖職者らしい衣服を身に纏った、自分より年上の少女だった。

 光に透けるような薄紅色の髪に華やかな顔立ちは、神官とも異なる雰囲気を発している。

 大柄な神官たちを伴い、眩しい輝きの中に立つ少女は、ティメオの目には神々しく映った。

 ティメオは思わず、目の周りを触れるようにしながら言う。


「見える……! 見える、見える! ずっと……ずっと何も見えなかったのに!!」

「アハ、よかったのだわ」

「あんたが……おれを、治してくれたのか……?」


 包帯の巻かれた少女の右手には、赤い液体の入った小瓶が握られていた。

 先ほど自分の目に入れられたのが、その液体であること。そして……それが少女自身の血であることを、ティメオは直感する。

 少女がうなずく。


「ええ」

「あんたは……もしかして、神さま、なのか……?」

「アハッ! 神さまだって」


 少女が笑う。

 まるで、馬鹿馬鹿しい冗談を聞いたかのような反応だった。


「そんなわけないのだわ。ワタシはラニス。みんなからはよく、聖女だなんて呼ばれているのだわ」

「聖女、さま……?」


 孤児のティメオであっても、二人目の聖女の噂は聞いたことがあった。

 初代聖女オリアンネ以来、八百年ぶりに現れた、あらゆる神器に選ばれるという奇跡の聖者。

 ティメオは、言葉を途切れさせながら言う。


「そんなすごい人が、おれに……あ、ありがとう。だけど……おれは聖女さまに返せるものを、何も持ってないんだ……」

「そんなのいいのだわ。ワタシが勝手にやってるだけだから。でも、もしできるなら……」


 ラニスが、笑みを深めて言う。


「応援してほしい」

「え……?」

「ワタシのこと、応援してくれるかしら?」

「も……もちろん!!」


 その意味はわからないながらも、ティメオは激しくうなずく。


「おれなんかでよければ、応援するよ!」

「ほんとー? ありがとう! うれしいのだわ!」


 ラニスは華やかに笑う。


「そうだ。あなた、他に病気で困っている人を知らないかしら? ワタシは今、そういう人たちを助けて回っているところなの」

「し、知ってる! 何人か……。おれが案内するよ! 目、見えるようになったから、どこでも案内できる!」

「ほんとー? 助かるのだわ!」


 ラニスは目を細め、思わず聴き入ってしまいそうなほど、きれいな声音で言った。


「あなたにも、神の祝福を」

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