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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
一章 公爵令嬢編

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――――第36話――――

 ゼノルが去ったパーティー会場は、未だ騒然としていた。

 本来ならば司会の口上が始まり、レイシアとゼノルの婚約発表がなされる頃合いだったが、進行役も混乱のためか静かなままだ。

 主役の失われたパーティー会場で、多くの者が先の断罪劇めいた一幕について、声をひそめて囁きあっている。

 そんな中――――マリーは、未だへたり込むレイシアへ、正面から歩み寄る。


「……レイシア」


 マリーは、久しぶりに友人の名を呼んだ。

 その顔に浮かぶ表情は、喜べばいいのか悲しめばいいのか憤ればいいのか、わからないかのようなものだった。


「ええと……私、なんか助かったみたい」

「……よかったです、マリー」


 レイシアはそう言って微笑んだ。

 それはしとやかな令嬢然とした、いつものレイシアらしい微笑だった。

 完璧な公爵令嬢にふさわしい……しかしだからこそ、屈辱を味わったこの場にはまるでふさわしくない、不自然な微笑だった。

 レイシアは、わずかに視線を落として続ける。


「ごめんなさい……結局、わたくしの力ではあなたを助けることができませんでした。たとえ人生に代えても必ず恩を返すと、あの日約束したはずでしたのに」

「……」

「わたくしならば、できると思ったのです。為すべき使命さえ与えられたならば、わたくしはなんだって為し遂げることができる。そう思っていたのです。でも……それはどうやら、間違いのようでした」

「……」

「辛くあたってごめんなさい、マリー。本当はもっと、上手なやり方があったのかもしれません。でもわたくしには、これが精一杯だったのです。冷血卿にも……結局、出し抜かれてしまいました。く……くやしい、です。あの時の、マリーのように……わたくしが、も、もっと賢く、勇気に、満ちあふれていた、ならば……」

「……もう」


 マリーは仕方なさそうに笑って、小さく息を吐いた。

 そして、レイシアの目の前にしゃがみ込む。


「そんなことないよ。私が助かったのは、全部レイシアのおかげ。喧嘩するフリをしてなきゃとっくに男爵領がなくなってたかもしれないし、冷血卿が動いたのだって、レイシアががんばってくれたからだもの」

「マリー……」

「レイシアはなんだってできる。私を貴族にしちゃったくらいなんだから。あの日、暗がりで泣いてた貴族のお嬢さまが、こんなにすごい子だったなんて思いもしなかった。恩なんてとっくに返してもらったつもりだったのに……甘えちゃってごめん」

「で、でも、わたくしは……」

「大変だったよね。怖かったよね。私はレイシアのおかげで助かったわ。だから、ねえ――――」


 マリーは腕を広げ、レイシアを抱き寄せる。

 耳元で嗚咽を聞きながら、かけがえのない友人に、優しく囁いた。


「――――もう泣かないで、レイシア」



**



 一方その頃。

 ゼノルは一人、夜の王都を歩いていた。


「クソ……愚物どもが……」


 策は完璧に嵌まり、追われる形で会場を後にしたことまで含めて、すべてはゼノルの計算どおり……というわけではもちろんなかった。

 ゼノルは忌々しげに一人呟く。


「……想定外だった。噂好きで野次馬根性ばかりある学生どもは、せいぜいオレとレイシアを遠巻きに眺めて陰口を囁き合うくらいしかできないものと思っていたが……あれは想像以上に、レイシアが人望を集めていたということだろうな。クソッ、どいつもこいつも、あの見た目に騙されおって……!」


 実のところ、先の野次はゼノル自身の評判の悪さにも大いに起因していたのだが、そんなことを考えることもなくゼノルはぼやき続ける。


「だが、まあいい。目的は果たせた。このオレに屈辱を与えたにもかかわらず、望みを叶えてやったうえに命まで救ってやったのだ。感謝するがいい、レイシア……」


 人気の少なくなった夜の王都を、ゼノルは一人歩く。

 その足が、細い路地へと向いた。人気が完全になくなり、月明かりさえ乏しくなった路地を、ゼノルは進んでいく。

 右へ曲がり左へ曲がり、複雑にうねり枝分かれする路地を行くゼノルの足取りには、迷いがない。

 そして、分かれ道を左に曲がった時――――ゼノルの目の前に現れたのは、ゴミの散乱する袋小路だった。

 ゼノルはその先まで進むと、唐突に振り返る。


「……まったく。あれだけわかりやすく破談して見せてやったというのに、まだ来るか」


 呆れたように言うゼノル。

 その正面には――――いつの間にか、一人の男が立っていた。


 印象に残らない、平凡な顔に服装。

 だがゼノルは、その男を覚えていた。

 以前、この場所でフィンが取り逃がした、腕の立つ刺客のことを。


 人気のない夜の路地で、暗殺者と対峙している。

 そんな危機的状況にありながら、ゼノルはまるで平静に告げる。


「退け。しばらく大人しくしていろ。そう遠くないうちに、貴様への命令は取り消されるはずだ」

「……ならば、今殺す」


 据わった目でゼノルを見つめながら、刺客の男が言った。


「そうでなければ、報酬にありつけない」

「救えん奴だ。このオレの慈悲を無下にするとは」


 そう言うと――――ゼノルは左手で、左腰にある古びた剣の柄に触れた。

 まるで、それが必殺の構えであるかのような、悠然とした動作で。


 男はわずかに目を(すが)める。男にとってその動きは、以前ゼノルを追い詰めた際にも見たものだった。

 長く暴力の世界に身を置いていた男は、多くの武術を知悉している。

 警戒したのは、東方に伝わる抜刀術だった。

 鞘からの初撃に必殺を込めるその技は、本来ならば専用の曲刀を用いる。今ゼノルがとっているような、剣を抜けるとも思えない奇妙な構えもとらない。

 だが、この地方の直剣に最適化させた、新たな抜刀術である可能性も捨てきれない。


「……」


 男は静かに、腰から投剣を抜き、指に挟んだ。二本。

 抜刀術の対策すら、男は持ち合わせていた。

 必殺の初撃を、防御に使わせる。


「シッ……!」


 次の瞬間、目にも止まらぬ速さで男の手がひらめき、投剣が放たれた。

 同時に、男は短剣を引き抜きながら地を蹴る。飛翔する二条の刃は、ゼノルの首と心臓の位置を、正確に捉えていた。

 構えがただのはったりにすぎなかったならば、投剣だけで致命傷となるだろう。

 仮に何かを狙っていたのだとしても、ゼノルは剣を使って投剣を防ぐか、体勢を大きく崩して躱さざるをえない。そうなれば、肉薄する男の追撃が勝負を決する。


 刺客としての数多の経験から、男は勝利を確信した。

 その時。


「っ……!?」


 男が、急に足を止めた。

 眼前で、まるで予想もしていなかったことが起きていた。


「な……」


 男が放った二本の投剣。

 それは外れるでも、防がれるでも、ゼノルの肉体に突き立つわけでもなく――――その首と心臓の手前、何もない空中で完全に静止していた。


「なんだと……!?」

「知らなかったか? 我が『聖剣』の権能を」


 ゼノルが、腰の剣を左手で、半ばまで抜いていた。

 その剣身は――――夜闇の中で、薄青く輝いている。


「知らなかったのならば教えてやろう。ロドガルドの『聖剣』は――――使用者の周囲に存在する、あらゆる刃を支配する」

「あ、ありえない……」


 男が愕然と呟く。


「まさか、あの『聖剣』を持ち歩いているのか? いやそれよりも、ロドガルドの神器は……初代以外に、選ばれた者がいなかったはず……!」

「オレが始祖の再来と」


 ゼノルの凍てつくような眼差しが、男を貫く。


「呼ばれている理由が、今わかったか?」


 静止していた投剣が、反転した。

 まるで強力なバネ仕掛けで放たれたかのように、刃が飛び出す。かつての主へ襲いかかる二本の投剣を、男はかろうじて躱した。頬が切れるのもかまわず、男は再び、ゼノルへと突進を開始する。


 不意に違和感を覚えた男は、手にしていた短剣を思い切り後方へ投げた。すでに『聖剣』の支配下にあった短剣は、投擲とうてきの勢いと合わさり、奇妙な軌道を描いて横の壁に突き立つ。


 武器を手放した男だったが、迷いはない。

 徒手にて人を殺傷せしめる技術を、男は当然に持ち合わせていた。

 だが。


「ぐぁ……ッ!?」


 突如足に走った激痛とともに、男は膝を突いた。

 見ると、左足の甲を小ぶりな刃物が刺し貫いていた。

 それは誰かが捨てたとおぼしき、錆びにまみれた調理用のナイフだった。

 男が引き抜こうとするも、ナイフは微動だにしない。

 錆びた調理用ナイフごときが、石畳に突き刺さっているはずもない。それにもかかわらず、男の膂力(りょりょく)をもってしてもナイフを引き抜けない。


「最後の機会だ」


 月を背負ったゼノルが、刺客の男を見下ろして告げる。


「オレに忠誠を誓え。貴様はなかなか使い出がありそうだ」

「……〝冷血卿〟の、言葉を」


 男は、痛みに震える手つきで、左手の手袋を外す。


「誰が信じるッ!!」


 同時に男は、その剛力によってナイフの柄を破壊した。

 そして左足の方を上に引き抜き、拘束から抜け出す。


「……!」


 ゼノルが、驚いたように目を見開いた。


 血の流れ続ける左足を石畳に突いた男が、痛みに表情を歪ませる。

 拘束を抜け出せたものの、足捌きは失われた。もう満足な打撃も、組技も繰り出すことは叶わない。


 しかし、男は残った右足で、大きく踏み込んだ。

 ゼノルを鋭く見据える。

 そして――――左手の親指を、ゼノルの首めがけて突き出した。


 男の左親指の爪は、人体表層の血管をギリギリ切り裂ける程度に伸ばされ、鋭利に研がれている。


 狙いは頸動脈。

 奥の手とはとても呼べない、苦し紛れの一手だ。

 しかしこの間合い。不意を突いたタイミング。常ならば、その爪が血管を抉り、敵を殺害せしめていただろう。


 だが。


「……っ!?」


 男は、驚愕に目を見開いた。

 ゼノルへと突き出した、自身の爪は――――その首の直前で、不自然に押しとどめられていた。

 指を引こうとするも、動かすことができない。

 まるで……男の意思が、およばなくなってしまったかのように。


「馬鹿な……っ!」


 激しい動揺の中で、男はゼノルが語った、『聖剣』の権能を思い出していた。

 ロドガルドの『聖剣』は――――使用者の周囲に存在する、あらゆる刃を(・・・・・・)支配する。


「オレを謀った者は斬首に処すと決めている、というのは嘘だが」


 ゼノルは眼前の男を、無感情に眺めていた。

 その、凍てつくような視線でもって。


「オレの慈悲を無下にする者は、必ず殺してきた」


 男の爪が、ゆっくりと、男自身の方を向いていく。

 抵抗しようとする左手に、うまく力が入らない。

 男は思う。仮に『聖剣』の権能が、刃のみならずその柄にも作用するのだとしたら――――この場合、何がそれと見なされているのだろうか。


「オレは立場上、嘘ばかりついているが」


 男の首に、自らの爪が迫る。

 男はとっさに、右手で左腕を掴んだ。歯を食いしばりながら、自らの手を首から引き離そうとする。

 止まらない。

 男の膂力により、掴んだ左腕の骨が軋む。鈍い音とともに、左手首の骨が外れた。

 止まらない。

 左手を掴み直す。剛力で手骨が砕ける。さらに、親指の骨までもが外れた。

 それでも、止まらない。


「貴様にとっては不幸なことに」


 鋭利な爪が、首に触れた。

 それはすぐに皮膚を破り、肉を抉っていく。


「がっ……ぐふっ……」


 男が血泡を吐き始める。

 すでに左の親指は、半ばまで首に埋まっていた。

 恐怖に見開かれた男の瞳が、『聖剣』の青白い光に照らされた、少年辺境伯の冷たい顔貌を捉える。


「冷血……卿……」


 男の目から、光が消える。

 その体から力が抜け、くずおれた。

 倒れ伏すことはない。血に塗れた左親指の爪だけが首の位置に残り、男の体を支え続けている。


 ゼノルが『聖剣』を鞘に納める。

 ようやく支配から解放された爪の刃とともに、暗殺者の死体が石畳に落ちた。

 夜闇の中で、ゼノルは静かに呟く。


「それだけは、本当なのだ」

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