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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
一章 公爵令嬢編

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33/88

――――第33話――――

◇◇◇



 会場の入り口付近で、人だかりができていた。

 その中心にいる人物を確認するより早く、ゼノルは察する。


「……ようやく来たか、レイシア」


 二人の従者を伴ったレイシアの姿が、そこにあった。

 集まった取り巻きたちが、レイシアの容姿を褒めそやす。公爵令嬢としてふさわしい笑顔と言葉で、レイシアはそれに応えていく。やり取りの内容は、ゼノルのもとにまで届いていた。

 ゼノルは、酒杯を手近なテーブルに置きながら言う。


「行くぞ。ついてこい、マリー」


 会場の中心に向かって歩き出すゼノル。その背を、あわててマリーが追う。

 レイシアは、取り巻きたちとの会話をうまく切り上げたところだった。

 従者を引き連れ、会場の中心を歩き出す。

 司会に自身の到着を告げ、婚約発表の段取りをあらためて確認するためだ。会場にすでにゼノルが現れているかどうかも、訊ねなければならないだろう。

 企みの成功を疑っていない、迷いのない足取り。

 その正面に――――ゼノルは立ちはだかった。


「……あら、ゼノル様」


 レイシアの口元に微笑が浮かぶ。


「もういらっしゃっていたのですね」


 しかしその目は、動揺に揺れていた。

 ゼノルの背後に立つ、マリーの姿を捉えていたために。

 パーティー会場の中心で、静かに対峙する二人。その異様な雰囲気に、周囲の目が集まり始めた時――――ゼノルは酷薄にも映る笑みとともに、声を張り上げる。


「レイシア・リヴィ・アガーディア。今この時をもって、貴様との婚約を破棄させてもらう」



◆◆◆



「……私が、レイシアと初めて会ったのは」


 ゼノルの問いかけからしばらくして、マリーは口を開いた。

 どこかためらいがちに、言葉を続ける。


「今から七年前。男爵領の街の中……だったわ」

「やはりそのタイミングか」


 ゼノルが納得したように言う。


「学園入学前の段階でレイシアと貴様が接点を持つとしたら、七年前にアガーディア公爵一行が男爵領へ旅行した時以外にないと考えていた。だがその時点で、貴様はまだカルアード男爵家に引き取られていない……つまり貴様は、平民としてレイシアと知り合ったのだな」


 マリーはうなずく。

 一方、ゼノルの顔には疑問が浮かんでいた。


「しかし公爵令嬢ともなれば、その領地で領民と関わる機会すら稀なはず。旅先で、しかもまだ幼い頃に、どのような経緯があれば平民の子供と知り合う?」

「……そんなこと言っていられる状況じゃなかったもの。私も、まさかレイシアが公爵令嬢だなんて思いもしなかった」


 マリーが苦笑混じりに言う。

 声音には、どこか懐かしむような響きがあった。


「だって……あの子、人攫いに捕まっていたんだもの」

「……!」

「レイシアが今必死で私を助けようとしてくれているのも、たぶんその時のことが理由。人攫いから助けてあげた恩を、返そうとしてくれているの。……私はもう、十分返してもらったと思ってるんだけど」

「……待て」


 ゼノルが、こめかみに指を当てながら言う。


「七年前の誘拐事件については知っている。だがそれは、レイシアが一人で逃げ出してきたという話だったはずだ。少なくとも男爵領内ではそのように伝わっていた。しかし実際には……貴様の手助けがあったということなのか」

「……あの頃のレイシアは、人攫いの下から一人で逃げ帰るなんてこと、きっとできなかったわ」


 マリーが、微かに目を伏せて言う。


「たしかに今のレイシアはすごいけど……あの頃はもっと、普通の子だったの。家族と喧嘩して、一人で宿を飛び出して、攫われて泣いてしまうような、普通の子」


 マリーがぽつぽつと続ける。


「七年前、私は貧民街で孤児たちに混じって暮らしていたわ。母を亡くしてからは行くあてもなくて……。父親は街の領主様なんだって聞いていたけど、そんなの信じてもいなかった。きっと一生このままで、いつか寒い日の朝、物乞いの死体と同じように片付けられていくものだと思っていたわ」

「……」

「そんな生活だったから、貧民街に出入りするたちの悪い人間のことも自然と覚えるようになった。泥棒に強盗に、それから人攫いとかね。それで、ある時……連中が、隠れ家に小さな女の子を運び込んでいるところを見かけたの」


 マリーが思い出すように続ける。


「仕立てのいい服を着た、きれいな女の子だった。その時は公爵家どころか、貴族の子だってことすら想像できなかったけど……それでも、きっと私なんかとは違う、ただ生きているだけで幸せになれる子なんだと思ったわ。だから、夜になって連中が寝静まった頃、私は隠れ家に忍び込んだの。その子を……レイシアを、助けてあげようと思って」

「……なぜだ?」


 ゼノルが問う。


「孤児の思考などオレには推し量れんが、普通は明日の我が身すら定かでない状況ならば、人攫いにあった者のことなど捨て置くのではないか?」

「……なぜかしらね。うまく言えないのだけど……もったいないって、思ってしまったから」


 マリーが言葉を探しながら言う。


「もし人攫いにあったのが自分だったら、逃げ出せても不幸なことには変わりない。いつかは路上で死んでしまうだけ。でもあの子は、家族のところにさえ戻れれば助かる。たった少しの親切で、不幸にならずに済むの。それができるのは私しかいない……って思ったら、体が勝手に動いていたのよね」

「ふん……そうか。話の腰を折って悪かったな」


 ゼノルが鼻を鳴らして言う。


「貴様が高潔な人間だった。ただそれだけのことだったようだ。続けてくれ」


 マリーは、やや気恥ずかしげに眉をひそめたが、それでも小さくうなずいて続ける。


「最初に会った時、レイシアはすごく驚いていたわ。泣きはらした目を真ん丸にして。後で聞いたんだけど、私のことを別の人攫いかと思ったみたい。逃げ出した後も大変だった。うっかり物音を立てちゃったせいで、連中に気づかれてね」


 そこでマリーは、ふと微かに笑った。


「貧民街中を巻き込んだ、ちょっとした騒ぎになったわ。孤児の仲間に協力してもらいながら逃げたり、物陰に潜んで連中をやり過ごしたり、建物の上からゴミを落として撃退したりね。もう大冒険よ。レイシアも箱入り娘なりにがんばってたわ。最後は、物乞いのおじいさんが使っていた廃屋に隠れて、朝を待ったっけ」


 マリーの口調はいつのまにか、幼少期の思い出を語るものになっていた。


「明るくなるまで、二人でずーっと話をしていたわ。宿に帰るまでの道でも。気づいたら、友達になってた。レイシアが公爵令嬢だってことはもう知っていたけど、関係なかった。向こうもきっと同じだったと思う」


 マリーは、微笑のまま続ける。


「宿の前までたどり着いた時、私は、どうか自分が助けたことは黙っておいてと頼んだの。孤児が貴族の子に関わったなんて知られたら、怒られるんじゃないかと思ったから。レイシアとの思い出を、よくないものにしたくなかったの。私の気持ちを察したのか、あの子はうなずいていたわ。でも……別れ際、あの子は振り返って、微笑みながら私に言ったの。『この恩は、たとえわたくしの人生に代えても、必ず返します』って」

「……!」

「もちろん、期待なんて全然してなかったわ。この先、私とレイシアの人生が交わることなんて、絶対にないと思ってた。でもそれから一年もしないうちに、男爵が私のところに来たの。お母さんの娘なら、自分の娘でもある、一緒に暮らさないかって。絶対にレイシアが何かしたんだと思ったわ。それからはずっと、いい暮らしを送れてる。もう路上で凍える心配もないし、あの時助けてくれた仲間たちにも仕事をあげることができた。全部、レイシアのおかげ」


 マリーが、わずかに目を細める。


「その後少しして、手紙を送り合うようになったわ。学園に入学してからも、レイシアはずっと仲良くしてくれてた。一応私も貴族にはなったけど、家格は全然違っていて、しかもあの子は今じゃあんなにすごい立場なのにね。もう十分、あの時の約束は果たしてもらったつもりでいたの。でも……去年の春、お父さまが『鍵』を手に入れてしまった」

「……」

「ただの低級神器ならよかった。でもお父さまは、『鍵』が秘める可能性を見出してしまった。いい人なんだけど、ちょっと凝り性で、家格が低いせいか機密の管理に甘かったの。そのせいで、領地を接する他の貴族たちに知られて……その力が脅威と見なされて、男爵領がおびやかされそうになった」


 マリーの口調は、いつしか沈痛なものになっていた。


「お父さまとは冬以降、手紙でのやり取りしかしていなかったけど、返事がくるたびに状況が悪くなっているようだったわ。私も、もしかしたら路上での生活に戻らなければならないかもって、覚悟し始めてた。でも……レイシアが言ってくれたの。『今度は、わたくしが助ける番ですね』って」


 目を伏せたまま、マリーは言う。


「それからは、ゼノル卿も知ってのとおりよ。レイシアはカルアードとアガーディアの不和を装って、周辺諸侯たちの態度を変えさせた。その後もずっと、手を尽くしてくれてる。きっと……私のために」

「……なるほど」


 ゼノルが、不敵な笑みとともに言う。


「よく話してくれた、マリー嬢。これで……オレの打つべき手が決まった」

「ちょっ……お待ちください、ゼノル様っ」


 その時、スウェルスがあわてた様子でゼノルに耳打ちする。


「鵜呑みにするのですか? 今の話を。いくらマリー嬢に大恩があると言っても、所詮は子供の頃の出来事です。まったく別の目論見で動いている可能性だって……」

「いや……信じるに足る話だった。オレとしては得心がいった」


 自らの補佐官へ、ゼノルが静かに答える。


「おそらく幼少期のレイシアは、自らの才を持て余していたのだ」

「え……?」

「考えてみれば当たり前だ。貴族の娘に求められるのは、多くの場合政略結婚の駒としての役目のみ。教養として学問や芸術を学ばされることはあっても、知謀の才を発揮する機会などあるはずもない。レイシアには、為し遂げるべき使命がないからだ」


 ゼノルは続ける。


「だがそれは、七年前の誘拐事件を経て変わった。マリー嬢への報恩こそが、レイシアの使命となった。力を振るう理由ができたのだ。ある意味で、あの女は救われたのかもしれん」

「なぜ……そんなことまで……」

「簡単だ」


 ゼノルは、空に目を向けながら言う。


「オレも同じだったからだ。ロドガルド辺境伯家の当主を継ぎ、困難な目標を自らに課していなければ、為すべきこともわからず途方に暮れていただろう」


 ゼノルはスウェルスに向き直り、堂々と告げる。


「次の策に確信が持てた。ようやく、あの女を理解できた。今ならば、奴の思考が手に取るようにわかる……勝てるぞ、スウェルス」

「以前からおっしゃっていますが……その肝心の策とは?」


 ゼノルが不敵に答える。


「カルアード男爵と協定を結ぶ」

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