――――第30話――――
夕暮れ時。王都から北東へ延びる道を、一台の馬車が走っていた。
乗っているのは、従者にあたる年かさの女性、それと一人の令嬢だった。
「マリーお嬢さま、本当に向かわれるのですか……?」
従者の女性が、心配そうに言う。
「何もそこまで……お嬢さまの身に、もし何かあれば……」
「ダメよ」
マリーは窓の外を見つめながら、硬い声で答える。
「何もしなければ、間に合わなくなるかもしれないわ。それに、あの人ならきっと……」
と、その時。前方で、微かな物音がした。
馬車の速度がしだいに緩み始め、やがて停まってしまう。
二人は、異変に気づいた。
――――手綱を握っていたはずの、御者の姿がない。
「あ……騒がないでね。苦手なんだ、うるさいのは……」
その時、マリーと従者は、そろって息を呑んだ。
馬車の扉がいつの間にか開け放たれており……上から、逆さの少年の顔が覗いていたのだ。
蒼白とも呼べるほど白い肌に、やや長い黒髪を逆さに垂らした少年は、陰鬱な表情で告げる。
「急にごめん……。でも、ちょっと君に用が……」
「や、野盗かっ!? お嬢さまに近寄るなっ!!」
従者が目を剥き、マリーの前に出て少年に立ち向かおうとする。
少年は――――、
「いいよ」
次の瞬間、二人の背後にあった窓ガラスが、粉々に割れ砕けた。
二人共に思わず身を竦ませる。
「近寄らないから……静かにして……」
いつの間にか――――少年の右手が前に向けられ、その人差し指と中指は、何かを弾いたかのように伸ばされていた。
分厚い窓ガラスを粉砕した銅貨を、そしてそれを撃ち出した少年の動きを目視で確認できた者は、本人を除いて存在しなかった。
少年は陰鬱に言う。
「大丈夫……僕、野盗じゃないから。御者さんも眠らせただけだし、窓もちゃんと弁償するよ……ゼノルが。そうだよね?」
「ああ、無論だとも」
その時、少年の背後に、馬に乗った別の少年が姿を現した。
氷のように青白い髪を持った、どこか冷たさすら感じさせる顔貌の少年。
マリーは、それが誰なのかを一目で理解した。
〝冷血卿〟ゼノル・グレン・ロドガルド。
「ガラス程度、何枚でも買ってやろう。よくやったぞフィン。わざわざ王都まで来たというのに、危うく会えずじまいとなるところだった」
そしてゼノルは、マリーに目を向ける。
「初めまして、マリー嬢。まずは非礼を深く詫びよう。どうしても緊急に、貴様に訊ねたいことがあったのだ」
そう言って、酷薄にも映る笑みを浮かべるゼノル。
そんな冷血卿の顔を……マリーは、正面から睨み返す。
「奇遇ね、ゼノル卿。実は私も、あなたにお願いしたいことがあったの」
家格は圧倒的に上。そのうえ、刺客じみた兵を使って馬車を強引に停めてきた冷血卿に対し、マリーは笑みを向けた。
「非礼を心苦しく思うのであれば……ぜひ聞いていただけないかしら?」
「ほう?」
ゼノルは、おもしろがるように言う。
「この道にいるということは、あるいは行き違いになろうとしていたわけか……。なんだ? 言ってみろ。聞くだけ聞いてやろうではないか」
あまりにも傲岸不遜。
まるで自負心が全身からにじみ出ているかのような態度の少年に――――マリーは、力強く言い放った。
「レイシアを助けて」
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やがて。
すべてを終えたゼノルは、静かに呟く。
「やはり……オレの方が一枚上手だったようだな。レイシア」
その顔には、酷薄にも映る笑みが浮かんでいた。
「最後に泣くのは、貴様の方だ」




