――――第15話――――
突然の減税発表から、数日。
領都はお祭り騒ぎ……とまではさすがにいかなかったが、住民の間には、発表を喜ぶ空気が確かに流れていた。
「密偵からの報告では、ゼノル様を称える声は多いとのことです」
事務机に足を乗せ、椅子にふんぞり返るゼノルに、スウェルスが報告する。
「それに伴い、聖女様が話題に上る機会は減少しているようです。少なくとも、今に限れば……ゼノル様の方が人気者になりましたね」
「ふっ、当然だ」
ゼノルは得意げに言う。
「民の暮らしを良くしてやったのだからな。商人どもに媚びを売るだけの両替女とは格が違うというわけだ。ふははは!」
「それにしても……今回はまた、ずいぶんと大きな手に出られましたね」
スウェルスが呆れたように言う。
「まさかムルーディ会を脅し、徴税網を丸ごと買い取って、徴税を領主自ら行う体制に変えてしまうとは」
ゼノルが狙っていたのは、ひとえにこれ――――徴税の自前化だった。
単純ではあるが、これが達成できるだけですべてが解決してしまうほどの、大きな成果である。
「ふっ、どうだ。大したものだろう?」
「ええ、たしかに……。過去には一時的に実施していたところもあるようですが、現時点で徴税を自前化しているのは、ロドガルド領のみかと。王都ですら徴税請負制度を採用していますからね。成果としては、大教会認定並みと言っていいでしょう」
スウェルスが、あらためてその成果に気圧されたかのように言う。
「これで、財政に革命的な改善がなされます。徴税請負は、元々それだけ無駄の多い制度と言われていますからね。ムルーディ会が得ていた利益分に加え、徴税人がこっそり着服していた分などもすべて税収に変わると考えると……相当な増収が期待できるかと」
「そのとおり。領民のご機嫌取りのために減税し、取り立てに手心を加えたとしても、まだまだ余裕でプラス。まったく笑いが止まらんな! ふははは!」
上機嫌な主に、スウェルスは訊ねる。
「やはり、最初からこれが狙いだったのですか? ゼノル様が自ら両替業を始めるとおっしゃった時は、正気を疑いましたが……あれもバッティ・ムルーディを追い込む目的で?」
「どちらかといえば、聖女の様子を間近で観察したり、商人どもの心象を良くすることの方が主目的だったがな。もちろんそれもあった」
ゼノルが鷹揚にうなずく。
「聖女の両替所のせいで打撃を被っている中、オレまで似たようなことを始めれば、あの男が怒鳴り込んでくることは必定。あとはうまい具合に話を誘導し、追い込むだけだ。宗教が絡めば、多少不合理な行動であっても本気だと思わせやすくて助かる。実に簡単な仕事だったな。もっとも、」
ゼノルはそこで、口の端を吊り上げて付け加える。
「あの女が両替業を始めていなければ、ここまで簡単にはいかなかっただろうが」
交渉ごとはなにより、冷静さが肝要だ。
バッティ・ムルーディが先に冷静さを失っており、付け入る隙があったからこそ、ゼノルも今回の策を実行する気になった。
「そもそも、先納の廃止と担当地区の細分化で他者の入札を促すだなどと言ったが、そう都合よくいくはずがない。下手な者に落札されれば、徴税が滞ることもありえた。もしも奴が冷静だったならば、あのように追い込むなど不可能だっただろう」
「いやしかし……ゼノル様もはったりがお上手ですね。なかなか説得力があって、私も思わず信じてしまいそうになりましたよ」
その時ふと、スウェルスが疑問の表情になる。
「それにしても、ゼノル様……なぜ最後の最後で、バッティ・ムルーディに選択させたのですか? 両替か徴税請負かなど」
「ん?」
「利益率としては、おそらく徴税請負の方が大きかったはず。もしもそちらを選ばれていたならば、人員とノウハウを買い取って徴税業務を自前化するという目論見が、すべて破綻していたと思うのですが……」
「まあ、奴が欲を掻いてそちらを選んだときのことも考えてあったが……ああ言えばまず、本業の方を選ぶと思っていたからな」
ゼノルが口元に手を当てながら答える。
「あの男はあれでも、父と祖父、そして彼らが大きくしてきたムルーディ会を誇りに思っているふしがあった。それに、徴税請負は領主に依存した事業だ。オレの気まぐれで再びひっくり返されてしまえば、今度こそ稼ぐあてがなくなる。そういった危機感も働いたに違いない」
「そ、それはたしかに……!」
「加えて、だ。あの男には、できれば自ら徴税請負を捨ててほしかった。たとえ誘導された結果であったとしても、人間、自分が選んだ道であれば納得するものだ。オレの真の狙いに気づいてからもなお、奴はずいぶんと聞き分けがよかっただろう? ムルーディ会がまだまだ金と力を持っていることに変わりはない以上、なるべく遺恨を残したくなかったのだ」
「なるほど……さすがゼノル様。そこまで考えられてのことだったのですね」
「ふはは! まあな」
ゼノルが上機嫌に言う。
「なんにせよ、そんな具合に首尾良く徴税網を買い取り、今後の増収を確定できたならば、あとは減税でもなんでもし放題というわけだ。……そうだ、各商会にはすでに縁談が流れた旨を伝えていたはずだが、そろそろ連中からの返事は来たか?」
「ええ。本日一通りそろいました」
スウェルスが眼鏡を直しながら言う。
「いずれも内容は似通っています。概略を述べれば、『残念だが仕方ない』といったものですね。特に抗議するような文面ではなく、どの商会も納得した様子でした」
「ふっ、まあ当然だろう」
ゼノルが予定調和だとでも言いたげにうなずく。
「祝いの品への礼は、減税という形で返した。それに加えて聖女との婚約まで求めるのは、さすがに要求が過ぎる。商人どもは天秤の釣り合いには敏感だからな。どんな形であれ十分な返礼を贈れば、オレの決定に文句を付けてこないことは確信していた」
「……まあ、商会幹部がそのような態度なのはわかりますが」
スウェルスが、今ひとつ納得していないかのように言う。
「密偵からの報告によると、市中の商人たちもまた、破談の噂を素直に受け入れていた様子でした。個人的な感情から聖女様に心酔していた者も多かった印象でしたので、この現象は少々不思議なのですが……」
「不思議でもなんでもない。当然の帰結だ。だからこそ、破談の噂を積極的に流したのだ」
「ええ……いったいどういうことですか?」
「商人どもは、心の奥底では聖女の婚姻など望んでいなかったということだな。つまるところ、根本的に奴らとオレの利害は一致していたのだ」
首をかしげるスウェルスに、ゼノルは説明する。
「あの女が商人どもに支持されていた理由は主に二つ。両替による利益の提供と、奴が顔と愛想の良い女だという点だ。前者はまだしも、後者を理由に聖女に心酔していた連中が、どこぞの男に嫁ぐことを心から歓迎すると思うか?」
「あー……言われてみれば」
「前者にしても、隣で同じ手数料率の両替所が開業したとなれば、聖女にこだわる必要もなくなる。あの女の結婚を支持する理由が、いよいよなくなったというわけだ。まあオレの両替所はそのうち閉めるわけだが……その頃にはもはや、破談を非難するような時機は逸しているだろう」
すべて、ゼノルの想定どおりに事が進んだ。
領民からの支持を損なうどころか、拡大しながら縁談を撥ねのけ、さらには税収の増大という巨大な果実まで得てしまった。
スウェルスも、思わず感心したように言う。
「さすがゼノル様です。相手の工作すら利用し、自らの糧とされてしまうとは。神童の呼び名は、やはり伊達ではないですね」
「ふははは、もっと褒めろ」
「ただ……」
と、そこで、スウェルスが微妙に眉をひそめる。
「代償は、少々大きくなってしまいましたが」
「む?」
「出費ですよ。ご自分でも事前におっしゃっていたではないですか」
スウェルスが渋い表情で言う。
「両替所の運営費用もそうですが、なにより徴税網の買い取りが相当な支出になりました。ちょっと、今後の余裕がなくなってくるレベルです……。あの男、ずいぶんとふっかけてきたものですよ」
「いや、一から徴税吏を育てる手間と費用を考えれば、むしろ割安だぞ」
「ムルーディ会にとってはとうに初期投資の回収を終えた部門の売却ではないですか。法外と言っていいほどです」
スウェルスの苦言は続く。
「いくら自前で徴税できるようになったと言っても、次の徴税は来年。今回の出費の補填に一年以上待たなければなりません。元を取るとなると、数年はかかりますよ」
「何を言っているのだスウェルス。たったの数年で元が取れ、あとは純粋な収益増が永遠に続くのだ。買わん馬鹿がどこにいる。値段も別に法外ではない。徴税網だけでなく、今後ムルーディ会の両替手数料を下げさせる対価の意味合いもあったのだから……」
「それでも、財政的に痛いのは変わりません。せめて分割払いにしてもらうべきだったのでは?」
「そうなると、必ず利子の話になったはずだ。今の財政状況は、利子を付けてまで分割払いにしなければならないほど逼迫しているのか?」
ゼノルがそう言うと、スウェルスが口ごもる。
「いえ、そこまでではないですが……ただもしもの事態を考えると……」
「そのもしもの出費が今回の買い物だったのだ。そう心配するな、スウェルス。危惧していることの大半は、結局起こらないというではないか」
「……まあ、それもそうですね。思えばロドガルド領の財政状況に慣れすぎたせいで、少し心配性になっていたようです。よその領地はもっとかつかつですけれど、なんだかんだうまくやっていますし」
「ああ。それに予備費が尽きたとて、金策のあてはある」
「金策のあてというと……たとえば?」
「そうだな、手始めに商会からもらった祝いの品でも売り払ってみるか」
「おお、それはいいですね。少しは出費の補填になりそうです」
「あとは……真っ当な手数料で、あらためて両替商の真似事をしてみるのおもしろいかもしれん。今回の一件で、オレは案外接客に向いていることがわかったからな。初めての経験だったが、なかなか楽しめた」
「それに関しては、正直かなり意外でしたね……。ゼノル様がいないと私の負担が増えるので、もう勘弁してもらいたいところですが。フィンも嫌がってましたし」
苦笑気味に言うスウェルス。
その時ふと、ゼノルが思い出したような顔になる。
「両替と言えばだが、あれから聖女の様子はどうなっている?」
「破談の噂を流してからほどなくして、両替所に姿を見せなくなったようです」
スウェルスが即座に答える。
「手数料も微妙に上げているようなので、手仕舞いを考えているのでしょう」
「ふっ、まあ無理もない」
ゼノルは鼻で笑って言う。
「商人どもが役に立たなくなった以上、連中に媚びを売っていても仕方ないからな。噂を契機に引き上げにかかるのは当然だ」
「ただ……今後、どのような対応を取ってくるかはわかりません」
スウェルスが表情を緩めることなく言う。
「このまま引き下がってくれればいいのですが、新たな手を打ってくる可能性も……」
「なに、その時はその時だ。どんな手で来ようとも、また軽く打ち破ってやろうではないか」
スウェルスの懸念を一蹴し、ゼノルは不敵に笑って言う。
「さて……神は今、奴になんと言っているのやら」




