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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
一章 公爵令嬢編

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――――第5話――――

 ゼノルにとってはなげかわしいことに、その不安は杞憂に終わらなかった。

 状況が変化したのは、レイシアの襲来から約一ヶ月後。


「そういえば、聞きましたよゼノル様。おめでとうございます。実にめでたいことだ」


 その日は都市参事会の重鎮から、領都の状況について報告を受ける日だった。

 話も終わりかけた頃、ゼノルとの付き合いも長い老人の会員が、世間話のようにそう切り出す。


「時の流れは早いものですな。しかし、我らもこれで一安心というもの。お世継ぎにも、きっと恵まれましょう」

「は?」

「正式な日取りが決まりましたらお伝えください。参事会から、それとわし個人からも、祝いの品を用意いたしますので」

「……待て」


 ゼノルはこめかみに指を当てながら、いぶかしげに問う。


「先ほどから貴様、いったい何の話をしている?」

「はて」


 老人は目をしばたたかせる。


「無論、ゼノル様の婚姻のお話ですが」

「……誰の婚姻だって?」

「ですから、ゼノル様の」


 それから老人は、とんでもないことを言う。


「アガーディア公爵家の姫君を、もらい受けるのですよね?」


 ゼノルは、わずかに目を剥いた。

 語調を抑えながら、老人に言う。


「そのような事実はない」

「えっ」

「貴様、それを誰から聞いた」

「誰から……と言われましても……はて、誰だったか。なにせ」


 老人は、困惑したように言った。


「皆が噂しておりますので」



**



 それから数日の間に、ゼノルは複数の者から、身に覚えのない自身の婚姻話を聞く羽目になった。

 出入りの商人や、農園主、果ては屋敷の使用人に至るまで。

 その内容には多少のブレがあったが、ゼノルがアガーディア公爵家の娘と婚約を交わしたという大筋は変わらなかった。


「いったいなんなのだこれは……!」


 執務室の机に肘を突き、ゼノルはしかめっ面で頭を抱えていた。

 傍らに立つスウェルスが、やや焦ったように言う。


「ゼノル様。噂の出所を探りましたが、判然とせず……おそらく、外から持ち込まれたものかと……」

「布告を出せ」

「はっ?」

「噂を否定する布告を出せ。今すぐにだ。各所への掲示のほか、街の有力者には口頭で説明し、沈静化への協力を仰げ。それとは別に、密偵を使ってすべては流言に過ぎなかった旨の噂も流しておけ」


 スウェルスは驚いたように言う。


「そこまでしますか? 領地に流れる民の噂など、普通は捨て置くものですが……」

「例の噂は十中八九、レイシアが流したものだ」


 ゼノルは厳しい声音で言う。


「意図はわからんが、何らかの初動に違いない。捨て置けば次の手を打たれる。そうでなくとも、外堀を埋められかねん。言ってもいない言質を取られることほど恐ろしいものはない。早急に対応しろ」

「は、はっ!」


 スウェルスが急いで執務室を出て行く。

 ゼノルは、こめかみを押さえながら呟く。


「……どういうつもりだ、あの女」



****



 対応が早かったのが功を奏したのか、それほど経たないうちにゼノル婚約の噂は収束に向かっていった。

 それからは新たな噂を聞くこともなく、ゼノルもスウェルスも次第に気を抜き始めた……ちょうどそんな時。


「確かに、受領いたしました」


 従者の少年に数えさせた金貨を、商人の男が袋に収める。

 古くなった軍備の一部を更新するため、ゼノルが支払った武器の代金だった。

 商人の男が愛想のよい笑みで言う。


「今回もよい取引をさせていただきました。今後ともご贔屓に」

「ああ」


 鷹揚おうようにうなずき、ゼノルは長椅子の背もたれに身を預ける。


「納品された分をいくつか確認したが、いずれも質が良いようだった。貴様のことは信用している。これからもよろしく頼む」

「過分なお言葉、恐れ入ります。しかしながら、ゼノル卿自ら武器を検分なさるとは。ロドガルドの神童の呼び名に違わぬ見識をお持ちのようで」

「これでも辺境伯なのでな。いざ異民族に攻められ、錆びた剣で立ち向かう羽目になっては、兵たちに申し訳が立たん」

「なんでも近々、近海の海賊討伐のために船を出されるのだとか。我ら王国民の暮らしをお守りくださる閣下には、常日頃より頭の下がる思いでございます」

「世辞はよせ。賊の討伐程度、どこの領主もやっていることだ。異民族との戦争など今は昔。当主となって以降、オレの頭を悩ませるのは内政のことばかりだ……先日も妙な噂が街で流れ、わざわざ布告を出す羽目になったしな」


 愚痴のように、例の噂に触れるゼノル。

 沈静化の具合を確認するための、何気ない発言だったが……商人とその従者の反応は、予想外のものだった。


「そ……それはそれは……」

「あっ、あの噂の……」


 ふと何か言いかけた従者の少年を、商人が焦ったように肘で突いた。少年ははっとして押し黙る。

 応接の間に、妙な沈黙が流れた。


「……貴様」


 ゼノルは従者の少年をまっすぐに睨んで言う。


「今、何か言おうとしたな。言え」

「へっ……?」

「言え。オレの命令が聞けないか?」

「もっ……申し訳ございません!」


 商人の男が割り込むようにして言う。


「分別のつかぬ小僧の言葉でございます。なにとぞ……」

「黙れ」


 その一語で、商人は凍り付いたように動かなくなる。

 ゼノルは従者の少年の方を向いたまま言う。


「言え。オレに、これ以上の手間を掛けさせるなよ」

「そっ、そそ、その……」


 少年は泣きそうな顔になって、震えながら口を開く。


「う、噂……流れてたな、って……それだけで……」

「……」


 収束の前に、例の噂を聞いただけ。少年の言葉をそう解釈することもできた。

 しかしゼノルは、二人の反応から言い知れぬ悪い予感を覚える。


「……どんな噂だ。言ってみろ」

「あ、あの……僕が、言ったわけじゃなくて、き、聞いただけで……」


 言葉をつかえさせながらも、少年は説明を始める。


「ゼノル様が、公爵家の姫様と、婚約して……」

「……」

「その……破談に、なったって」

「……は?」


 ゼノルは思わず言葉を失った。

 前半はいい。街で流れ、今は収束した噂だ。

 だが後半のそれは、とても聞き流せなかった。


「……詳しく話せ」

「ひっ!」

「どういうことだ! 婚約して破談!? なぜそんな話になっている!?」

「ひぃッ! わ……わかってます! わかってますから……。う、嘘……なんです、よね……?」


 少年は半分泣いていた。

 焦ると口数が多くなるタイプなのか、しどろもどろになりながらも捲し立てるように言う。


「しょ、商会ではみんな、言ってました! ゼ、ゼノル様は怖いけど、物の道理をわかっているいい人だって……わ、悪い貴族と違って、理不尽なことを言ってきたり、代金を踏み倒したりは、し、しないんだって……。だから、ぼ、僕も、噂なんて、信じてなかったんです! ほ、ほんとうにそんなことないなら、好き勝手話しているような人にもちゃんと、言っておきます! ゼノル様は……」


 それから少年は、とんでもないことを言った。


「……姫様に暴力を振るって、婚約が破談になったりはしていないんだって」



****



「やってくれたなあの女……!」


 執務室にて、ゼノルは拳を握りしめ、額に青筋を立てていた。

 傍らに立つスウェルスが深刻そうに口を開く。


「密偵に調べさせたところ、たしかにそのような噂が流れているようでした。内容が内容だけに、先の噂ほど表立って話題にされてはいないようですが……」

「……水面下では確実に広まっているだろうな」


 下世話な噂ほど、人は好む。

 すでに先の噂以上に広まっていても、おかしくはなかった。


「出所は、やはり判然としません。先の噂と同じく、領外から持ち込まれたものかと」

「厄介なことだ……」

「いかがいたしましょう、ゼノル様」


 スウェルスは問う。


「今回もやはり、布告を出されますか?」

「いや、無意味だ。そんなもの出してみろ。民がどう受け取ると思う?」

「……ゼノル様が、醜聞しゅうぶん隠しに躍起やっきになっていると受け取るでしょうね」


 今回の噂の、厄介なところがそれだった。

 否定しようとすればするほど、やましいことがあるように見えてしまう。

 ゼノルは頭を抱える。


「完全にやられた。噂を打ち消そうとすることも読まれていたな。振り返ってみれば、あの布告すらも婚約の事実そのものを隠そうとしたような形になってしまった。これではとんだ性悪貴族だ」

「言いにくいのですが、噂が広まっていく過程で尾ひれがついたのか……中には、公爵家の娘を手籠めにしようとしたなどというものも……」

「……醜聞ここに極まれりだな」


 深く溜息をつくゼノルに、スウェルスが心配そうに言う。


「布告は逆効果でも、各所への根回しや、密偵による噂の否定は有効かと。手配いたしますか?」

「気休め程度にしかならんだろうが、やっておけ」

「はっ、かしこまりました。ただ、その……」


 スウェルスが難しい表情で言う。


「……領内に関しては、どうにでもなるかと思われます。元々ゼノル様は領民には恐れられているところがあり、有力者との関係さえ良好に保てれば、今後も特段の問題は起こらないかと。しかしながら……貴族社会にまで噂が広まってしまうと……」

「……そうだな」


 体面、建前、口実。そういった虚構の概念が貴族社会では重要となる。

 たとえ事実無根の噂であっても、周知の事実として扱われ始めれば、狡猾こうかつな彼らにいかようにも利用されうる。


「だからこそ……オレも動かねばならんだろう」


 そう言ってゼノルは立ち上がり、自らの補佐官に告げる。


「領内のことをしばらく頼んだぞ、スウェルス」


 スウェルスは困惑したように目を瞬かせる。


「それは、かまいませんが……いったいどちらに」

「敵の顔を拝みに行くのだ、一つしかあるまい」


 ゼノルは告げた。


「学園だ」

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