――――第38話――――
そして、パーティーから数日が過ぎた。
「わ、このお茶おいしい」
「ふふ、そうでしょうマリー」
自らの茶杯を持ち上げながら、レイシアが長椅子の隣に腰掛けるマリーへにこやかに言う。
「ここのお茶は、とてもおいしいのです」
「おい」
二人の正面に座るゼノルが、書類から顔を上げ、レイシアを睨んで言う。
「オレの屋敷を、茶屋のように言うな」
この場所がどこかと言えば、ゼノルの屋敷の応接室だった。
目の前に座る二人の少女に、ゼノルは顔をしかめて言う。
「二人仲良く突然来おって……だいたいレイシアはまだしも、貴様は何の用で来たのだ、マリー」
「私はただの付き添い」
不機嫌そうなゼノルに、マリーは笑顔で言う。
「なんといっても盟友だもの。遊びに来たっていいわよね」
「遊びのつもりならば来るな、オレは忙しいのだ……!」
「あと、一応謝っておこうかと思って」
ゼノルの返しを無視してそう言うと、マリーは少ししおらしい態度になる。
「あとでレイシアに聞いたんだけど、ああやって破談の噂を広げればちゃんと、レイシアは狙われなくなるのね。何もわからず勝手なこと言ってごめんなさい。私、あなたたちほど察しがよくないから」
「……ふん。別にかまわん」
ゼノルは書類を目の前にかざしながら言う。
「オレもわざと説明しなかった。何をするかわかっていれば、貴様は絶対に協力しないと考えたからだ。単にレイシアの動揺を誘うため、背後に立たせたかっただけだからな。要するに嫌がらせだ」
「私、もう一回怒った方がいいかしら」
「騙された貴様が悪い」
「まあまあ」
レイシアがにこやかに場を取りなす。
「過ぎたことをこれ以上言うのはやめましょう。それに、わたくしは嫌がらせされたなんて思っていませんよ? あの場の空気が変わったのは、マリーがいたおかげでしたから。ふふ、皆からの野次に小悪党の捨て台詞を残して逃げていくゼノル様はだいぶおもしろく、あんな状況でしたが思わず笑ってしまいそうでした」
「ぐっ……! クソ、あの愚物ども、今思い出しても腹が立つ……! あそこが敵地だということを忘れ、気を抜いていたオレも浅はかだったが……」
ぎぎぎと歯を食いしばるゼノル。
その様子をおもしろがるように眺めていたレイシアは、ふとマリーに顔を向けて問いかける。
「カルアード領の様子はどうですか?」
「あ、うん。さすがにまだ何も変わってないと思うけど……お父さまからは、肩の荷が下りたようだって手紙が届いてたわ。最初はいきなりゼノルが来て、すごくびっくりしたみたいだったけどね」
「だろうな」
ゼノルはマリーと話した翌日にカルアード領へ発ち、到着したその日のうちに交渉をまとめていた。
カルアード男爵は当然、突然のことに目を白黒させていたが。
マリーは言う。
「きっと、大丈夫だと思う。『鍵』ももう、ロドガルドの軍の人に預けたって」
「ほう。ならばそう遠くないうちに、オレの手元に届くか」
「うん……ありがと」
「礼にはおよばん。こちらはほぼ無償で神器が手に入ったのだからな」
「ふふ、よかったです。これで万事解決、大団円ですわね」
レイシアがにこやかに言う。
「わたくしもうれしく思いますわ。さて、ゼノル様もお忙しいようですし、わたくしたちはそろそろおいとましましょう、マリー。ではゼノル様、そういうことでよろしくお願いいたします」
「おい待て!」
立ち上がりかけたレイシアを、ゼノルは即座に呼び止める。
「なにそれらしい雰囲気を出して帰ろうとしている……! 何がそういうことでよろしくだ、何もよろしくなどない! なんだこの見積書は!」
そう言うと、ゼノルはテーブルの上に広げた書類をバンと叩いた。
それらの書類は、どれも大教会建築に必要な資材の見積書だった。
この日レイシアは、買い占めていた資材をゼノルに売却するにあたり、相談したいと言って訪れていたのだ。
例によって事前連絡もなく、マリーとともにいきなり乗り込んできたわけだが、たしかにそれは必要なことではあった。
しかし、ゼノルは怒り心頭な顔で言う。
「高すぎる! どれもかつての相場の二、三割増しではないか! 貴様っ、パーティーでの意趣返しのつもりか……!?」
「まあ……わたくしは決して、そんなつもりでは」
レイシアがあからさまに落ち込んだ素振りで言う。
「仕方がなかったのです。資材を急いで買い集めるために無茶な買い付けを行ったせいで、どうしても平均単価が高くなってしまい……。以前の相場で売ってしまっては、借金を返せずに破産してしまいます。ゼノル様、ここはどうか、この価格で呑んでいただけませんか……?」
上目遣いでゼノルを見つめるレイシア。
それは男相手ならば、どんな要求でも呑ませてしまいそうな仕草だったが……しかしゼノルは吐き捨てるように言う。
「ふざけるのもたいがいにしろ。農園や貴様の私財を担保に借り入れられる金額程度、相場でオレに売ったとしても余裕でまかなえるだろう! しかも貴様が市場価格を高騰させたせいで、余った分の資材を普通に売るだけで黒字になる状況だ。そのうえでさらにオレからふんだくろうとは、がめついにもほどがあるぞ……!」
「おや……ふふ。お見通しでしたか」
レイシアはすぐに、しとやかな令嬢然とした笑みを浮かべて言う。
「でも……売ってほしいのですよね? 資材」
「どうしても破産したいというのなら、オレは一向にかまわんが?」
しばし睨み合う二人。
先に折れたのは、レイシアの方だった。
「……仕方ありませんね」
渋々といった様子でテーブルの上に身を乗り出し、書類の各所を指さし始める。
「石材は一律でここから二割引き。あとこの辺りは、端数を落とすということで……」
「ダメだ、石材は二割五分引け。それから木材は二割、石灰も……」
「いえそれはさすがに……」
「いやこれでも十分……」
しばらくの間、ゼノルとレイシアはああでもないこうでもないと言い合っていた。
やがて食事が始まって終わるくらいの時間が経った頃、二人はそろってやや疲れた様子で顔を上げる。
「……ふん。まあ、こんなところだろうな」
「仕方ありません。これで納得してさしあげましょう」
どうやら話はまとまったようだった。
書類は、羽ペンでなされた執拗な加筆で読みにくくなっている。
「まったく。これで期限に間に合わなければ大損だ」
「ご安心を。わたくしの伝手を使って、教団側には多少融通させますから。一年くらいは工期を伸ばせると思いますわ。ですので、支払いはきっちりお願いしますね」
「ありがたくて泣けてくるな」
お茶を何杯かおかわりしながら二人の様子を眺めていたマリーが、ぽつりと言った。
「なんだか、二人って似たもの同士ね」
「……」
「……」
ゼノルもレイシアも、特に何も言わない。
ゼノルは忌々しげに、レイシアはにこにことするばかり。しかしそれは、消極的な肯定と言えた。
マリーは、レイシアに顔を向けて言う。
「ねえレイシア……もしかしたら、最初からゼノルと対立する必要なんてなかったんじゃない? ゼノルには神器が必要だったし、お父さまは後ろ盾が欲しかった。それなら、交渉で話がまとまったんじゃ……」
そこまで言った時、マリーは二人が微妙な表情をしていることに気づいた。
レイシアではなく、ゼノルが口を開く。
「……その場合、オレはカルアード男爵の足元を見て、『鍵』の他にも様々なものを要求していただろうな。紛争の危機は去っても、貴様が安穏と学園に通っていられたかはわからん」
「え……ど、どうして?」
マリーがショックを受けたように言う。
「神器だけじゃ、足りないの……?」
「足りる足りないではない。要求できるからするのだ。神器は別の手段でも手に入るが、男爵が助けを求められる相手はロドガルドを除いていない。これで対等な交渉になどなるはずがない」
「……」
「オレは別に、慈善行為としてロドガルドの当主をしているわけではない。カルアード男爵が音を上げるギリギリの一線を見極めて要求し、最大限の利益を得る。それが当然だ。男爵や貴様にとっては、不幸極まりないだろうがな」
「だからこそ、わたくしはゼノル様に勝とうとしていたのです」
レイシアが穏やかに言う。
「屈服させ、支配し、従わせる。そこまでしない限り、ロドガルドの力を借りることなどできないと思っていました。たとえうまく交渉をまとめられても、ゼノル様の気分一つで覆されてしまいますから」
「逆に言えば、それだけの覚悟を持てれば対等にもなりうる。先の一件もそういうことだ。オレがカルアード男爵の後ろ盾になったのは、神器が欲しかったのもあるが」
ゼノルが、視線でレイシアを示す。
「この女は望みを果たさない限り、何度でも噛み付いてくると思ったからだ」
「まあ、ふふ。顎が疲れずに済んでよかったですわ」
マリーは、二人の話を呆気にとられたように聞いていた。
「……なんか、すごいわね。二人とも」
どこか不安そうに、引きつった笑みを浮かべて言う。
「お父さま、大丈夫かしら。こんな人たちと渡り合っていけるとは思えないんだけど……」
「意外と大丈夫ですわ。わたくしのお父さまも、いずれアガーディアを継ぐお兄さまも、安穏とした人ですから。こんな人たちはそう多くありません」
レイシアが苦笑するように言う。
その表情に、ふと陰が差した。
「幼い頃は、男に生まれていたらとよく考えていました。でも、今は……そうでなくてよかったと思っています」
「……なぜだ」
ゼノルが問うと、レイシアは笑顔になって言う。
「きっとお兄さまを廃して当主の座につき――――ロドガルドと戦争を起こしていたでしょうから」
「はっ。同感だ」
ゼノルが口の端を吊り上げて笑う。
「隣にこんなのがいてはとても安眠できん。いつかは衝突していただろうな」
「お互い、平穏を乱さず済んでよかったですわね」
「まったくだ」
物騒な話題で笑い合う二人を眺めながら、マリーがしみじみ呟く。
「……やっぱり二人、似たもの同士ね」
「ところで」
と、その時唐突に、レイシアが言った。
「あらためていかがです? 婚約」
「は?」
ゼノルが思い切り怪訝な顔をして言う。
「何を言っている? もうそんな必要はないだろう」
「二人で共に、王国内での覇権を握りませんか?」
レイシアは、あくまでしとやかな令嬢の笑みで言う。
「せっかく女に生まれたのですから、夫の覇道を陰から支えてみるのもおもしろいかと思いまして。どうでしょう、ゼノル様。わたくしに、新たな使命をくださいませんか?」
「……興味がないな」
わずかに間を置いて、ゼノルは目を伏せながらそう答えた。
レイシアは、まるで予定調和といった風に言う。
「また振られてしまいました。きっと、これで最後でしょうね」
その表情は、しかしどこか寂しそうでもあった。
ゼノルは言う。
「オレにも為さねばならんことがある。覇権など握っている場合ではない。それに……夫を陰から支えるだと? 暗躍するの間違いだろう」
「ふふ。あまり不甲斐ない姿を見せられれば、寝首を掻いてしまったりして」
「冗談にもならん……」
深く溜息をついたゼノルに、レイシアは微笑んで言う。
「仕方ありません」
その顔には、どこか晴れやかな色があった。
「新たな使命は、自分で見つけることにしましょう」




