――――第5話――――
聖女の襲来から、約半月後。
ゼノルがいつものように仕事をしていると、屋敷に客人が来たとの報せが入った。
事前連絡のない訪問客の場合、使用人に応対させることも多い。
ただ今回の場合は、その訪問客が都市参事会の会員であり、領都に本店を構える大商会の代表でもあったことから、ゼノルが自ら対応することになった。
「待たせたな。どうしたのだ、今日は突、然……」
応接室に入ったゼノルが、言葉を失う。
そこにあったのは、王国一の大男が着るのではないかというサイズの、金色に光り輝く全身鎧だった。
板金を曲げ、体全体を覆うように作られるそれは、普通銀色だ。
だが今応接室に仁王立ちしているそれは、どういうわけか黄金の輝きを放っており、しかもところどころに宝石まであしらわれている。よく見れば兜についた深紅の羽根飾りも、はるか南方に棲むとされる希少鳥のものであるようだった。
呆気にとられるゼノルに、商会の代表が揉み手をしながら言う。
「これはこれはゼノル卿、ご無沙汰しております。本日も実に凜々しい佇まいでいらっしゃって。へへっ」
「貴様……いったいこれはなんなのだ」
「祝いの品でございます。へへっ」
代表が激しく揉み手をしながら続ける。
「いかがでしょう。当会秘蔵の一品でございますよ。見事なものでしょう、この美しさ! さすがに純金製ではなく鍍金なのですが、宝石は本物でございます。美術品として飾られるのはもちろん、ゼノル卿は辺境伯でいらっしゃいますからな。いずれ出陣される際に着用されてもよいでしょう」
「着られるかこんなものっ!」
激しく突っ込んだゼノルが、頭痛をこらえるかのように頭を押さえる。
「これまでにも公言していたはずだが……このような品をよこしたところで、オレは便宜など図らんぞ」
「もちろん存じておりますとも。贈賄のつもりはございません。これは純粋に、私めからの祝いの気持ちでございますので」
「そういえば先ほども言っていたが、祝いとはなんの話だ?」
「へへっ。聞いておりますよ、ゼノル卿」
そこで代表の男が、声をひそめる。
「なんでも……あの聖女様と婚約の予定がおありなのだとか!」
聞いたゼノルが顔を引きつらせる。
「ほ、ほう……またこのパターンか。奴ら存外に、痺れを切らすのが早かったな……。いいか、はっきり言っておくぞ。そのような婚約の事実など、ない!」
「いえいえもちろん、存じております」
代表が小さく手を振りつつ、声をひそめる。
「まだ、話し合いの段階なのですよね」
「む……」
ゼノルが鼻白んだように目をしばたたかせる。
「それは……たしかに、そのとおりではあるが……」
「私めも噂話に尾ひれがつかぬよう、当会所属の商人たちにはよく言い聞かせております。話が大きくなりすぎ、せっかくの縁談が流れてしまってはことですからな」
したり顔で言う代表に、ゼノルは内心首をかしげる。
ラニスたちが婚約を既成事実化するために噂を流したのかと考えたが、どうにも違うらしい。
「いやそれにしても、聖女様はすばらしいお方だ」
うんうんと一人頷きながら、代表は言う。
「聖女というほどですから、信仰には厚くとも俗世には疎いものと思っておりましたが、いやそれがどうして! 人の世にも敏くいらっしゃる。まさか、あのようなことを始められるとは」
「む……?」
「たしかに金勘定は教団の得意とするところではあるでしょうが、金貨を扱う者が同時に慈愛の心を持ち合わせるなど、商人としてはいささか信じがたいほどで。我らの苦しみを、聖女様はきちんと知ってくださっていたのでしょうなぁ。特に領都やその周辺においては、ムルーディ会がのさばっているせいで商人はみな苦労しておりますから……ふっ、あの三代目風情が、これで痛い目を見ればいい。徴税まで請け負っておきながら、欲を掻いた神罰が……おっと失礼! もちろんゼノル卿を悪く言うつもりはありませんとも。へへっ」
「……」
「とにかく、我らは聖女様がいらしてくださったおかげで大変助かっているのでございます。所属の商人たちも、みな感謝しておりまして……さらに言えば、とてもお美しい方でいらっしゃいますからね。へへっ。ですからその、聖女様にはぜひこのすばらしい街に腰を落ち着けていただきたく、つきましては婚約の方はぜひとも、ぜひとも前向きな方向で……」
「……貴様」
その時、ゼノルはぽつりと言った。
その声音に鋭いものがあることを感じ取り、男の笑顔が凍る。
「な……なにか」
「先ほど、あの女がこの街で何か始めたのだと言ったな」
「え、ええ……。あれ? もしかしてご存じなかったので……?」
「初耳だ。そのような話はまったく聞いていない」
「そ、そう……でしたか。へへっ、てっきり、ゼノル卿も認めているものと……」
「言え」
有無を言わせぬ響きで、ゼノルが短く告げる。
「奴は何を始めたのだ」
「……。いやぁ……大したことではないのですがね。教団であれば、特別でもないことと申しますか……」
良くない気配を察したのか、代表の目が泳ぐ。
しかしそれでも、誤魔化すという選択肢はないようだった。
「教会の敷地で……両替業を」
「両替業だと?」
ゼノルの眉がひそめられる。
代表の男の言うとおり、教団の事業として両替業は珍しいものではない。特に小規模な教会がよくやっていることではある。
だが、聖女がそれを突然始めたというのは、どう考えても妙だった。
加えて言えば、商人たちがそれをやたらともてはやしているらしいことも。
ゼノルはわずかに思考した後、口を開く。
「それほどに評判がいいということは、よほど手数料が良心的なのだろうな。たしかにムルーディ会は、少々ぼったくり気味の手数料率だと聞くが……どれほどなのだ」
「……え?」
「え? ではない。あの女はどの程度の手数料を取っているのかと訊いているのだ」
「そ、それは……」
なぜか、代表が言いよどむ。
まるで自分自身に後ろめたいことがあるかのようなそぶりに、ゼノルの眉はますますひそめられる。
「……です」
「なんだって?」
「ですから、その……マイナス……です」
その答えに、ゼノルは思わずあんぐりと口を開けた。
「オ……オレの耳がおかしくなったのか? 今、手数料がマイナスと聞こえたのだが……」
「いえ全然、正常でございます……。私めはたしかに、そのように申し上げました。聖女様の両替所は、手数料がマイナスなのです」
「……」
「つまるところ……」
代表の男は、まるで何かを誤魔化すように、媚びた笑みで言った。
「我々は両替をすればするほど、お金が増えてしまうのです……へへっ」




