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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第9話――――

 それから、さらに数日が経った。

 聖女陣営に動きはなく、相変わらず両替事業を続け、主に商人たちからの支持を得続けている。やめるどころか、マイナス手数料をあらためる気配もない。


 一方ゼノルの側には、奇妙な客が訪れていた。


拝謁(はいえつ)叶い、幸甚(こうじん)の至りでございます。ゼノル卿」


 応接室。

 ゼノルの正面に座る神官服の女が、のっぺりとした笑みを顔に貼り付けて名乗る。


「お初にお目に掛かります。私、上級神官のヤマラと申します」


 年齢のわかりにくい女だった。妙齢のようにも、中年女が若作りしているようにも見える。

 上級神官という地位を考えれば後者だろうが、ゼノルには確証が持てなかった。

 初顔である神官の来訪を意外に思いながら、ゼノルは鷹揚に言う。


「かしこまった挨拶で結構なことだ。今ではこの冷血卿の顔にも慣れたのか、商人どもですらそのような態度はとらなくなったというに」

「それはそれは、とんだ不敬者たちがいたものです」


 女神官が、笑みの形を変えることなく言う。


「ロドガルド辺境伯家始祖の再来と言われるゼノル卿に対するのですから、礼儀をわきまえるのは当然のこと。なにせかの始祖殿は、この地に棲まう悪竜を『聖剣』をもって討ち、王国の建国を助けたと言われるお方ですから。聖者に準ずる偉人の血を強く感じさせる末裔ともなれば、我々教団も敬意を表さずにはいられません」

「ふん、なんのこともない。そのような逸話、所詮は伝説。竜などおとぎ話の中だけの存在だ。現実に人々を救ってきた聖者たちと、並べて語るものでもないだろう」


 鼻を鳴らしてうわべだけの賛辞を撥ねのけ、ゼノルは言う。


「ご機嫌取りも巧みなようでなによりだが、そろそろ本題に入ろうではないか。てっきり聖女本人かダグライ殿が来るものと思っていたが、まさか別の上級神官を遣いによこすとはな……。用件はなんだ? やはり婚約についての交渉か?」

「ふふ。どうやらゼノル卿は、勘違いされておいでのようで」


 笑みをわずかに崩し、ヤマラは言う。


「私は、彼らの遣いではありません」

「……」

「今回の縁談に、私は一切の関与をしておりません。あれはダグライの上役にあたる、ゴーマス大神官のほとんど独断的なもの。お恥ずかしいことに、教団も一枚岩ではないのです。多くの神官にとって今回の縁談は青天の霹靂のようなもので、賛同している者は多くないとお考えください」


 ゼノルはわずかな沈黙の後に、口を開く。


「……たしかに、信徒に愛される聖女殿がこのような冷血漢に嫁ぐかもしれないとなれば、神官どもも眉をひそめたくなるだろう。それで? 貴様はなんの目的でオレのもとを訪れたのだ」

「私は、聖女様の奇跡はより多くの人々にもたらされるべきだと考えております」


 ヤマラは、胸に手を当てて言う。


「聖女様には今後より一層、苦しみを抱く者たちのために力を尽くしていただく必要があります。それが、神より力を授けられた者の責務なのでございます。よって、婚姻などもってのほか。子を産み、育てることは、俗世に生きる者の責務です。聖女様のなすべきことではありません。聖女様には、永遠に清らかであっていただかなくては……かつての聖女、オリアンネ様がそうであったように」


 ヤマラがそこで、笑みを深める。


「つまるところ私は、今回の縁談をご破算としたいのでございます、ゼノル卿。そしてそれは……卿としても、望むところなのではありませんか?」


 沈黙を保つゼノルに、ヤマラは続ける。


「卿が水面下で、第二王女シルラナ殿下との縁談を進められている件については聞きおよんでおります。また今回持ち込まれた聖女様との縁談において、曖昧な返答をなされたことも。そして……それに業を煮やしたダグライが、領都の重鎮たちへ贈賄めいた懐柔工作を始めたということも」

「……」

「ダグライの無礼な振る舞いのせいで、卿も頭を悩まされていることとお察しします。同じ神官の愚挙に、我々としても面目の次第もございません。そこで」


 ヤマラが、やや身を乗り出す。


「私が、卿へ助力のご提案に参りました」

「……ほう」

「恐れながら、卿は聖女様との婚姻を拒絶することで、教団との関係が悪くなることを懸念されているのでは? ロドガルド領の大教会認定を推し進めていたのはまさしくゴーマス大神官ですから、無理もないことと存じます。ご安心を。大教会認定に支障が出ぬよう、我々が取り計らいましょう。これで卿は予定どおり、シルラナ殿下との縁談をお進めいただけます。またダグライの工作に関しても、対抗策を打つべく協力できればと考えております。ゴーマスの派閥に反発する者は多い。我々は、きっと卿の力になれることと存じます」

「……」

「いかがでしょう、ゼノル卿。目的を共にする者同士として、我々と手を組みませんか?」


 ゼノルは長椅子の背もたれに身を預けると、腕を組んでしばし考え込む仕草をした。

 やがて口を開く。


「……ラニス殿は、オレとの結婚が神の意志なのだと語っていたが?」

「何かの間違いでしょう」


 ヤマラは迷うことなく、笑顔のまま即答した。


「いや、間違いであるべきです。そうではありませんか? ゼノル卿」

「……かもしれんな」


 ゼノルは一つ息を吐いて言う。


「たしかに今回の縁談が持ち込まれた折、いろいろな事情で即答しかねたのは事実だ。本件に関わる諸々をすべて穏便に収められるのならば、助力はありがたいことではある」

「ならば……」

「だが、遠慮させてもらおう」


 ゼノルが表情を変えることなく、ぴしゃりとそう言った。

 ヤマラの笑みがわずかに揺らぐ。


「それは……どうして?」

「なんと言っても、オレ自身の婚姻に関わることだ。オレが自ら始末を付けねば、当主としての資質が疑われる。そうだろう?」

「それは、ですがしかし……」


 ヤマラが食い下がろうとする。

 しかしゼノルの発する雰囲気を感じ取ったのか、笑みを整えて姿勢を正した。


「いえ……おっしゃるとおりでございます。出過ぎた真似をいたしました」

「よい。提案自体は感謝しよう」

「一つだけ、お聞かせください……。卿は、聖女様との縁談を呑むつもりはございますか?」


 ゼノルは鷹揚な態度で、短く答える。


「検討中だ。それ以上でも以下でもない」

「……それを聞ければ十分でございます。では、本日はこれで失礼を」


 満足そうに言って、ヤマラが腰を浮かす。

 そのまま席を立つものと思われたとき、ヤマラが急に何かを思い出したようなそぶりで、腰を戻して口を開いた。


「せっかく拝謁が叶ったのです。助力といえるほどのものではございませんが……一つ、情報提供を」

「ほう?」

「ご存じのとおり、聖女様はあらゆる神器に選ばれ、その権能を十全に引き出すことができます。それはかつて聖者たちが扱った、選ばれる者の滅多に現れない上級神器であっても例外ではありません」


 眉をひそめるゼノルに、ヤマラは続ける。


「今回の縁談に際し、ダグライは多数の神器を教団本部から持ち出しました。その中には――――あの『箱』も含まれます」

「『箱』だと……!?」


 ゼノルが驚愕する。

 だがそれは、無理もないことだった。


「聖者クロムテルが選ばれていたという神器か。たった一つのパンを、『箱』によって民衆の数だけ増やし、人々を飢餓から救ったという……」

「ええ。『箱』の権能は、中に入れた物を増やすこと。あまり大きな物は入れられませんが……金貨や銀貨程度であれば、何枚でも入れられることでしょう。なにせ教団は、かつて『箱』を用いて金策をしていた時期もあったという話ですから」

「……」

「もしも、聖女様の資金が尽きることを期待されているのだとしたら……それはおそらく、叶わないかと」


 言葉を失うゼノルの前で、ヤマラはおもむろに席を立ち、笑顔で告げる。


「いつでもご連絡ください、ゼノル卿。我々はいかなる助力も惜しみません」

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