――――第18話――――
それから、さらに半月ほど経った頃。
「失礼します、ゼノル様」
スウェルスが執務室に入室すると、分厚い書物を読みふける主の姿が目に入った。
「その本は?」
スウェルスが訊ねると、ゼノルは本に目を向けたまま答える。
「個人的な読書だ。最近、ようやく時間が取れるようになってきたのでな」
「でしたら、悪いお知らせがあります。仕事です」
スウェルスはそう言いながら、書類の束を事務机に置く。
ゼノルはそれをちらりと見ると、溜息をつきながら本に栞を挟んで閉じた。
「やれやれ。貴様、たまには仕事以外のものを持ってこれんのか」
「残念ながら、仕事をお持ちするのが私の職務ですので。それ以外のものをお望みなら、ユナさんにでも頼んでください。そちらの方がゼノル様としても喜ばしいでしょう」
「……」
ゼノルは自らの野望を、スウェルスには明かしていない。ユナと幼なじみであることは屋敷の人間などから聞きおよんでいるだろうが、それだけであるはずだ。
だがこの優秀な補佐官は、どうにもある程度のところを察しているかのようなそぶりを見せることが、たまにあった。
ゼノルは誤魔化すように言う。
「まあたしかに、見飽きた眼鏡に持ってこられるよりはずっといいな。で、用件は書類だけか?」
「いえ、いくつか報告が」
スウェルスが眼鏡を直しながら言う。
「現在領民たちの間で、領都近郊に大規模な盗賊団が根城を作っているという噂が流れています」
「なに?」
ゼノルが視線を鋭くして言う。
「確かか」
「噂が流れているのは確かです。しかし、盗賊団に関しては確かとは言えません」
「……どういうことだ」
眉をひそめるゼノルに、スウェルスが説明する。
「流言である可能性が高いということです。密偵を使って調査をさせましたが、噂の出所も、根拠も不明。根城の大まかな場所すら曖昧です。そもそも現時点で領内に大規模な盗賊団は存在せず、よそから流れてきたという情報も入っていません。おそらくですが、一昨年カダルグらによって壊滅させた山賊についての情報が、今になって流れ噂となったのではないかと」
「ふむ……」
「ただ、確実とは言えません。念には念を入れ、軍を動かして調査させる選択肢もあるでしょう。軍の指揮権は私にはありませんので、ゼノル様の判断にお任せします」
「……そうだな」
ゼノルは腕を組むと、わずかに思い悩んだ後に告げる。
「まあ、用心するに越したことはあるまい。各地の指揮官に通達し、調査させるとしよう。杞憂に終わるとは思うが」
「了解いたしました。私の方でも引き続き探っておきます。それと、もう一つ。噂と関連している可能性もある情報なのですが」
「なんだ」
スウェルスが一拍置いて告げる。
「領内およびその近郊の市場にて、武具が買いあさられているようなのです」
「……武具が?」
「ええ。すでに相場は若干高騰し始めており、商人たちの間では噂になっているようです」
「……」
ゼノルが口元に手を当て、思考を巡らせる。
「……戦争や内乱の兆しがあれば、そのような現象が起こることもある。オレの領地で戦争といえば、なにより異民族だが……侵攻の気運が高まっているなどといった情報は、入ってきていないな」
「隣接する他の領地についても、特に不穏な様子はありません。加えて、妙な部分もありまして……買いあさられている武具に、偏りが見られるのです」
「偏りだと?」
「剣や手斧、槍、それと矢などは品薄になってきているのですが、弓に関してはほとんど高騰が見られません。防具についても、買いあさられるのは鎖帷子や板金鎧ばかりで、革鎧はむしろ余っています」
「……なんだそれは」
ゼノルが表情を険しくして言う。
「矢が品薄であるのに、弓が余っているだと? 何かの間違いでは……いや」
その時、ゼノルが思いついたような顔をする。
「鉄資源、か……? 高騰している武具の共通点は、金属が使われていることだ。どこか大きな鉄鉱山の運営に支障が出て、鉄材の高騰を見越した何者かが今のうちに買いあさっている可能性がある。スウェルス、今すぐ調査を……」
「しました」
スウェルスがあっさり答える。
「私もその可能性を鑑み、王国内の主要な鉄鉱山をすでに調べさせました。結論として、どこも運営状況は良好。ついでに燃料費高騰の兆しも見られないため、製鉄にも影響はなさそうです」
ゼノルが肩すかしを食らったように天井を仰ぐ。
「……では、なんなのだ」
「わかりません。しいて気になる点を挙げれば、ゼノル様に反心を抱く者たちの存在ですが……」
「連中にそんな資金源はあるまい」
一蹴したゼノルが、顔を戻して言う。
「仕方ない。しばらく様子を見よう」
「それしかなさそうですね。私も状況を注視しておきます」
と、その時。
「ゼノル様、お茶をお持ちしましたぁ……」
執務室の扉が開き、いつものように銀盆を手にしたユナが顔を覗かせた。
スウェルスは一瞬ちらとそちらに目を向けると、ゼノルにきびきびと告げる。
「どうやら仕事以外のものが来たようですね。では私はこれで」
そのまま踵を返すと、スウェルスは足早に執務室を出て行った。
その様子を不思議そうに眺めていたユナが、ゼノルに問いかける。
「なに? 仕事以外のもの?」
「こちらの話だ。気にするな」
そう言って、ゼノルは淹れられた茶に口を付ける。
銀盆を抱えるユナの目が、ふと事務机に置かれた本にとまった。
「あ、けっこう読み進んだねー」
挟まれた栞の位置を見て、ユナが言った。
「時間、とれるようになったの?」
「ああ。最近になってようやくな」
「よかったね。それ、おもしろい?」
「興味深くはあるが……思っていたのとは少々違ったな」
ゼノルが本を手に取りつつ、わずかに顔をしかめて言う。
「王国史というよりは、ほとんど教団史だ。教団の本部が王国にある都合、一応王国の歴史にも紙面が割かれているが、補足程度だな」
「そういえば教団ができたのって、王国の成立より何百年も昔だっけ。よく考えたら聖地とかも、だいたい王国外にあるもんね」
ユナが問いかける。
「今どこらへん? 半分以上読んだなら、教会戦争のあたりとか?」
「そうだが……」
教会戦争はおよそ三百年前、教団が王や貴族らと激しく対立し始まった。
神器による莫大な経済力と武力を警戒した権力者が、教団の力を法によって削ごうとし、教団側がそれに反発する形で紛争へと発展した。
教団の兵力である教会騎士団が史上最も多く動員されたほか、教団を支持する領主たちも兵を出し、圧政に苦しんでいた民衆などもそれに呼応して蜂起しため、複数の国に跨がった大規模な争いになったと言われている。
ゼノルが渋い顔で続ける。
「ただ、この本は古代から順に書かれているわけではないからな。たまたま真ん中あたりに記されていたのが教会騎士団の章だっただけにすぎん」
「えっ、歴史の本なのに、成り立ちから順番に書かれてないんだ」
「ああ。おかげでしょっちゅう時代が飛び、読みにくくて仕方ない」
「へー、攻めてるね。ゼノ君、昔はそういう本好きだったけど」
「見栄を張っていただけだ」
「あはっ、ふふふっ」
くすくすと笑うユナ。
と、そこで、思い出したように言う。
「あ、教団史ってことは、じゃあオリアンネ様のことも書いてある? この前ゼノ君、ネルハ様とそんな感じのこと話してたけど」
「ああ。聖者の章はこの後であるため、詳しい内容はまだだが、他の章にも断片的に記述があった」
「へー。なんか参考になること書いてあった?」
「参考になるとは言いがたいが……いくらか、興味深い記述はあったな」
ゼノルが、本の表紙に視線を落として言う。
「たとえばだが、聖女オリアンネは幼い頃に、左腕と右目を失っていたらしいのだ」
「えっ……そうなの?」
ユナが意外そうに目を見開く。
「全然知らなかった」
「オレもだ」
「でもさ、聖女様の絵ってよくあるけど……左腕も右目も描かれてるよね? もしかして、大怪我が治る神器があるとか?」
「病を癒す神器はあるが、なくなった腕を生やすほどの効果だとは聞かない。だから普通に考えれば、義手と義眼なのだろうと思うが……」
言いながらも、ゼノルは引っかかるものを感じていた。
八百年前の人物であるにもかかわらず、聖女オリアンネの逸話はたくさん残されている。それほど影響の大きかった人物であるからだ。
しかしそれらの逸話の中に、オリアンネが義手、義眼であったことを示すエピソードは一つもない。少なくとも、ゼノルは聞いたことがなかった。
それが何を意味するのか……、
「うーん、よくわかんないけど……少なくともゼノ君のこじれた縁談をどうにかできそうな話じゃなさそうだね」
ゼノルが思考に沈んでいると、ユナがそんなことを言う。
「やっぱり結婚が嫌なら、きっぱり断るしかないよ!」
「それで済むなら楽なのだがな……と、そうだ」
そこでゼノルは、不意に思い出したように、事務机の引き出しを開けた。
仕舞ってあった薄い木箱を取り出すと、それをユナに差し出す。
「え、なにこれ?」
「本を探し出してくれた礼だ。ずいぶんと遅くなってしまったが」
「えー、別にいいのに……開けていい?」
「ああ」
ユナが木箱を開け、中に入っていた物を取り出す。
それは、やや大振りな手鏡だった。
その鏡面を見たユナが、目を丸くする。
「これ、もしかして……ガラスの鏡?」
「ああ、そうだ」
「もらえないよ、こんな高いの! 大したことしてないのに!」
驚くユナに、ゼノルが笑って言う。
「いや実のところ、高価な品ではないのだ」
「そ、そうなの?」
「トレヴァーを知っているか?」
「前にゼノ君が連れてきてた、ちょっと変な人?」
「ちょっと変どころではないが、そうだ。それは奴に作らせたものでな。なんでも、ガラス鏡を簡単に製造する方法を見つけたというのだ」
「へぇー……」
「オレの領地の新たな産業になるのではないかと目していてな。それはその実験作のようなものだ。気にせずもらってくれ」
実のところ、手鏡にはそれなりの費用が掛かっていた。
鏡面こそ自前だが、木枠やその意匠などは一流の職人に作らせている。
そのため、一介のメイドに贈るには高価な代物になっていたが……ゼノルはそのような事情などおくびにも出さない。
「……」
ユナは手鏡をじっと見つめる。
「なんだか、すごく丁寧な作りだね。実験作なのに」
「実験だからこそ本気になることもある」
「なにそれ」
ユナは苦笑すると、手鏡を木箱に仕舞い直して胸に抱えた。
「ありがと、ゼノ君。大事にするね」
「うむ」
「でも贈り物に手鏡なんて、ゼノ君もずいぶん気が利くようになったね」
照れ隠しのように、ユナが笑って言う。
「やっぱりモテる人は違いますなぁ」
「だから、別にモテているわけではないと言っているだろう。そんなもの望んでもいない」
嘆息し、ゼノルは小声で呟く。
「おまえがいれば、オレはそれで……」
「え、なんか言った?」
その時。
「ゼ、ゼノル様っ!」
執務室の扉がばーんっと開き、スウェルスが勢いよく飛び込んできた。
ユナがぱっとゼノルから離れ、手鏡の入った木箱を後ろに隠す。
ゼノルは一瞬固まったが、すぐに咳払いとともにスウェルスへ問う。
「ど、どうしたスウェルス。何があった」
「……。どうかされましたか?」
主の妙な様子を察したスウェルスが訊ねるも、ゼノルは大げさに顔をしかめて言う。
「何を言っているのだ。それはこちらの台詞だぞ」
「……それもそうですね」
気を取り直したように呟いたスウェルスが、表情を引き締めて言う。
「聖女様に動きがありました。内容が、その、軽視できないものであったため、すぐにご報告しなければと思い……」
「……やはり、あきらめていなかったか」
重苦しい息を吐いて、ゼノルは問う。
「それで、動きとはなんだ。軽視できないとなると、領地経営に支障が出る類のものなのか」
「いえ、すぐさま悪い影響が出るものではありません。むしろ、短期的には望ましいと言えるものです……過剰なほどに」
眉をひそめるゼノルに、スウェルスは告げる。
「聖女様は……領都の貧しい者たちを中心に、病や怪我を癒して回っているようなのです」
それはまさしく、奇跡の所業だった。
「本来であれば、到底治る見込みのないものですらも」




