――――第39話――――
令嬢二人の襲来から、数日後。
屋敷の廊下を歩いていたゼノルは、きょろきょろと誰かを探す素振りを見せるユナの姿を認めた。
「……」
幼い頃から知己である二人だが、部下や使用人に示しがつかないため、人目につく場所では一線を保つようにしている。
この時も、ゼノルは声をかけることなく通り過ぎようとしていたのだが。
「あっ、ゼノ君いた!」
ゼノルの姿を認めたユナが、一瞬周囲に人影がないのを確認し、駆け寄ってきた。
「探したよー、執務室にいないんだもん」
「ちょうど教会の建設状況の確認に行っていたのだ。何かあったのか?」
眉をひそめて問うゼノルに、ユナは言う。
「ベルトリッド様が、ゼノ君のこと呼んでる」
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ゼノルの屋敷から少し距離を置いた場所に、その離れは建っていた。
客人が滞在するための離れとは別に、先々代当主が、自身が隠居した時のために建てさせたものである。
「ベルトリッド様、失礼します」
ユナが、居室の扉をノックしながら言う。
「ユナです。ゼノル様がお見えになりました」
「……おお、入りなさい」
扉越しにもわかる、張りのある声が響いた。
ユナが扉を押し開けて入室する。
部屋の中心に設えられた、大きなベッド。そこに、一人の大柄な人物が横たわっていた。
老境にあるために、髪も口髭も白い。老いさらばえた肉体にはしかし、かつての偉丈夫の影を残していた。傷の残る顔には、今は穏やかな表情が浮かんでいる。
ロドガルド辺境伯家先々代当主、ベルトリッド・ディラス・ロドガルド。
上体を起こして二人を迎えたその人物は、異民族を相手に戦った最後の当主であり、ゼノルの実の祖父だった。
「来てやったぞ、ジジイ」
ゼノルが不遜そのものな態度で言う。
「用件はなんだ。さっさと言え。オレは忙しい」
「あ、もー! ゼノ君またそんなこと言って!」
ユナが怒った顔になって言う。
「ベルトリッド様に対してさあ! もっとあるでしょこう常識的な態度が! 前の当主様とか以前に、自分のおじいちゃんなんだよ?」
「知らん。オレが常識だ。隠居したジジイにかまっていられるほど暇ではない」
「はあ……。ごめんなさいベルトリッド様。ゼノ君、すっかりこんな風になってしまいました……」
恐縮するユナ。
砕けた態度を見せるメイドを、しかしベルトリッドは咎めるでもなく、苦笑を浮かべて言う。
「いいのだ、ユナが責任を感じることはない。昔からこうなる気配はあった。しかしゼノルよ、そう悲しいことを言うな。用がなくては、孫と顔を合わせてはいけないのか? お前が最後にここを訪れたのは、もう半年も前だろう」
「ふん。言っただろう、オレは忙しいのだ。特にここ半年は、くだらん雑事に時間をとられていた」
ゼノルは鼻を鳴らして言う。
「書面での報告で足りぬと言うのならば、貴様の方から来い。さっさとあの馬鹿みたいな体力を取り戻してな」
「おお……ユナ。ゼノルが儂の心配を……。少し見ないうちに、精神的に成長したのかもしれん。肉体的には……うむ、儂の若い頃と比べると……いや、これ以上の言及は避けよう」
「よかったですねベルトリッド様! でもゼノ君、身長はもう伸びないんじゃないかなーと思います」
二人のやりとりに、ゼノルは青筋を立てながら言う。
「おいジジイ……! 用がないならば、オレはもう戻るぞ……!」
「……ユナ」
ベルトリッドは、ふとユナに顔を向けて言う。
「少し、ゼノルと話がしたい」
ユナははっとした顔になると、ぺこりと頭を下げ、そそくさと部屋を後にした。
閉まる扉を見つめていたベルトリッドが、ぽつりと言う。
「あの子が来て、どれくらいになる」
「知らん。十年経ったかどうかといったところだろう」
「……もうそんなになるか」
ベルトリッドは目を伏せ、それからゼノルに顔を向ける。
「領地経営は、順調のようだな」
「ああ。報告していたとおりだ」
ゼノルは当然のように言う。
「海賊どもの殲滅を終え、数年後には大教会も建つ。新たな神器も手に入った。すべてが順調だ。貴様などより、よほどうまくやっているぞ」
「素晴らしいことだ」
ベルトリッドは、そう穏やかに言う。
「ただ、意外でもある。お前が、自らの才を……領地経営などという俗事に使おうとは」
「……人には、為さねばならんことがある」
ゼノルは気づくと、かつてレイシアから聞いた言葉を放っていた。
「オレは自らの使命のため、力を尽くしているにすぎん」
「……ゼノル」
ベルトリッドが、静かに口を開く。
「まだ、妻を迎えないのか?」
「ああ」
「なぜだ?」
ベルトリッドは、続けて問う。
「やはりまだ――――あの子に懸想しているのか」
「ふん」
ゼノルは鼻を鳴らし、欠片も表情を変えることなく答える。
「だったらなんだ」
「……わかっているのか? 貴族は慣習法により、貴族以外との結婚が認められていない。妻は正当な権利を得られず、子も継承権を持つことができない。儂の知る限り……貴賤結婚は、不幸の元だ」
「なに寝ぼけたことを言っている。オレがあいつを、不幸にするはずがないだろう」
「あの子をどこかの下級貴族の、養子にでもするつもりか?」
「くだらん貴族に、オレの急所を握らせろと?」
「ならば……お前がロドガルドを捨て、市井に下るか?」
「論外だ。そんなことをすれば、あいつはそれを負い目に感じる。そんな思いはさせん」
「……本当にわかっているのか、ゼノル」
わずかに表情を険しくし、ベルトリッドが再び問う。
「お前が相手にしようとしているのは……慣習法という、実体すらないままに国を支配する巨人だ。王国法とは違い、議会で条文を変えることもできない。その打倒が、いかに困難なことか……」
「ジジイ、二度も言わせるな――――だったら、なんだ」
ゼノルは当然のように言う。
祖父ではない、どこかにいる何かを、その凍てつくような眼差しで睨みつけながら。
「その程度の困難、オレにとってはわけもない。慣習法など、葡萄酒片手に打倒してやろう。そこで黙って見ているがいい、ジジイ」
ゼノルは笑う。
酷薄にも映るその笑みで、不敵に宣言する。
「オレはいずれ、ユナを妻に迎える。遠い日の約束を果たし、あいつを幸せにしてみせる。それこそがオレの使命であり野望だ。これを為し遂げるまでは――――」
ゼノルは言う。
これまで幾度となく、言い放ってきたその言葉を。
「――――オレは絶対に、結婚などしない」
ベルトリッドは目を閉じ、ゼノルの宣言を無言のまま聞いていた。
しかし、
「……ふっ」
その口から、笑声が漏れる。
「ふふっ、ふっ……はーっはっはっはっはっはっはっは!!」
次第に、それは高笑いへと変わった。
ゼノルがよく上げるそれとは違う、かつての偉丈夫を感じさせるような、腹の底からの笑声だった。
目尻の涙を拭い、ベルトリッドは言う。
「いやすまなかった。ただ、嬉しかったのだ。お前は息子はもちろん、儂にもまるで似ていない――――紛れもなく、始祖の再来だ」
そして、告げる。
「お前にとってそれほどまでに容易いようならば……その使命、儂がより困難なものとしてやろう」
「……なんだ」
眉をひそめるゼノルに、ベルトリッドは威厳の籠もった眼差しとともに言う。
「この老身が息絶えるまでに、為し遂げてみせるがいい」
「……ふん。くだらん」
ゼノルはそう言って、踵を返した。
自らの祖父へ、背中で答える。
「元よりそのつもりだ」




