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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第7話――――

「いや~ゼノル卿! またとない好機が巡ってきましたな~。こちら、当会から祝いの高級毛皮です!」

「聞きましたよゼノル卿。なんとしても、聖女様をものにしてくだされ! 男として腕の見せ所ですぞ。こちら祝いの帝国産巨大タペストリーです」

「当会所属の商人はみな、聖女様を絶賛しておりました! かくいう私めも推しておりましてな? あの神々しいお姿! しかも慈愛の心にも満ちていらっしゃる。ゼノル卿がうらやましい限りでございますよはっはっは! こちら祝いの香辛料詰め合わせセット一年分です」


 黄金色の全身鎧が贈られてから、数日。

 ゼノルのもとへ、領内の商会から続々と祝いの品が届けられていた。


「商人どもめ……」


 事務机の前で、頭を抱えたゼノルが呻く。

 普通、こういった贈答品は婚姻が成った後に贈られるものだ。

 まだ話し合いの段階にもかかわらず、商会が高価な品々を寄越してくる理由は一つしかない。

 聖女との婚約を絶対に成立させろという、言外の圧力だ。


「……本当に厄介極まりない」

「そうですね……」


 ぼやくゼノルの傍らで、スウェルスもまた溜息でもつきそうな顔になっている。

 その腕には、つい先ほど贈られたばかりの、色鮮やかな鳥が収められた鳥かごが抱えられていた。


「まだ婚姻は成立していないというのに、こんな物まで贈ってきて……。節操というものがないのでしょうか」

「奴ら、よほどオレに聖女を(めと)ってほしいらしい」


 ゼノルが忌々しげに嘆息する。

 彼らがそれほど必死になる理由も、はっきりしていた。


「……まったく、目先の金に釣られおって」


 商会が聖女とゼノルの婚姻を望むのは――――ひとえに、彼女の破壊的両替事業の継続を願うためにほかならない。

 聖女に王都に去ってもらっては困るというわけだ。


「商人は両替の機会が多いですからね」


 スウェルスが言う。


「そのたびにかかる手数料は、彼らとしては可能な限り抑えたいコストであるはず。それがゼロどころかマイナスともなれば、是が非でも利用し続けたいところでしょう」

「商人一人一人の利益は小さくても、総体としてみれば大きなものになる。所属商人との取引や、彼らの会費によって成り立っている商会からしてみれば、聖女の両替事業はまさしく金の湧く泉というわけだ」

「商会は、その金の泉を相当大事に使うつもりのようですね」


 スウェルスは、部下からの報告を思い出しながら言う。


「手数料がマイナスなので、ひたすら両替し続ければ金が増え続けるわけですが、そういった濫用は控えるよう商会が所属商人に厳命しています。教団がではなく、商会がです。さらに、元々一日あたりの利用人数は教団の方で制限していたようですが、追加で一回当たりの上限金額まで商会が勝手にルール化してしまいました。一方その裏では、商会幹部が聖女様と直接交渉し、大口の両替を頼んでいるという話も上がってきています」

「泉に柵を作り、番人まで置いて、裏ではこっそり自分たちで金を浚っているわけか。まったく、儲けのためには工夫を惜しまん連中だ」

「……そうですね。まあ……それには、これまでの反動もありそうですが」


 スウェルスが若干言いにくそうに言う。


「現在ロドガルド領の両替市場はムルーディ会が牛耳っていますが、あそこの手数料水準は王国平均と比べてだいぶ高いですからね。今の水準になったのは、現代表に代替わりしてからですが……商人たちが不満を溜め込んでいたとしても不思議はないでしょう」

「あの三代目、強引な手を使って同業者を潰し、ライバルがいなくなったのを見計らってから手数料を大幅に上げていたからな。もっと早くに灸を据えておくべきだったか」


 ゼノルが苦々しげに呟く。

 とはいえ、ゼノルもただ放置していたわけではなく、そうせざるをえない事情があったわけだが。

 加えて言えば、ムルーディ会のがめつさは今回の直接の原因ではない。

 ゼノルが再び嘆息しながら言う。


「まあいい。問題は例の両替事業だが……あの女のやっていることは、実質的な贈賄だ」

「え? 贈賄、ですか?」

「考えてもみろ。教団側が支出した金が、巡り巡って商会幹部の懐に入るのだ。遠回しの賄賂に違いあるまい」

「ああ、なるほど。しかし……賄賂は普通、何かしらの要求とセットであるものですが」

「あの女自身は何も言わずとも、商会は見事に奴の要求を叶えているではないか」

「……自身との縁談を呑むよう、ゼノル様に要望すること……ですか」

「そのとおりだ」


 物品や食料品の都合など、領主が商会を頼る機会は多い。

 さらに彼らの代表が、領都の参事会員である場合も少なくない。

 領地経営を円滑に行いたいのならば、商会との関係を良好に保っておくのは不可欠なのだ。

 ゆえに……彼らの要求を、無下にはしにくい。


「まさか、婚約のためにこのような手を打ってくるとは……」


 スウェルスが困惑気味に呟く。


「さすがに、聖女様一人にここまでのことができるとは思えません。やはり彼女は、教団の傀儡なのでしょうか……?」

「眼鏡が曇っているのか? スウェルス」


 ゼノルが呆れたように言う。


「貴様は部下からの報告を聞いて、本当にそのような結論に至ったのか?」

「……いえ」


 スウェルスが、ばつの悪い顔で言い直す。


「聖女様は自ら両替所に立ち、積極的に商人たちの人心掌握に努めている様子でした。また商会幹部との交渉なども、自らが先頭に立って行っています。これらを鑑みると……おそらくは、聖女様が自らの意思で策を講じたものと」

「オレが危惧したとおりだっただろう」


 ゼノルは当然のように言う。


「あの聖女はただのイカレ女でも、傀儡でもない。ロドガルド辺境伯婦人の地位を奪取しようと、オレに戦いを挑んできた敵なのだ」

「……どうやら、そのようですね」


 スウェルスもまた、諦念の溜息をついて言った。


「して、どうされますかゼノル様。いくつか対抗策は考えられますが……やはり参事会員への実質的贈賄に当たるとして、禁止する方向でいきますか?」

「いや」


 ゼノルが首を横に振る。


「さすがに無理筋だ。ただ色を付けて両替していただけで贈賄など、言いがかりの域だろう。というか、オレも商会からさんざん高価な品を受け取ってしまったせいで、賄賂云々の指摘がしづらい」

「……あの、今さらですが、どうして祝いの品なんてほいほい受け取っていたんです? やりにくくなることが明らかだったではないですか」

「仕方あるまい。一番初めの黄金鎧を、呆気にとられているうちに押しつけられてしまったのだ。以降の品を拒否すれば、商会間の扱いに差を付けることになる。それはできん」


 堂々と主張するゼノルに、スウェルスは微妙な顔になって言う。


「……それなら、今からでもすべて返しますか?」

「さすがに非礼が過ぎる。贈答品のことはもう言うな。どうしようもない。ありがたく頂戴しておこうではないか」

「まあ、ですね。となると……」


 スウェルスは少し考え込んで言う。


「両替の手数料率に、規定を設けるというのはどうでしょう。上限と下限を同時に設定すれば、ついでにムルーディ会も懲らしめられてよいかと」

「それも気が進まんな」


 ゼノルが脱力しながら答える。


「数年おきの見直しが必要になるうえ、そのための調査や実施後の取り締まりにも費用がかさむ。領民の商いに、無闇に手を入れたくはない。なによりの問題は……今聖女の両替事業を潰せば、確実に商人連中の反感を買うことだ」

「それは……多少は仕方ないのでは?」

「奴らが今支持しているのが、教団だということを加味してもそう言えるのか?」


 聞いたスウェルスが、わずかに表情を険しくして言う。


「まさか……民衆の反乱を、危惧されているのですか? 教会戦争のようなことが起こると?」


 教会戦争とは、かつて教団が、貴族や王といった権力者たちと対立した末に起こった戦争だ。

 教団側の戦力は本来、教会騎士団と彼らを支持する少数の貴族の兵だけであるはずだったが、統治に不満を持っていた民の多くが教団側として参加し、結果的に凄まじい規模の戦乱へと発展したと言われている。


「さすがに、考えすぎのように思いますが……」

「ああ、考えすぎだ」


 ゼノルがそう言ってあっさりとうなずく。


「ただ、無用な危険を冒す必要はない。何やら未だに、オレへ反心を抱く者どももくだを巻いているようだしな。もっと穏便で確実な手があるなら、そちらをとるに越したことはない」

「穏便で確実な手……と言いますと?」

 眉をひそめて問うスウェルスに、ゼノルは口の端を吊り上げながら答える。

「放置だ」

「え?」

「聖女や教団連中のことは放っておく」


 聞いたスウェルスは、戸惑ったように訊ねる。


「向こうの策が進む様を、ただ眺めているというのですか?」

「ああ。考えてもみろ。奴らの策によって、商会の連中は潤っている。つまり教団の財布から、それだけの金が垂れ流しになっているということだ」


 ゼノルは続ける。


「いくら教団の財力が莫大だとしても、長くは続かん。おそらく近いうちに、奴らは交渉の席を持とうとしてくるはずだ。本格的に息切れする前にな」

「おお、なるほど……! さすがゼノル様。言われてみればそのとおりですね」


 感心したように言ったスウェルスだったが、すぐにその頭上に疑問符を浮かべる。


「しかし……そんな当たり前のこと、商会が気づかないものでしょうか? 彼らはまるで、両替事業が終わることなど想定していないかのような様子ですが……」

「案外、目先の金に目が眩んでいるのかもしれんな」


 どうでもよさそうに、ゼノルは言う。


「とにかく、こちらがやることに変わりはない」


 酷薄にも映る笑みとともに、呟いた。


「奴らがオレの領地に金を垂れ流す様を、葡萄酒片手に眺めていようではないか」

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