――――第17話――――
両替騒動の収束から、数日が経った。
ゼノルは馬車に揺られながら、窓の外を流れゆく領都の景色をただ眺めていた。
ロドガルド領都は王国でも有数の大都市で、今も大通りは人で賑わっている。代々のロドガルド当主が、守り、育て上げてきた街の姿だった。
ふと、窓から目を離して正面を見やる。
そこには、
「はぁ、今日は暑いねー」
胸元を扇ぐ、ユナの姿があった。
今日はいつものメイド服ではなく、外出用の私服を身に纏っている。春に着るにはちょうどよさそうではあるが、一足先に訪れた夏日には少々暑そうな格好だった。
ゼノルは呟く。
「この分ならひょっとすると、今年の夏は猛暑になるかもしれんな」
「うへぇ。やだなー、暑いの。ゼノ君、夏の間だけでも執務室を地下に移さない?」
「なるほど。名案かもしれん」
真面目くさった顔でうなずくゼノル。
ただ実のところ、本当に猛暑になるとしたら、執務室の不快さなどよりも懸念すべきことは多かった。
作物の育成不良に、水不足。暑さによって発生しやすくなる流行病などもある。
領主として、ゼノルは領内で起こった問題すべてに対処する責任があった。
まったく煩わしいが、仕方のないことではある。
ロドガルド辺境伯家の嫡男として生まれた宿命という意味でも……あるいは自らに課した、使命という意味でも。
「っていうかさー」
胸元を扇ぎながら、ユナがゼノルを半眼で見つめて言う。
「商人さんが届け忘れた卵を、なんでわざわざ当主のゼノ君が受け取りに行くの? 普通、貴族ってそういうことしないよね」
ゼノルの傍らには、鶏卵が収められた木箱が置かれていた。
本来ならば今朝方、出入りの商人が屋敷に納入するはずだったものだ。
こういう納入忘れがあった際には通常、調理場を担当するメイドが商人のもとへ取りに行くことが多い。
だが今回、そのことを偶然聞きつけたゼノルが、オレが行こうなどと言い出したのだ。
皆当たり前に反対したが、ゼノルは聞かない。
いくらなんでも当主一人でというわけにはいかないため、護衛以外にも誰かが同行する必要があったが、調理場担当のメイドが怖がったため、代わりにユナが行く流れになったのだった。
「決まっている。これが最も合理的であるからだ」
ゼノルが当然のように答える。
「貴族の屋敷にうっかり納め忘れた商品を、当主が自ら取りに来たら商人はどんな反応をする? 目を丸くして驚き散らかし、ひっくり返るに決まっている」
「うん。実際、そうなったよね」
「であれば以降、奴は同じ失態を犯さぬよう細心の注意を払うはずだ。今後は調理場のメイドがいちいち取りに向かわねばならんことも少なくなるだろう」
「おおっ。ゼノ君、意外と考えてたんだね!」
「というのは無論、建前だ」
「あら?」
拍子抜けするユナの正面で、ゼノルが嘆息しながら言う。
「本音を言えば、少し気晴らしがしたかったのだ。ここのところずっと、執務室に籠もりきりで書類仕事ばかりしていたからな」
「あー……」
ユナが同情するような目をする。
「ゼノ君、わたしが見つけてきた本もあんまり読めてないみたいだしね」
「む……」
ゼノルがユナから目を逸らす。
「……すまないな。せっかく探してもらったのだが」
「えっ!? いいよ別に! 責めてるわけじゃないし」
ユナが慌てたように言って、苦笑する。
「ゼノ君、なんだか変なところで律儀だよね。昔から」
「……当然のことだ」
「でも、そんなに時間ないの? 昔はあれくらいの本でも半日かからないで読んでなかった?」
「む……。それはだな」
ゼノルがややばつの悪そうな顔をする。
「実を言えば、幼い頃は難解な箇所をよく読み飛ばしていたのだ。だから早かったのもある」
「ええっ!? そうだったの!?」
ユナが目を丸くして驚く。
「よく『すべて理解した』とか『大した内容でもなかった』とか言ってたのに?」
「……うむ。見栄を張っていただけだ」
「あはははっ。なーんだそうだったんだー。あっはははは!」
よほど可笑しかったのか、ユナはけらけらと笑っている。
ゼノルはわずかに表情を緩め、ただ黙ってその様子を見つめる。
「はー、ゼノ君にも子供らしいところがあったんだねぇ」
「オレとて子供の頃ならば、子供らしいところもあって当然だろう」
「んー。わたしには、あんまりそうは見えなかったかな」
ユナが昔を思い出すように続ける。
「昔のゼノ君は……なんだかいっつも眉間に皺を寄せて、難しそうな顔してたよ。貴族の跡継ぎって、きっとすごく大変なんだろうなぁって思ってた」
「……そうでもない」
ゼノルがユナから目を逸らして言う。
「あの頃は、くだらんことに悩んでいただけだった。今ならば一瞬で切り捨ててしまえるような、くだらんことに」
「……そっか。じゃあゼノ君も、あの時の悩みが小さく思えるほど、大きくなったってことなんだね」
にへ、とユナが笑う。
「今もいろいろ大変そうだけど……何年か経ったら、全部大したことなかったなって、思えるようになるかもね」
「……ああ」
ゼノルが、確かにうなずいて言う。
「きっと、そうなるだろう」
「ところでさ、ゼノ君」
その時、ユナがゼノルに、ぐいっと顔を寄せて言った。
「噂で聞いたんだけど、今度はあの聖女様を振っちゃったんだって?」
「んなっ……人聞きの悪いことを言うな」
ゼノルが顔をしかめて答える。
「ただ縁談がまとまらなかっただけにすぎん。よくあることだ」
「ゼノ君が断ったんでしょ? 聖女様、王都からわざわざお屋敷にまでやって来たのに」
「そうだが……」
「はぁ~」
ユナがやれやれと、呆れたような仕草をする。
「ずいぶんなモテ男になってしまわれましたこと。あの聖女様まで軽ーくあしらっちゃってまあ。やっぱり子供の頃とは違うね」
「おい……! 言葉に棘を感じるぞ」
「べっつにー」
ユナがすねたように言う。
「なんかゼノ君ばっかり不公平だなー、なんて思ってないし」
「あのな……スウェルスも似たようなことを言っていたが、望まぬ縁談などオレからしてみれば迷惑極まりないだけだ」
「ほんとぉ? はーあ。わたしもどこかのイケメン王子様にでも求婚されないかなー」
幼い町娘のような願望を口にするユナに、ゼノルが短い沈黙の後に訊ねる。
「……なんだ。王子がいいのか」
「え? ううん、別に。ただわたしもモテ気分を味わいたいだけ」
「……ふん。そうか」
「王妃様とか大変そうだしね、いろいろ求められそうで。まあそれを言ったら、貴族の奥さんもなんだろうけど」
「いや」
ゼノルが反射的に言う。
「そうでもない」
「え? そうなの?」
「現にオレは今、一人でこなせているのだ。当主がしっかりしていれば、そこまで負担が重いものでもないはずだ」
「へー、そうなんだ」
「うむ。だから…………いや」
「……」
「……」
馬車の中に、なんともいえない沈黙が流れた。
その原因が、己が変なタイミングで言葉を切ってしまったせいだということは自覚していたが、ゼノルには代わりに言うべき台詞がとっさに浮かばなかった。
それでも微妙に気まずい沈黙に耐えかね、とりあえずといった調子で口を開くと……、
「ユナ、ところで……」
「あのさ、ゼノ君……」
二人の声が被った。
それとほぼ同時に、偶然にも馬車が停まる。
「……あれ、着いた? でも、まだお屋敷じゃないよね」
どこか安堵したような声音で言ったユナに、ゼノルも同調するように答える。
「ああ……オレがここへ寄るように言い含めておいたのだ。そろそろまた、進捗状況を見ておきたかったからな」
「ええ?」
「外の空気を吸うついでに、おまえも見物していくといい。さしておもしろいものでもないかもしれんが」
ゼノルが腰を上げ、馬車を降りる。ここどこなのー? などと言いながら、ユナもそれに続く。
降車した二人の前に広がっていたのは……作りかけの建物の各所に足場が組まれ、職人が行き来する光景。
有り体にいえば、建設現場だった。
ユナが理解したような顔になる。
「ああ! ここ、新しい教会の場所かぁ」
それは、例の大教会の建築予定地だった。
教会は基本的に教団の所有する施設であるが、一定の税収が見込める関係上、領主がその建築費を出資して建てる場合も多い。
この領都に建つ新たな教会もその例に漏れず、領主であるゼノルが施主となっていた。
「おーいっ、そこ気をつけ…………なっ、ゼノル様!?」
責任者らしい年配の男が、驚愕の表情で固まり、慌てて駆け寄ってくる。
「こ、これはこれは、まさかお越しになっているとは……! おい、作業止めろ! 全員集まれ!」
「いい。わざわざ手を止めさせる必要はない」
ゼノルが軽い身振りとともに、男に告げた。
「様子を見に来ただけだ。すぐに戻る」
「い、いやはやとんだ失礼を……!」
「工事の状況はどうだ。当初の計画よりもだいぶ急がせている都合、なんらかの支障が出ることも覚悟しているが」
「いえ、今のところは、順調と言えるかと」
男が、やや表情を引き締めて言う。
「人が増えたため、職人同士のいざこざは少々増えましたが、その程度です。大きな問題は起こっておりません。十分な人手を手配できていますし、資材の搬入もスムーズに進んでいますので、この分であれば変更後の工期にもなんとか間に合うかと」
「ほう、すばらしい。その調子でこの先も頼むぞ」
ゼノルは建設現場の様子を眺めながら言う。
「午後にはまた酒を運ばせよう。職人連中に振る舞ってやれ」
「はっ……! いやぁ、毎度毎度、恐れ入ります」
顔をほころばせる男に、ゼノルも口の端を吊り上げて言う。
「くれぐれも二日酔いのまま作業などさせるなよ。そろそろ監督に戻れ。オレも勝手に帰ることにする」
「はっ。それでは失礼を!」
男は直立不動でそう言うと、張り切った様子で現場に戻っていった。
「奴は元軍人でな」
工事の様子を眺めながら、ゼノルはユナに語りかける。
「優秀な工兵だったため退役後にオレが雇い入れ、今ではこうして公共工事などの監督をさせている」
「……やっぱり、子供の頃とは違うね。ゼノ君、もうすっかり領主様だ」
そう言って、ユナはゼノルに笑いかける。
「でも、ロドガルドの軍を除隊した人って、たくさんお金もらえるんでしょ? 普通はそれで土地を買ったり、商売を始めながらのんびり暮らすって聞いたけど」
「奴にそのような暮らしは似合わん。本人も拒絶するだろう。人には……各々、使命があるものだ。誰に強いられずとも力を振るい、為し遂げるべき使命が」
ゼノルは、わずかに目を伏せながら続ける。
「たとえ苦労を伴うものでも、使命から目を逸らした人生など、つまらぬものにしかならん」
「それを天命と呼ぶのですよ、坊ちゃん」
ふと、傍らで声が上がった。
ゼノルが、そしてユナも、そちらに目を向ける。
そこに立っていたのは――――ゼノルたちと同じように工事を眺める、神官服姿の老婆だった。
「斧が薪を割るように、甕が水を満たすように、人も道具と同じく、それぞれに果たすべき役目があるもの……。まことに喜ばしい。ついに坊ちゃんも、神の教えに目覚めましたか」
ゼノルは一瞬目を見開くと、次いで眉をひそめる。
「なんだ、ババア。貴様も来ていたのか」
「あっ、ネルハ様! こんにちは~」
「おや……ユナまでいましたか」
老婆はユナに顔を向けると、皺の刻まれた顔をほころばせた。
「いつぶりでしょう、あなたたち二人が一緒にいるところを見るのは」
「ゼノ君、もうほとんど仕事でしか外に出ないので……。でも、お屋敷では珍しくないんですよ」
「ふん……それよりババア、こんなところになんの用だ」
ゼノルが鼻を鳴らして問いかける。
「やはり、教会長の地位を降りるのが惜しくなったか?」
ネルハと呼ばれた老婆は、現在領都に建っている教会の、教会長を務める人物だった。
既存の教会は老朽化のため、新たな教会の完成後に取り壊される予定となっている。普通ならば、そのまま大教会の長に収まってもおかしくない立場ではあったが、ネルハはかねてから、教会機能の移転が完了しだい隠居すると表明していた。
ゼノルは口の端を吊り上げて言う。
「見てのとおり、オレの建てる教会はでかいぞ。なんと言っても大教会だ。当初は管区長の任命を教団に任せるはずだったが、その条件はいろいろあって現在宙に浮いている。今ならまだねじ込めるぞ。翻意するなら今のうちだ」
「いいえ」
老婆は、静かに首を横に振った。
「今日は散歩に来ただけ。私はもう、十分に天命を果たしました。そろそろ後進に道を譲るべき時でしょう」
「ふん、欲のないババアだ」
「できることならば、坊ちゃんの結婚式くらいは、取り仕切ってあげたかったですけれどね」
穏やかに言ったネルハに、ゼノルがわずかに顔をしかめて言う。
「……なんだ。まさか、聖女との縁談を呑むべきだったとでも言うつもりか」
「いいえ、まさか」
ネルハは微笑んで言う。
「誰を伴侶に選ぶかは、坊ちゃんしだいです。それに私は、この地でベルトリッド様に任命された教会長ですからね。聖皇派に味方する義理はありません」
「……ふん、そうか。ならば、両替騒動の時はとんだ迷惑を被らせたな」
「いいえ。教会にあんなに人が来てくれたのは初めてで、私もうれしかったですとも。寄進も増えましたしね。ふふふ」
「奴らに味方する義理がないならば、ついでに聞かせるがいい」
ゼノルが声を抑えながら訊ねる。
「聖女は今、どのような様子だ」
ラニスが現在滞在しているのが、まさしくネルハの管理している教会だった。
彼女らに便宜を図っているという点で、ゼノルはネルハの立ち位置をずっと測りかねていたが、仮に自分の側だとするならば敵情の把握にこれほどうってつけの人物もいない。
「とても清貧に過ごされていますよ」
ネルハは、表情を変えることなく答える。
「皆にかしずかれる立場でありながら、贅沢を望まず、日々の祈りも欠かしません。聖女と呼ばれるだけあって、神官の鑑のようなお方です」
「聞きたいのはそういうことではなくてだな……」
「大事なお客人の内情を、無闇に言いふらしたりはしませんよ。私は坊ちゃんの味方ですが、家来ではありませんからね」
苦々しい顔で沈黙するゼノルに、ネルハは微笑んだまま、何か考えるようなそぶりをして言う。
「そんなに知りたいのならば、また教会においでなさい。直接訊ねれば、教えてくれることもあるかもしれません」
「いや……いくらなんでもだな……」
「教会は皆のためのものなのですから、誰がいつ訪れてもかまいません。昔のように、蔵書を読みに来たという名目でもいいでしょう。……あるいは」
目をわずかに細めて、ネルハは続ける。
「本当にそのために来てくださっても、かまいませんけれどね。坊ちゃんが目を通していない本は、まだまだたくさんありますから。たとえば……かつての聖女、オリアンネ様の記録ですとか」
ゼノルが、わずかに眉をひそめて問う。
「……八百年前の聖女の記録に、オレの求める情報があるとでも言いたいのか?」
「そういったこともあるかもしれませんよ、坊ちゃん。なにせ、同じ聖女様ですからね」
ゼノルは難しい顔で押し黙った後、ふっと表情を緩めて口を開く。
「何分、多忙な身でな。考えておくとしよう」
「ええ。それがよろしい」
そう言うと、ネルハはゆっくりと踵を返す。
「どれ……私はそろそろ、戻るとしましょうか」
「馬車に乗っていけ、ババア。教会まで送るぞ」
見かねたように言ったゼノルを、ネルハは横目で見て、緩慢に首を振った。
「結構。散歩の途中でしたから……。それではユナも、また今度、教会でね」
「あ、はいネルハ様。また教会で」
杖を突きながら去って行く老神官の姿を、ゼノルとユナはしばらく眺めていた。
「……変わらんな、あのババアは」
鼻を鳴らして、ゼノルが言う。
「どうにも腹の底が読めん。今回の件も、何か知っていそうではあるが……」
「そんなことないよ」
唐突に、ユナが言った。
ゼノルが思わず視線を向けると、ユナは伏し目がちに続ける。
「一昨年に足を悪くしてから、やっぱりちょっと元気がなくなった気がするし……それに隠居するって言ってるんだもん。ネルハ様だって、ずっと昔のままじゃいられないよ」
「……。聞いていて気になったのだが」
ゼノルが、静かに問いかける。
「あのババアのところに、今でも顔を出しているのか?」
「あれ、そうだよ。知らなかった?」
ユナがきょとんとして答える。
「お休みの日には、よく教会に行ってるよ。なんとなく習慣でね。聖女様が来てからは、なんだか身構えちゃって行けてなかったんだけど」
「……そうか」
「なに?」
「いや……」
ゼノルが、なんでもないことのように言う。
「別に、無理することはないのだぞ。もうババアへの義理も十分果たしただろう」
「え……? あ、そういうこと?」
ぽかんと聞いていたユナが、不意に気づいたような顔になって、苦笑する。
「無理なんてしてないよ。向こうって元々神さまたくさんいるから、こっちの神さまに祈るのも抵抗ないっていうか、改宗した感覚もなかったし。というか向こうでの暮らしなんて、今じゃもうほとんど覚えてもいないもん」
「……」
「小さな頃にここに来て、もう十年だよ? わたし、とっくに王国民のつもりでいたよ。だからほんと、心配しないで。ゼノ君」
「……そうか」
ゼノルは、踵を返して言った。
「おまえがかまわないのなら、いいのだ」




