――――第25話――――
それから、特に何事もなく二十日ほどが過ぎた。
例によって、執務室。事務机の前で書類に目を落としながら、ゼノルは悩ましげに頭を抱える。
「うーむ……」
と、その時。
「失礼しまーす……あ、誰もいない」
執務室の扉が開き、ユナが顔を覗かせた。手にした銀盆には、例によって茶杯とポットが乗せられている。
ゼノルは一瞬顔を上げたが、またすぐに書類へと戻す。
「オレがいるではないか」
「つまんない揚げ足取らないで」
入室したユナが、片手で執務室の扉をぱたんと閉じる。
すたすたと事務机に歩み寄って茶杯を置くが、ゼノルは渋い表情のまま、書類から目を離そうとしない。
ユナは、そんなゼノルを眺めながら言う。
「なーんか難しそうな顔」
「ん? ああ……」
言われたゼノルが、書類を事務机の隅へと押しやった。
「少し、予想より大きくなってしまう出費があってな。どうしたものかと思っていただけだ」
「そうなの? じゃあこれからは安いお茶にしないとダメだね」
「その程度なら別にかまわんがな」
ポットから茶を注ぎながら、ユナはふと思いついたように訊ねる。
「もしかして、その出費って教会関係?」
「ああ、そうだ。大教会認定の条件として、内装を凝れと言われていたのだが……前例に沿おうとすると予想以上に金がかかることがわかった。教団から売りつけられる分の請求額だけで憂鬱になりそうだ」
「あ、大教会! そうそう、新しく建つ教会が大教会になるんだもんね。すごいよねゼノ君」
ユナが笑顔になって言う。
「みんな楽しみにしてるよ。街でも噂になってるみたいだもん」
「……そうらしいな。まったく、どこから漏れたのか……」
頭を抱えるゼノルに、ユナが心配そうな顔になって言う。
「そんなに大変そうなら……やっぱりやめる?」
「……いや、今さらやめられん。すでに書面で確約を取り、調度品や内装資材の売買契約も交わした。それに多少出費がかさんでも、得るだけの価値が大教会にはある」
「ふうん……領主様は責任が大きくて大変だね。子供の頃みたいにはいかないか」
「子供の頃みたいには、か……」
ゼノルは茶杯を口元に運びながら、わずかに目を伏せて呟く。
「……そうだな」
「あ、そういえば」
ユナがふと、思い出したように言った。
「関係ないかもしれないけど、ゼノ君が買ったあの神器も教団に返しちゃったんだよね。元々、どこかの教会から盗まれたものだったんでしょ?」
聞いたゼノルが、一瞬動きを止める。
「……ああ。すまなかった」
「どうして謝るの?」
ユナが不思議そうに言う。
「大切にしてた人たちのところに戻るんでしょ? いいことしたじゃん、ゼノ君」
「……ふっ」
「なに?」
「いや」
口元に微かな笑みを浮かべ、ゼノルは答える。
「おまえならばそう言うか、と思っただけだ」
首をかしげるユナを横目に、ゼノルは椅子の背もたれに身を預ける。
「とはいえ、そのおかげで別の神器を探さねばならなくなったがな」
「前向きに考えようよ。次はもっといい神器が見つかるかもしれないって。大教会にふさわしいようなやつ」
「大教会にふさわしい神器とは難しいな。どういうものだ?」
「うーん……なんかキラキラした光がぱーっと出るとか」
「キラキラした光……」
「うん。結婚式でそういうのを使ってくれたりしたら、素敵かなって」
「……結婚式」
ゼノルは茶杯を静かに置き、前方を向いたまま何気ない調子で訊ねる。
「なんだ、そんな予定でもあるのか」
「あるわけないじゃん。出会いもないし。ただそうじゃないかなーって思っただけ」
「……ふん。そうか」
「というか……わたしよりゼノ君の方があるんじゃないの?」
「……オレが?」
ゼノルは眉をひそめ、ユナに顔を向ける。
「どういう意味だ」
「縁談。公爵家のお姫様との話、まだ続いてるんでしょ?」
ユナが急ににやつきながら言う。
「ゼノ君が破談になったって言った後にも、また屋敷に来てたし。それに、ゼノ君がこの前何日か留守にしてた時って、王都に行ってたんだよね。学園でお姫様と会ってたんじゃないの~?」
「なっ……!」
ゼノルは一瞬絶句した。
「そんなわけがあるか! いやっ、たしかに会ってはいたが……」
「ほら~」
「おまえが想像しているようなものでは断じてない……!」
「そのお姫様って、どういう人なの?」
ユナのその質問に、ゼノルは思わず口を閉じて考え込んだ。
しばしの熟考の後、やがて言いたくなさそうにぽつりと答える。
「もし、オレが女に生まれていたら……あんな風だったかもしれんな」
「似たもの同士って感じか~。じゃあ相性いいかもね」
「似ているという意味ではない……! それに、仮にそうだったとしても相性がいいはずがないだろう! オレが二人いて、共存などできると思うのか?」
「ねえ、ゼノ君」
憤慨するゼノルに、ユナは静かに言う。
「覚えてるか、わかんないんだけど……」
と、何かを言いかけた――――その時。
「ゼ、ゼノル様!」
執務室の扉が勢いよく開き、スウェルスが駆け込んできた。
ユナは驚いた顔になり、そのままうつむいてさりげなくゼノルとの距離を空ける。
ゼノルは一瞬不機嫌な顔になり、その直後、すさまじく嫌そうな顔になった。
「何があった。このパターン、猛烈に嫌な予感がするのだが……」
と、言いかけるゼノルだったが、すぐに思い直したように言う。
「いやよく考えれば、レイシアが策を講じてくる度に、オレはそれを打ち破って大きな利益を得てきた。どうせ今回もそうなるだろう。よし、気楽に話してみろ、スウェルス」
「け、建築資材が……」
気楽さとはほど遠い切羽詰まった表情で、スウェルスは言う。
「建築資材が手に入りません!」
「……なに?」
「買い占められています! おそらく、レイシア嬢に……!」
言葉を失うゼノルへ、スウェルスは畳みかけるように言う。
「石材を中心とした建築資材が、市場から消えました! なんでも、アガーディア公爵領で大規模な公共工事が行われるとかで、関係者が大量に買い付けているという噂が……。そのせいで残った資材も高騰。予算的に、到底許容できないような単価になってしまっています!」
「……いつだ」
気の抜けた雰囲気を表情から消したゼノルが、厳しい声音で問う。
「いつまで待てば手に入る」
「わ、わかりません……」
スウェルスが途方に暮れたような表情で答える。
「なにぶん、加工に時間が必要な資材も多いため……市場に十分な量が戻るまで、おそらく一年以上はかかるかと……」
「……」
ゼノルは答えない。
こめかみに指を当て、視線を落としながら、猛烈な勢いで思考を巡らせている。
しかし――――答えは出てこない。
「そ、それと」
そんな主へ、スウェルスはためらいがちに付け加える。
「封書が、届いておりました……レイシア嬢から」
「……内容は」
視線だけを上げて問うゼノルに、スウェルスは首を横に振る。
「私もつい今し方受け取ったばかりで、内容は確認していません。一刻も早くお持ちするべきだと思い……」
「よこせ」
ゼノルは封書を受け取ると、無言のまま封蝋を指で剥がした。
中の手紙を取り出し、その文面に目を通す。
「……ふっ、はははははははははっ!」
突然哄笑を上げ始めたゼノルに、スウェルスもユナも困惑の顔を向けた。
やがて急に真顔に戻ったゼノルが、手紙を床に放り捨てる。
「……なるほど」
椅子の背に乱暴に身を預けながら、吐き捨てるように言う。
「奴は初めから、ここで詰ませる気でいたわけか」
戸惑いながらも、スウェルスは床に落ちた手紙を拾い上げる。
「っ……!」
それは、とても短い手紙だった。
初めと結びの言葉を除いては、たった一文しか存在しない。
差出人にとって、そしてこれを読む者にとっては、それだけで十分であったたために。
『大教会を建てたければ、わたくしの夫になりなさい』




