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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第6話――――

 ジャンは、ビュール商会所属の行商人だ。

 商人になって六年。ようやく駆け出しは脱せた。だがどこかの都市に定住し、結婚して家庭を持つという夢まではまだまだ遠い。


 とはいえ、商いにはだいぶ慣れてきた。

 ここロドガルド領都でもつい昨日、南方から運んできた岩塩を捌き終えたところだ。

 ロドガルド領は海に面しているが、冬の間の製塩は難しいため、保存食用に減った塩がこの時期はよく売れる。予想よりも利益が出て、貨幣を収めた革袋も重い。

 欲を言えば、このままこの街でしばらく遊んでいたいところだったが、夢のためには足踏みをしている余裕はない。ジャンはすでに、この地域で仕入れる次の商材のことを考えていた。


 冬の間に織られた布製品。海の近くまで行って干し魚を見繕ってもいい。あるいは、異民族の地から流れてくる毛皮などもありだろう。

 ただ……いずれにせよ、少々小口になる。


「うーん……両替しておくか」


 領都の街道で立ち止まったジャンは、革袋の上から金貨の手触りを確かめつつ呟いた。

 大きな街には、少なからず両替商がいるものだ。小口の仕入れに金貨は使いづらい。ここらでいくらか、銀貨に変えておいた方がいいとジャンは考えた。


 本来ならば、ロドガルド領一帯で両替業を営んでいるムルーディ会の支店に向かうところだったが……ジャンは仲間の商人からとある噂を聞いていたため、教会へ足を向けることにした。


 なんでも、噂に名高い史上二人目の聖女が現在この街に滞在しており、教会で両替業をやっているらしい。しかもぼったくりだと有名なムルーディ会とは対照的に、手数料が常識外れなほどに良心的なのだとか。


「ほんとかな……」


 半信半疑のまま、ジャンは街を行く。

 領都の教会は立派な建物であるため、土地勘のないジャンでも遠くから簡単に見つけることができた。

 思えば行商を始めてから、教会を訪れるのは両替の時くらいだな……と、自らの不信心ぶりに内心苦笑していると、いつのまにか教会にたどり着いており……目の前にその光景が広がっていた。


「……え?」


 ジャンは思わず、目をしばたたかせた。

 教会の前に、長い列ができていた。


「なんだ、これ……」


 教会の敷地内から延びた列は、外の街路にまで続いている。

 列の先を見ると、どうやら教会内にある小屋のような建物に続いているらしかった。

 小さな教会などは、敷地内にああいった建物を置いて両替業を営んでいることがよくあるため、あれもそうなのだと予想できる。

 しかし、これほど列ができている理由がジャンにはわからない。


「おや、あんたも両替かい?」


 ふとその時、列に並んでいた男に話しかけられる。

 雰囲気からして、男も商人のようだった。ジャンは戸惑いがちにうなずく。


「ええ、そうなんですが……」

「なら、列の後ろに並ぶことだ」


 そう言って、男が後方を顎でしゃくる。


「順番を守って、長く居座らない。それがここのマナーだ。さもないと、聖女様に迷惑がかかっちまうからな。ほら見ろ、あれ」


 男が、言いながら前方に視線を向ける。

 小屋の前で、ちょっとした騒動が起こっていた。


「聖女さまーっ! もうちょっと、もうちょっとだけ俺とお話を……! くそやめろっ、離せっ」

「はいはい、時間です」

「時間ですから、離れてください」


 見ると一人の男が、屈強な神官二人に腕を掴まれ、小屋の前から引き剥がされていた。

 身なりからするとあの男も商人のようだったが、何が起こっているのかジャンにはわからない。


「あんなのは絶対ダメだ」


 列の男が呆れたように首を振る。


「下手すると出禁になっちまう。まあ……気持ちはわからんでもないが」

「え?」

「あんたも出禁は嫌だろ? ならとっとと後ろに並んだ並んだ。聖女様に失礼のないようにな」


 何がなんだかわからないながらも、ジャンは言われるがまま、素直に列の後ろに並ぶ。

 そうして一刻ほど待ち……ようやく、ジャンの順番が回ってきた。


「アハ、こんにちは! 来てくれてありがとう!」


 ジャンは驚いた。

 小屋は、やはり近くで見るとカウンター付きの両替所のようになっていたのだが……そこにいたのは、可憐な少女だったからだ。


 薄紅色の髪に、溌剌とした光を湛えた金色の瞳。整った顔には華やかな笑みが浮かんでいる。

 きっとこの子が、噂に聞く聖女ラニスなのだろう。

 しかしまさか、聖女本人が店頭に立っているなど、ジャンは予想もしていなかった。


「あなたは、初めましての人ね! ひょっとして行商人の方かしら?」


 聖女は小首をかしげながら、にこやかに問いかけてくる。

 ずっと聴いていたくなるような、きれいな声だった。


「今日の御用向きは?」

「あ、ああ。ええと、王国金貨を、王国銀貨に変えたくて……」


 ジャンは慌てて革袋に手を突っ込み、金貨を二枚摘まみ出した。

 それを目の前の少女に差し出すと、聖女はジャンの手を、両手で包み込むようにして受け取る。

 白い長手袋越しに、華奢な手の感触が伝わってくる。


「拝見するわ!」


 眩しい笑顔に、ジャンの胸が高鳴る。

 同時に、たった金貨二枚分の両替しか頼めない自分が恥ずかしくなった。

 聖女は毛皮の張られた貨幣受けにジャンの金貨を乗せると、それを傍らの神官に渡す。

 神官は金貨を手に取って眺めると、それを天秤に乗せた。慣れているのか、手際がいい。


「お兄さんはどちらから?」


 神官の手際を眺めていたジャンは、聖女に話しかけられ、はっとなって答える。


「ええと、商館通りの宿から……。あ、いやその前は、南方のポレストって街で仕入れを……。知ってるかな、岩塩で有名な場所なんだけど……」

「知ってるわ!」


 聖女が、顔を明るくして言う。


「あの、白い建物が多い街よね?」

「そ、そう! よく知ってるね……」

「前に行ったことがあるのだわ。紫色の岩塩が名物だって、街の人に少しいただいたの。王都の塩より美味しかった気がしたわ!」

「実はつい昨日、その岩塩をこっちの商会に卸してきたところだったんだ」

「あの塩がここでも手に入るようになるの!? すごーい! お兄さんのおかげなのね!」


 少女は、まるで小さな子供のように無邪気な笑顔で喜んでいる。

 ジャンは心が舞い上がるのを感じた。思えば行商を始めて以降、街での会話は商売のための情報収集ばかりで、女性とこんな風に会話したのは久しぶりだった。

 しかも相手は、あの聖女ときている……。


「あっ、そ、そうだ! 君は……本当に、あの聖女様なのかい?」

「ええ、そうよ!」


 聖女は、なんの屈託もない様子でうなずく。


「みんな、ワタシのことはそう呼んでくれるのだわ」

「そ、その……聖女様は、なぜロドガルド領都の教会で両替なんて……」


 やや浮かれ気味のジャンだったが、商人としての心はかろうじて忘れていなかった。


 聖女という大物がこのようなことをしている以上、裏では確実に教団が動いている。

 そしてそのような大組織が動けば、必ず儲けの好機か、大損の危機が生まれるものだ。できる限りの情報を集めなくてはならない。


 ジャンの心を知ってか知らずか、聖女は照れたような笑みとともに、やや声をひそめて答える。


「実は……ロドガルドの辺境伯様と、婚約のお話があるのだわ」

「えっ! 聖女様があの冷血っ、いやゼノル卿と!?」

「あ、銀貨の用意ができたみたい」


 聖女は何事もなかったかのように神官から貨幣受けを受け取ると、衝撃に目を丸くするジャンの前に、王国銀貨の積まれたそれを差し出す。

 手に取るよりも先に、反射的に目で数えるジャンだったが……違和感を覚えた。

 あらためて銀貨を手に取り、計数してみる。やはりおかしい。


「……これ、間違ってない?」


 かわいらしく小首をかしげる聖女に、ジャンは言う。


「多いと、思うんだけど……手数料を考えないとしても、五十分の一ほど」


 両替すれば普通、額面は減るものだ。

 手数料を取らなければ両替商の利益がない。教会も、もちろんそれは同じだ。

 だが今回の場合……手数料分の減額がないばかりか、わずかではあるが合計の価値が増えている。

 ジャンは、銀貨を数えた神官のミスではないかと思ったが……、


「いいえ。それで合っているのだわ」


 聖女が穏やかに微笑んでそう言ったため、ジャンは動揺する。


「え、でも、なんで……」

「ワタシ、ずっと思っていたの」


 聖女は胸に手を当てながら言う。


「商人さんたちは、遠い街からいろいろな商品を運んできてくれて、遠い街にワタシたちの街の商品を売ってくれる。そうやって大変な思いをしながらワタシたちの暮らしを豊かにしてくれているのに……ただお金を替えるだけで手数料をとられるなんて、あんまりじゃないかしらって」

「ええっ? だけど……」

「だからね、ワタシは商人さんたちをもっと助けてあげたくて、こんなことを始めてみたの……。せめてワタシが嫁ぐこの街だけでも、みんなには笑顔でいてもらいたかったから」

「聖女様……」


 もしもジャンが冷静だったなら、馬鹿馬鹿しいことだと気づけただろう。

 明らかに経済的合理性に反している。百歩譲って領主が公共事業として行うならばまだしも、教団ではただの慈善事業にしかならない。そのような合理性に反した事業が、長く続くわけがない。


 しかし、孤独な行商人生活の中で寂しさを募らせ、久しぶりに美人と楽しく会話し舞い上がっていたジャンは、目の前の聖女がまさしく聖女に見えた。

 感激に瞳を潤ませながら、ジャンは言う。


「僕たちのことを、そんな風に考えてくれる人がいただなんて……! 何か、何か僕にもできることはないかな!? 君の力になりたいんだ!」

「ありがとう!」


 聖女は満面の笑みで答える。


「そう言ってくれるだけでうれしいのだわ。でも、もしできるなら……ワタシのこと、応援してほしい」

「応援……?」

「ええ」


 聖女の目が細められる。


「みんなが応援してくれれば……きっと、うまくいくと思うから」


 その意味を深く考える間もなく、ジャンの腕が、傍らに待機していた神官に掴まれる。


「時間です。待っている人がいるので、離れて」


 有無を言わせぬ響きだった。実は教会騎士なのではないかと思うほどに力も強く、自分では到底抗えないことがわかる。


 ああだけど、まだ話したい。


 ジャンは、先ほど両替所の前から引き剥がされていた男の気持ちがよくわかった。

 屈強な神官に腕を引かれながら、それでもジャンは、聖女に叫ぶ。


「僕、応援するよ! 知り合いにも聖女様のことを伝える! 商会の偉い人にも、聖女様を助けてくれるよう頼んでみるから……!」

「ほんとー!? ありがとう、お兄さん!」


 聖女が、驚いたような笑みを浮かべる。

 そして去りゆくジャンに、思わず耳を傾けてしまいたくなる、澄んだ声で言った。


「あなたにも、神の祝福を」

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