――――第8話――――
それから、数日が経った。
聖女陣営には特に動きがない。特に話し合いを求めてきてもいなければ、両替事業をやめる様子もない。
一方で――――それを眺めるゼノルの側には、一つ問題が起こっていた。
「なんとかしてください、ゼノル卿!!」
応接室にいるのは、やたらと豪奢な衣服を身に纏った、小太りの中年男だった。
口角泡を飛ばしながら、ゼノルに言い募っている。
ゼノルは苦々しい顔で男の言葉を聞いていた。
「これでは、こちらは商売あがったりですよ! 早くあの無茶苦茶な両替事業をやめさせてください!」
男の名は、バッティ・ムルーディといった。
出奔した貴族の五男が興したムルーディ会、その三代目の代表にあたる。ロドガルド領での両替市場を、ほぼ支配していると言って差し支えない人物だった。
そんな男は今、青ざめた顔で、自分の息子のような歳の領主に泣きついている。
「あんなのなしでしょう!? 無茶苦茶ですよ無茶苦茶!」
「……少し落ち着け、バッティ殿」
ゼノルはうんざりしたように言う。
「取り乱しすぎだ。ムルーディ会の代表ともあろう者が」
「これが取り乱さずにはいられますか!?」
ゼノルの戒めにも、バッティの剣幕は収まらない。
「ありえない! 両替手数料がマイナスだなんて! あんなの許していいんですか!? おかげで、うちの支店は今やどこも閑古鳥が鳴いています! 何が聖女だ、私にとっちゃとんだ悪女ですよ!!」
「……大げさだ。聖女の両替所は、教会にただ一箇所のみ。領都の両替に限ってすらすべては賄えん。貴様のところに来る商人も多いはずだ」
「それでも明らかに客は減っています! おまけに窓口では、聖女を見習って手数料を下げろなどとクレームも入る始末! とにかく、早くやめさせてくださいあれ!」
「……やめさせろ、と言われてもな」
心底わずらわしそうに、ゼノルは言う。
「ただ良心的な手数料で両替しているだけの連中を、上から押さえつけるなど横暴が過ぎるだろう。やめさせるだけの理由がない」
「良心的といっても限度があるでしょう!? それに、あの守銭奴神官どものことです。ロドガルド領における両替をすべて担うまでに拡大してから、一気に手数料を上げるつもりかもしれません!」
「貴様がやったようにか?」
「な……ぐっ……」
ゼノルの眼光に一瞬怯むバッティだったが、そこは大組織の長である。
逆に睨み返すようにしながら言葉を返す。
「も、もしこの状況が続くようならば……次回の徴税権の入札額も、抑えなければならなくなってしまいますぞ」
ゼノルは沈黙を返す。
まさしくこれが、ムルーディ会を悪く扱えない理由だった。
徴税権とは、文字通り徴税する権利のことだ。
領主は当然、領民から税金を取りたい。だが徴税は実のところ厄介で、ノウハウが必要なうえに徴税吏の維持費もかかる。さらにそれらを備えていざ税を取り始めても、最終的にどれだけ取れるか正確な予想が立てにくく、しかも取り終えるまで時間がかかる。とにかく面倒くさい代物なのだ。
だからほとんどの領主は、豊かな領民に徴税を請け負わせる。
徴税権を競売にかけ、落札した者に税収見込額より少し安めの金額を先に納めさせる。その後、彼ら徴税請負人によって徴税が開始されるのだ。先納した金額を上回る税を集められれば、その分がまるごと彼らの収入となる。
徴税請負人はとにかくあらゆる手を使って税金を集めようとするため、領民の生活が苦しくなるなどデメリットは多い。しかし、自前で徴税網を整えることは大変であるため、多くの領主がこの仕組みに頼らざるをえないのだ。
ロドガルドも例外ではない。
そしてロドガルド領において毎回徴税権を落札しているのが、ムルーディ会だった。
困窮した商人などを雇い入れて徴税網を構築したムルーディ会は、今やロドガルド領の徴税業務を一挙に担っている。同じことをできる者は、他にいない。
だからこそ、ゼノルもムルーディ会に無下には扱えないのだ。
「……本業が苦しいというのならば、それも致し方あるまい」
ゼノルが静かにそう答えた。
札を入れる者がムルーディ会のほかにいない競売であっても、入札は慣例的に、毎回同じ額でなされている。その減額は、ゼノルにとって多少の減収を意味していた。
「ただな、貴様ももう少しどっしりかまえていたらどうだ。あんなもの長くは続かん。あまりうろたえていると下の者にも示しがつかんぞ」
バッティはその後もなんやかんや言っていたが、最終的には素直に帰っていった。
長椅子の背に体重を預けながら、ゼノルは盛大に溜息をつく。
「ムルーディ会への影響もあるとは思っていたが……どうやら予想以上に打撃を受けていたようだな」
「……あの男が懲らしめられている様を見ると、やはり聖女様の方が正義のように思えてきますね」
傍らに立っていたスウェルスがぽつりと言うと、ゼノルが鼻で笑う。
「はっ、当のオレも悪人面であることだしな」
「言われてみればそうでしたね。すっかり見慣れたせいで忘れていました」
スウェルスが悪びれる様子もなく言う。
「まあ、聖女が悪人面の貴族に結婚を迫るという構図も、なかなか奇妙なものではありますが」
「世の中、悪人同士の戦いというのもある。全員が性悪であっても不思議はない」
ゼノルが適当にまとめると、スウェルスが眼鏡を直して問いかける。
「して、ゼノル様。やはりこのまま傍観を続けますか? 少々予想外のところから圧力がきましたが」
「これ以上悪くはなるまい。引き続き放置だ」
ゼノルは迷いなく答える。
現況を見れば、それで問題ないはずだった。




