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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
一章 公爵令嬢編

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35/88

――――第35話――――

◇◇◇



「……協定……?」


 表情を険しくするレイシア。

 ゼノルはにやりと笑い、その内容を詳らかにしていく。


「軍事的協力協定だ。ロドガルド軍のノウハウをもって、カルアードの兵たちを指導するという、な。明日にも我が軍が男爵領に入り、そこで今後、長期にわたって訓練を行う手はずになっている。こちらにさしたる益はないが、かまわん。ロドガルド軍によって鍛えられたカルアードの兵たちは、共に王国を守る力となるだろう。それだけで十分だ」

「そ、それって……!」


 男爵の求めに応じ、ロドガルド軍がカルアード領に駐留する。その意味を察したレイシアが、驚愕に目を見開いた。

 ゼノルは、野次馬たちにも聞こえるように声を張り上げる。


「友好の証として、男爵は領内で発見された稀なる神器、『鍵』の貸与を約束してくれた。これは近い将来、我が領地に建つことになる大教会に収められ、多くの人間の目に触れる形で展示されるだろう。友好の在り方としてはこれ以上ない形だ。そう思うだろう? 無論……予定どおりにいけば、の話だがな」


 それは紛争の火種を除くのと同時に、ロドガルドとカルアード間で結ばれた同盟関係の顕示に他ならなかった。


 しかし、それだけにとどまらない。

 大教会の建築が不可能になれば、同盟の象徴である『鍵』の重要度は低くなる。それが同盟そのものの行く末を暗示することは、ある程度察しがよければ当然に理解する。

 つまりゼノルは、黙って資材を融通し大教会を建てさせなければ、同盟を形骸化させて男爵領を見捨てるぞと言っているに等しかった。


 ゼノル側は当然、大教会が建てられない事態は避けたい。よって資材を買い占めたレイシアは、未だ結婚を強制できる立場にある。

 しかし、ロドガルド辺境伯夫人の地位で構築できるのは、軍事同盟に満たない薄い繋がりだけだ。自分の意思がおよぶという利点はあるが、ゼノルに膝を突かせて反感を買い、すでにある同盟の存続を危うくしてまで得るものではなくなっている。

 しかも、その薄い繋がりの構築すらももはや怪しい。今、貴族の子女が大勢集うこのパーティー会場の中心で、レイシアとゼノルは決定的な形で破談した。ほどなくしてこの事実は、貴族社会全体に広まるだろう。ここから強引に結婚まで持ち込んでも、ロドガルド辺境伯夫人の意思が、当主であるゼノルの意思とは別だと見なされる可能性は高い。つまりゼノルの妻という地位が、ほとんど無価値なものとなってしまったのだ。


 結婚を強制する意味は、もはやない。

 レイシアが目的を果たすためには、ゼノルの要求する婚約破棄を、そのまま受け入れるしかない。


 マリーを助けるという使命は果たせるものの、レイシアは自らが全力をもって練り上げた計略を崩された事実に、放心状態となっていた。

 知謀で打ち負かされたのは初めてだった。

 冷血卿は、自分とマリーの過去まで探り当て、縁談を撥ねのけるという自らの望みを、完璧に叶えてみせたのだ。


「そんな……」

「ふはは、理解したかレイシア? では訊こう。このオレが貴様に婚約破棄を言い渡すことに、いったいなんの問題がある?」

「まさか……わたくしが……」

「ふははは! ちょうどいい機会だ、ここで宣言しておこう。盟友たるカルアード男爵家を害そうとする者は、誰であってもこのオレ、ロドガルド辺境伯家当主ゼノル・グレン・ロドガルドが叩き潰す! 我が精強なる兵たちと神器の力を味わいたくなくば、手を出そうなどとは考えぬことだ。たとえ公爵家が相手でも、オレは退かんぞレイシア。ふはははは!」


 たとえ公爵家が相手であろうと、ロドガルドが退くことはない。

 それはすなわち、『鍵』を巡る騒動に他の公爵家が介入してきたとしても、同盟相手である男爵領を守る意思があるということだ。


 この宣言も、子女を通じて貴族社会に広まるだろう。

 『鍵』を手放し、最強の辺境伯家が後ろ盾となったカルアード男爵領に、もはやどんな諸侯も攻め入る理由はない。


 理想を超える形で目的を達成してしまったレイシアは、もうすべきことが何もなくなっていた。

 呆然とするレイシアに、高笑いを収めたゼノルが語りかける。


「破談を受け入れろ」

「……」

「意地など張ってくれるなよ。引き際がわからん貴様ではないだろう」

「……こ、婚約の破棄を……」


 力が抜けたように、レイシアがよろめいた。

 絨毯の敷かれた床にへたり込みながら、その口がかすれた言葉を紡ぐ。


「受け入れ、ます……」

「ふん、それでいい。まったく、ずいぶんと手間をかけさせてくれたな」


 ゼノルが鼻を鳴らす。

 自らの勝利を、とうの昔に確信していたかのような態度だった。


「だから初めに言っただろう。オレは絶対に、結婚などしないと……!」


 吐き捨てるように言ったゼノルを、レイシアは見ていなかった。

 その目は――――ゼノルの背後で立ち尽くし、瞳を潤ませながら冷血卿を睨みつける、マリーへと向けられていた。



◆◆◆



「ところで」


 スウェルスへの説明を終えたゼノルが、マリーに問いかける。


「貴様はオレに求めているものがあるのだったな」

「……ええ」


 うなずくマリーに、ゼノルは眉をひそめてさらに問う。


「レイシアを助けてほしいとのことだったが……正直、意味を量りかねる。具体的にどういうことだ?」

「レイシアは……今、命を狙われているみたいなの」


 マリーがぽつりと言った。


「詳しいことはわからないわ。でも、そういう噂が立ってる。きっと……いろいろ手を尽くしている中で、危険な相手を敵に回してしまったんだと思う」

「……あのう、恐れ入りますがマリー嬢」


 口を挟んだのは、スウェルスだった。


「おそらくその危険な相手とはゼノル様のことかと思われますが……ご安心を。このように恐ろしげな顔をしておりますが、我が主は無闇に暗殺者を差し向けるような真似はいたしません。何かの間違いかと……」

「なに寝言を抜かしているのだスウェルス。マリー嬢が言いたいのはそのようなことではない。そうだな?」


 マリーはうなずき、沈痛な様子で続ける。


「実際に、毒味役の人が倒れたり、馬車が襲われたりしているみたいなの。運良くレイシアは無事だったみたいだけど……いつまで大丈夫かわからない」


 マリーは視線を上げ、ゼノルを見る。


「レイシアがあなたと婚約を結ぼうとしていたのは知っていたわ。だから、頼れるのではないかと思っていたのだけど……私が想像していたような関係とは違ったようね」

「そうだな。むしろオレも、奴が敵に回した者のうちの一人だ」

「っ……。協定の中で『鍵』を譲るのなら、もう私に差し出せるものはない。でも……必ず借りは返すわ! レイシアと同じように、私の人生を賭けたっていい! だからっ……」

「そうわめくな」


 必死な表情を見せるマリーに、ゼノルは嘆息とともに告げる。


「どんな要求かと思いきや、そんなことだったとは……。貴様の心配は無用だ。オレの策が実を結んだあかつきには、レイシアが命を狙われることもなくなるだろう」

「そ……そうなの?」

「ああ。別に対価も求めん。運が良かったな、マリー嬢。……ただ、そうだな」


 放心するマリーへ、ゼノルは何か思いついたように、口の端を吊り上げて言う。


「策の実行にあたり、貴様にも協力を願おうか。その方がより確実になる」

「協力……? いったい、何をすればいいの?」

「なに、簡単だ」


 ゼノルは酷薄にも映る笑みとともに言った。


「パーティーの当日、オレに同伴するだけでいい」



◇◇◇



「もうやめて!」


 パーティー会場の中心で、別の声が上がった。

 ゼノルがわずかに驚き、振り返る。

 そこにはマリーが、潤んだ瞳でゼノルを睨んでいた。


「レイシアを悪く言わないで! これの何が策なのよ! あなたが鬱憤を晴らしたいだけじゃない!」

「なっ……! 貴様っ、黙っていろと言っただろう……!」


 ゼノルは焦ったように言う。


「これで問題ない……! もう少しだけ口裏を……」

「――――そうだ、婚約解消なんてよそでやれ!」


 上がった声は、野次馬の中からのものだった。

 それを皮切りに、パーティーの参加者たちからゼノルを非難する声が次々に飛び出す。


「相手のことも考えろー!」「せっかくのパーティーを台無しにするな!」「お前にレイシア様の何がわかるんだー!」「レイシア様との婚約を蹴るなんて身の程知らずが!」「なんで今さら学園に来てるんだよ!」「求婚されまくりだからって偉そうに!」「よくも妹との縁談を手紙で断ってくれたなー!」「領地ちょっとよこせ!」「うちの小麦を輸入しろー!」


「な、なんなのだこれは……」


 もはや私怨が混じり始めた野次を浴びながら、ゼノルは呆然と呟く。

 二人の従者とともに、女子生徒たちがへたり込んだレイシアを気遣うように駆け寄っていた。

 同時に、レイシアの取り巻きだった男子生徒たちが、ゼノルに敵意の眼差しを向けながら詰め寄ってくる。


「ぐっ……クソッ。この愚物どもが、覚えていろ……っ!」


 完全な小悪党の捨て台詞とともに、ゼノルは数歩後ずさると、踵を返し足早に会場から去っていった。

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