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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第10話――――

 ヤマラが去ってしばらくしても、ゼノルは応接室の長椅子で考え込んでいた。

 傍らに立つスウェルスが、恐る恐る話しかける。


「あの、大丈夫ですか? ゼノル様……」

「……大丈夫ではないな」


 補佐官に顔を向けることなく、ゼノルは答える。


「目論見が破綻したのだ、大丈夫なわけがない」

「ですよね……」


 気まずげな表情のスウェルスをよそに、ゼノルは独り言のように言う。


「思わぬ来客だったが……おかげでわかったことも多い。教団が聖女を喧伝しておきながら、辺境の貴族に嫁がせようとしている不可解さの理由も、おおよそ見当がついた」

「ええっ、そんなことまで!? ヤマラ殿は、そのようなことは一言も話していませんでしたが……」

「まあ、肝心の聖女本人の思惑の方は、相変わらず見当もつかんがな」


 ゼノルが鼻を鳴らしてそう言うと、スウェルスは遠慮がちに指摘する。


「裏の思惑も、もちろん重要でしょうが……目下の問題は、あちらの資金源では? というか、聖女様は本当にあの『箱』を使って、マイナス手数料の原資を調達しているのでしょうか? ほとんど伝説の神器ですが……」

「ありうる。商会幹部どもの態度がその理由だ。おそらく、『箱』の使用を奴らには匂わせていたのだろうな」

「う、たしかにそう考えると辻褄が……」

「それに教団内部で動いているであろう思惑を考えても、上級神器の持ち出しは不自然ではない」


 確信を持っているようなゼノルの態度に、スウェルスは表情を険しくして問う。


「ならば……どうされますか、ゼノル様。私には今ひとつ真意が読めないものの、ヤマラ殿の提案に乗るというのも、一つの手かと思われますが……」

「その選択肢はない」


 ゼノルは断言する。


「あんな連中の手は借りられん。教団との関係がかえって悪くなる」

「ええっ、そうなのですか? しかし、そうなると……」

「……さて」


 ゼノルは応接室の天井を仰ぐ。


「悩みどころだな」



**



 ヤマラの来訪からそれほど日を置かずして――――ラニスとダグライが、再びゼノルの屋敷を訪れた。


「アハ、みてみてーゼノル」


 応接室のテーブルには、古びた金属製の小箱が置かれていた。

 一見すると、ただの骨董品の小物入れのようにも見える。だがその造形をよく観察すると、どの地域の物にも見られない奇妙な意匠、造りをしていた。


 ラニスは箱の前で、小さな紙片に何かを書いている。やがて、長手袋を嵌めた右手がペンを置いた。紙片に書いていたのは、どうやらラニスの名前であるようだった。


「これを破って、片方を入れます」


 ラニスがそう言いながら、紙片を真ん中から破った。次いで、箱の蓋を開ける。中には何も入っていない。ラニスはそこに、先ほど破った紙片の片方を入れた。そのまま蓋を閉める。


「三、二、一……じゃーん! どう?」


 ラニスがまるで自慢するかのように、箱の蓋を勢いよく開けた。

 中には、先ほど入れた紙片がある――――二枚も。


「ほら見て、完全に一緒でしょ?」


 ラニスが紙片を二枚とも取り出し、箱に入れなかったもう片方の紙片と合わせてみせる。

 二枚とも、破れ目は完全に一致した。紙片に書かれたラニスの名が、いずれもきれいに繋がる。

 ラニスは楽しげに言う。


「種も仕掛けもないのだわ。ほんとよ? これ、神器だから」

「……なるほど。これがかの『箱』か」


 ゼノルが静かに呟く。

 伝説級の神器を前にしているためか、いつもの不遜な態度も鳴りを潜めている。


「まさか、この場に持ってくるとはな。今回はやたら護衛が多いと思っていたが」

「せっかくだから、見せてあげようと思ったの。ゼノルも何か増やしてみる? なんでもいいわよ。金貨でも、銀貨でもね」


 それは、破壊的両替事業の種明かしにほかならなかった。

 ゼノルはただ首を横に振る。


「結構だ」

「そう? 謙虚なのね。好きよ、そういうの。ところで」


 仏頂面のゼノルの前で、ラニスはずっと楽しげなままだ。


「そろそろお返事を聞かせてほしいのだわ」

「……」

「街の人たちも、焦れている頃なのではないかしら」

「……」

「待つ間暇すぎて両替商の真似事を始めてみたのだけれど、とっても評判がいいのよね。うれしいことに、みんな応援してくれてる。みーんな、ワタシたちの結婚を願ってくれているの。とってもありがたいわよね。だからゼノルも、領主として彼らの思いに応えるべきなのではないかしら」

「……やはり」


 ゼノルが、おもむろに口を開く。


「すべて意図してやったことだったか。ほかならぬ、貴様自身が」

「さあ?」


 聖女は、とぼけたように首をかしげる。


「なんのことかわからないのだわ。ワタシはただ、神の意志に従うだけよ」

「……そうか」


 ゼノルは、長椅子の背もたれに身を預ける。


「待たせたことは謝罪しよう。求婚への返答は、今行おうではないか」


 そして、ゼノルは告げる。


「答えは否だ。この縁談を、呑むつもりはない」

「ふーん?」


 ラニスは足を組み、試すような表情をする。


「それは……神の意志に反するのだわ」

「神など知ったことか。この際だ、はっきり言っておこう」


 恐れるものなどないかのような不遜さで、ゼノルは告げる。


「――――オレは絶対に、結婚などしない」

「……そう」


 ラニスはそれだけ言って、あっさり席を立つ。


「帰りましょうか、ダグライさん。ゼノルはまだ、神の意志を理解できないみたい」

「……ゼノル卿」


 その時、控えていたダグライが静かに口を開く。


「ラニス様との婚姻が合意に至らなければ、我々はいずれここを去ります。その際には事前に、関わりの深かった商会の方々へ声をかけさせていただきますが……」

「いざ金の泉が涸れそうになれば、そこに頼っていた者たちがどういう手段に出るかはわからない……とでも脅すつもりか?」


 ゼノルが上級神官を睨む。


「皆まで口にしなかったのは賢明だったな。オレは今、くだらぬ戯れ言を許す気分ではなかった。そもそもの話、聖女殿の輿入れが成ったとて、神器が一緒についてくるわけがない。教団がこのような伝説級の神器を手放すものか。商人どもが不満を抱くのは、いずれにせよ同じだろう」

「それでも」


 ラニスが微笑とともに言う。


「ワタシがいれば、みんなをなだめられる。だってワタシ……人気者だもの」

「ふん、舐めるな」


 ゼノルは鼻を鳴らし、聖女を睨んで告げる。


「オレもそうであるとも」

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