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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
二章 聖女編

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――――第2話――――

 聖者、と呼ばれる者たちがいる。

 極めて有用な、しかし扱える者が稀な神器に選ばれ、社会に多大な恩恵をもたらした者たちだ。


 ある者はパンを民衆の分だけ生み出し、人々を飢餓から救った。

 ある者は自らの血で病める者を癒やし、人々を病苦から救った。

 ある者は船の上で嵐を鎮め、大勢の乗る船を転覆の危機から救った。


 特別な神器を扱う資質を、神から与えられし聖なる者――――すなわち聖者。

 その数は、教団が正式に認定した者に限れば、四十人。創神教団の誕生から一〇〇〇年間で、現れた聖者はたった四十人しかいない。

 神器は数多く、選ばれることも珍しくはない。しかし、人々の暮らしに大きな影響をおよぼすほどの上級神器を扱える例は、それだけ希少なのだ。


 そんな聖者たちの中に、二人だけ――――聖女、と呼ばれる者たちがいる。

 その呼称が示すとおり、二者は共に女性である。彼女らが特別にそのように呼び交わされる理由は、二つ。

 まず、初めて教団が把握したその特性を持つ者、つまり一人目の聖女が、女性であったこと。

 それから、その特性がこれまで二人しか確認されていない、極めて希少なものであることだ。


 一人目の聖女はおよそ八百年前に現れ、神の姿を見、神の声を聞きながら、現在の教団における教義の基礎を作り上げたと言われている。

 そして二人目の聖女は今、この時代に存在する。


 教団が認定した四十人目の聖者にして、八百年ぶりに現れた二人目の聖女――――聖ラニス。

 彼女の持つ、史上二例しか確認されていない稀な特性とは……ありとあらゆる神器に、必ず選ばれるというものだ。



**



「アハッ、こわーい」


 現代の聖女は、ゼノルの顔を見るなり、いきなりそんな失礼なことをのたまった。

 屋敷の応接室。ゼノルの正面には現在、突然訪問してきた聖女が座しており、その傍らには付き添いである上級神官が立っている。


 室内には、微妙な空気が満ちていた。

 ゼノルは思い切り警戒して二人を睨んでおり、歓迎の雰囲気など微塵も醸し出していない。客人にとってみれば、もはや完全な敵地だろう。

 常人ならば今すぐ席を立ち、屋敷から逃げ出しているほどの威圧感だったが……しかし聖女は、おかしいくらいに愉快げな調子で言う。


「びっくりした! あなた、ほんとに冷血卿って顔してるのね。こんなに噂どおりだなんて思わなかったのだわ! おもしろーい」


 言いたい放題の聖女。

 しかし、不思議と……そんな態度であっても、ゼノルにさほどの不快感をもたらさなかった。


 透けるような薄紅色の髪に、活動的に映る整った顔立ち。未だ年若い聖女は、美少女と呼ぶにふさわしい容姿を持っている。

 袖のゆったりとした、聖職者らしくもどこか華やかな装いも相まって、祭日の教会を彩る大輪の白花を彷彿とさせた。


 だが、なにより特徴的と言えたのは……彼女の声だった。

 よく澄み、よく通り、思わず耳を傾けずにはいられない声。

 その声のために、彼女の態度も不躾というよりは天真爛漫といった印象を他人に与える。不快感ではなく、裏表のない様子が逆に好感まで抱かせてしまうほどだ。


 彼女が歌姫だったならば、きっと多くの聴衆を魅了したことだろう。

 同時に、その声は……宗教指導者としても一級のものと言えた。

 聖女は満面の笑みとともに、続けて告げる。


「でも、ワタシは好きよ! ゼノル」


 常人がそれを聴けば、思わず舞い上がり、一瞬で彼女に心酔していたところだっただろう。

 しかし、だからこそゼノルは警戒を崩さない。

 あえて聖女には答えず、傍らに立つ髭面の上級神官を見据えて言う。


「久しいな、ダグライ殿」

「……恐れ入ります。ゼノル卿」


 上級神官のダグライは、そう言って頭を下げる。

 昨年の晩夏、盗品の神器である『夜』の返還交渉にゼノルのもとを訪れ、代償として領都に新造される教会の大教会認定を約束した神官だった。


 上役にあたる大神官が、学園生である子女経由でレイシアと繋がっていたため、前回は厳密にいえば敵だった。

 しかし、現在は特に敵対していない。むしろ今後教団内部で大教会認定を推進してもらう、協力者の立場だ。ダグライやその上役の大神官自身も、ロドガルド辺境伯と積極的に敵対したいとは考えていないだろう。


 だからこそ、今回の突然の訪問と、縁談の提示は不可解だった。

 ゼノルは聖女に目を戻して言う。


「して……聖ラニス猊下」

「ラニスでいいのだわ」


 聖女ラニスが明るい声で言う。


「あんまりかしこまって呼ばれるの、慣れてないの」

「ではラニス殿」


 ゼノルは、ためらいなく尊称を消して続ける。


「オレの聞いたことが間違いでなければ……本日は、縁談の申し入れに来られたということだが」

「アハッ、そう!」


 ラニスが、手をぱんっ、と合わせて言う。


「ワタシたち、結婚しましょう? ゼノル」


 ゼノルはこめかみに指を当て、まるで頭痛をこらえるかのように目を伏せながら言う。


「……すまないが、突然のことで正直驚いている。まさかオレも、かの聖女殿に求婚されるとは思ってもみなかったものでな……。まずは理由を訊いても?」

「そんなの、決まっているのだわ」


 ラニスはそう言って、微笑を浮かべた。

 その仕草は、これまでの言動とは対照的な、聖女らしいものだった。


「それが神の意志だから」

「……」

「ワタシは、それを知ったの。人は所詮、神器と同じく神の被造物にすぎない。知ったならば、従うだけよ」


 ゼノルは無言で、ラニスの金色の瞳を見据えた。

 ラニスは微笑んだまま、目を逸らさない。

 まるでゼノルどころか神に対しても、なんら後ろめたいことがないとでもいうように。

 やがて――――先に視線を逸らしたのは、ゼノルの方だった。


「……ラニス殿の意志は理解した」

「神ね」

「ラニス殿と神の意志は理解した。だが……教団としてはどう考えているのだ? ダグライ殿」


 ゼノルの視線が、静かに佇む髭面の上級神官に向けられる。


「ラニス殿は、現在の教団にとって最重要と言って差し支えない人物だろう。なんと言っても史上二人目の聖女だ。考えようによっては、教団の頂点におわすかの聖皇猊下に比肩するとも言える。そんな人物が、このような辺境の一貴族に嫁ぐことを教団は許容するのか?」


 ダグライはわずかに間を置いた後、目を伏せながら口を開く。


「我々は神に仕える身。その意志を知ったと、ラニス様がおっしゃるならば……」

「ダグライ殿」


 上級神官の言葉を、ゼノルは遮る。


「オレが聞きたいのはそんな答えではない。わかるな? ここは腹を割って話そうではないか」

「……失礼いたしました」


 ダグライは一礼の後、続ける。


「ではまず、一つ訂正を」

「訂正?」

「ラニス様は決して、教団にとって聖皇様に匹敵するほどの人物というわけではございません」

「ふむ……というと?」

「聖者とはあくまで称号。どのような神器に選ばれたか、人々の暮らしにどのような貢献をしたかが認定の基準であり、神官としての位階や役職には無関係です。つまり俗人であっても、極端に言えば信者でなくとも、認定の対象になりえます」

「過去にはそのような聖者もいたと聞くな。で?」

「ラニス様の扱いも、教団としては他の聖者と同様に考えております。敬い、称え、時に保護する対象であるとしても、教団という組織にとっては重要と言えません。ラニス様は神官でもありますが、その位階は大神官。役職もない以上、あくまで聖皇様と比べればですが……教団から去られて支障のあるほどの人物とは言えないのでございます。ましてや婚姻の自由を妨げる道理など、あるはずもございません」

「そうそう! ワタシ、そんなに偉くないもの。誰と結婚するのだって、自由だと思わない?」


 ダグライの言葉に、ラニスも笑顔で同調する。

 ゼノルはわずかな間の後に口を開く。


「……なるほど。今や教団という組織に、聖女は必要ないというわけか。八百年前の聖女オリアンネは、その求心力と神器の力によって黎明期の教団を導いたと聞くが……その頃とは教団の在り方も大きく変わっているのだろうな」


 そう言ってダグライに目を向けると、髭面の上級神官は一瞬目を泳がせた後に、小さくうなずく。


「……ええ。かつて教団は神器を用い、布教のための資金や人々の協力を得ていました。それに際し、時に聖者を頼ることもありましたが……現在の教団の収入源はご存じのとおり、寄進のほか金融や不動産業です。こう言ってはなんですが、神器の権能に頼るよりも、より大きな富を効率的に得ることができます。もはや教団が、積極的に神器を用いる時代ではなくなったのです」


 ゼノルの目が鋭くなる。神官の返答は明らかに、核心を避けたものだった。

 だがそれには触れず、ゼノルは平静を装って言う。


「……だろうな。しかし、教団にとって聖女が重要ではないという言い分にはいささか納得しかねる。すべての神器に選ばれる、八百年ぶりの聖女。その価値を考えれば、たとえ自分たちで神器を使用する必要がなくとも、重要でないはずがない。教団としてはいかようにも利用……いや、自分たちへの貢献を期待できる存在であるはずだ。だからこそ、それほど若いながら大神官という高い位階に置き、内部に抱え込んでいるのではないかの?」

「……いかにも、おっしゃるとおりでございます」


 表情を変えることなく、ダグライは言う。


「率直に申し上げますと……教団は、この地に影響力を持ちたくございます」

「……ほう?」

「ラニス様のおわす地では、民も神の存在をより強く意識することでしょう。それはすなわち、その地に建つ教会の価値を高めることに繋がります。教団本部のある王都からラニス様が去られることは少なくない損失ではあるものの、ロドガルド家に嫁がれるのであれば、それは教団としても望むところ。大神官の位階であれば大教会の長である管区長になれるため、できれば輿入れ後はその地位に収まっていただきたくはございますが……そこまでは望みません。貴族の妻という立場との兼務は、難しいものがあるでしょう。我々といたしましては、お二人の婚姻の成立を手助けできれば十分でございます」

「ふむ……。このような辺境に、なぜそこまで執心されるのか。いささか解せんな」

「ご冗談を。王都に近く、異民族の地に接し、海にも面しているうえに商業的にも成功しているこの地は、王国でも有数の要衝。そのうえ、二年後には大教会も建ちます。今ロドガルド領を重く見ぬほど、教団は不見識ではございません」


 ダグライの語りには、わずかな淀みもなかった。

 ゼノルは小さくうなずいて言う。


「ふむ、事情はおおむね理解した。たしかに人々から崇拝される聖女殿が見守る地では、民の信仰心も増すことだろうな。しかし一応、確認しておきたい」


 ゼノルは、ダグライからラニスに視線を移して言う。


「縁談の申し入れは、あくまでラニス殿の意志。教団はそれを支持する立場にすぎないと……そのような理解で間違いはないか?」

「……ええ」

「そうよ。言ったでしょ、ゼノル。これはワタシが知らされた、神の意志なの」


 ダグライがうなずくと同時に、ラニスは笑みを深めて言う。


「ワタシたちの結婚は、きっとうまくいくわ。だって神の意志なんだもの。あと、教団の人たちも喜ぶしね。ゼノルにとっては、そっちの方が重要かしら?」

「……ああ、そうだな」


 ゼノルは静かにうなずく。


「神の祝福ももちろんありがたいが、聖女殿との婚姻が成れば、今後は教団とより密な協力関係を築くことができる。ロドガルドとしても、利は大きいと言えよう」

「アハ、そうね! それならすぐに……」

「だが、婚姻は成らん。残念ながらな」


 ラニスの笑顔が固まった。

 ゼノルは背もたれに身を預けるようにして続ける。


「失礼ながらラニス殿は、王国貴族の生まれではあるまい?」

「……」

「聖女とはいえ、身分で言えば平民。となると、オレとの婚姻はすなわち貴賤結婚となる。言うまでもなく、貴族の慣習に反する」


 ラニスはどこかぽかんとした様子で、ゼノルの語りを聞いている。

 ゼノルは、己がいつか必ず打倒すべき慣習法を、婚約拒絶の口実として利用している現状に皮肉を感じた。

 しかし打倒するには手強くとも、利用するにはこれほど頼りになるものもない。

 微笑する余裕すら見せながら、ゼノルは続ける。


「当主の立場としては家の存続を考えねばならん以上、王や貴族社会に認められない婚姻は不可能だ。たとえ相手が、どれほど崇高な存在であろうともな。非常に惜しく思うが、この話は断らせて……」

「その心配はいらないのだわ」


 その時、ラニスがにこやかにそう言った。

 思わず断りの台詞を止めたゼノルへ、ラニスは傍らの上級神官に顔を向けながら言う。


「教団もちゃんと考えてるから。そうよね? ダグライさん」

「ええ」


 ダグライが慇懃にうなずき、ゼノルに告げる。


「婚約が成立したあかつきには、ラニス様には爵位が与えられることになります」

「! なんだと……」


 ゼノルがわずかに目を見開く。

 ゼノルの驚愕も無理からぬことだった。爵位を授与する権限を持つのは、国王を除いて他にいない。つまり聖女の婚姻を実現するために、教団として王に働きかけると言っているのだ。

 ゼノルはこめかみに指を当てながら、ダグライに訊ねる。


「それはいったい……どのような名目で?」

「そこまでは、私も聞かされておりません。ただ、そのようになるとだけ」


 ゼノルは考え込む。

 聖女への授爵は、決して不可能ではないだろう。聖女自身の功績ももちろんだが、教団の影響力も大きい。たとえ一国の王とて、彼らの意向を無下にはできない。


 ただそうは言っても……簡単にはいかないだろう。

 少なくとも、聖皇が動く事態となる。

 それはつまり、それだけ教団がこの縁談に本気であることを意味した。


「……わかった」


 しばらく考え込んでいたゼノルは、やがてぽつりと呟くと、聖女と神官を見据えて言う。


「どうも、事はオレが考えていたよりもずっと大きいようだ。ロドガルド家の未来にかかわる事柄である以上、即答はしかねる。少々、検討の時間をもらいたい」


 応接室に、一瞬沈黙が流れる。

 それを破ったのは、ラニスだった。


「いいんじゃないかしら?」


 白の長手袋を嵌めた両の指を組みながら、朗らかにラニスは言う。


「今日は突然すぎたもの。すぐに受け入れられる話でもないと思うのだわ。でも、前向きに考えてくれるってことでいいのよね?」

「ああ」


 ゼノルは酷薄にも映る笑みとともに言う。


「こちらとしても、実に魅力的な話であることは確かだ。得られる利益もそうだが、美しくも聖なる妻を迎えられるとあらば、オレも男としての誇りが満たされる」

「アハ、ありがと! じゃあ行きましょう、ダグライさん」

「……かしこまりました。ではゼノル卿、我らはこれで」

「ああ」


 鷹揚にうなずくゼノルに、ダグライは一拍置いて付け加える。


「返答を待つ間……我らはしばし、この地の教会に身を寄せようかと思います。滞在のための人員も同行させておりますので」

「大教会が建つって聞いたけど、今の教会も立派で、ワタシは好きよ。返事、楽しみにしてるわね」


 言いながら、ラニスが席を立つ。

 そして執務室から去る間際――――、


「あ、そうそう」


 聖女は振り返り、華やかな笑みとともに言った。


「あなたに、神の祝福を」

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