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冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~  作者: 小鈴危一
一章 公爵令嬢編

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――――第24話――――

 王都の路上で、従者はレイシアを背後に庇うように立っていた。

 目の前で横転しているのは、先ほどまで乗っていた馬車だ。そしてその傍らには……血塗れの下手人が、剣を握ったまま息絶えている。


 すぐそばで、怪我を負った御者とレイシアの護衛が手当てを受けていた。

 御者は軽傷のようだったが、護衛の方はいくぶんか深手らしく、痛みに顔をしかめている。

 従者は、首を回してレイシアに訊ねる。


「お嬢さま、本当にお怪我はありませんか? 血は出ていなくとも、頭を打ったりなどは……」


 レイシアは苦笑とともに答える。


「ですから、大丈夫です。皆のおかげで無事でした」


 主の答えを聞いても、従者は心安らがなかった。

 あわや、暗殺されるところだったのだ。


 夕暮れ時、学園に戻るために馬車を急がせていると、突然速度が上がり、客車が横転した。路地から現れた刺客の男が御者を襲い、驚いた馬が急に駆け出したためだった。

 男はそのまま客車の戸をこじ開けようとしたが、施錠していたために開かない。そうこうしている間に、遅い時間だからと念のために付けていた護衛が馬と共に駆けつけ、剣戟の末に刺客を倒したのだった。


 それは明らかに、レイシアを狙った暗殺劇だった。

 もし鍵を掛けていなければ。護衛を付けていなかったら。今頃、レイシアの命はなかったかもしれない。

 ……しかしそんなことがあったにもかかわらず、レイシアはいつもの、高貴な令嬢然とした笑みで言う。


「それより、エメッタは大丈夫でしたか? わたくしより、ずっと派手に転げていたようでしたが」

「い、いえ、私のことなど……」


 本当は、馬車の天井に軽く頭を打ち付けていた。もうしばらくすればこぶになっているだろう。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 レイシアは、少し困ったように微笑んで言う。


「今日は早めに休みたかったのですけれど、参りましたわ。また明日から忙しくなるというのに」


 その様子は、まるで刺客の襲来などなかったかのような……ただ馬車が壊れ、帰りが遅くなるだけであるかのような態度だった。

 レイシアは独り言のように続ける。


「ゼノル様はやはり、『夜』返還の交換条件として、大教会認定の約束をきっちり取りつけてくれました。そうでなくては困ります。ゼノル様が、領地の利益を常に最大化する賢君であるからこそ……わたくしは勝つことができる」

「お嬢さま……」

「もうすぐです」


 レイシアは、夕暮れ時に上りかけた月を、遠く見据えながら言う。


「もうすぐ、ゼノル様を詰ませられます。かの冷血卿がわたくしの前に屈し、ロドガルド辺境伯夫人の地位が、わたくしの手中に収まることになる。そうなれば……あと少し。わたくしが使命を果たし……遠い日の約束を守れるその時は、近いはず」


 従者は、唇を噛みしめた。

 レイシアが従者へと、儚げな微笑とともに言う。


「ここが山場です。がんばりましょう、エメッタ」

「……もうおやめください!!」


 思わず、従者は叫んでいた。

 目を丸くするレイシアに向き直り、従者は言い募る。


「もうおやめください、お嬢さま……このようなことは、もう……」

「……」

「今の策を進めれば……今度こそ、後には引けなくなってしまいます。もし失敗でもすれば、お嬢さまの人生が……」


 これまで冷血卿の常に一手先を読んできたレイシアだが、決して無傷というわけではなかった。

 主に金銭や人脈といった面で、多大な代償を支払っている。むしろ冷血卿が、レイシアの策を打ち破るたびに狡猾に利益を得てきたことを考えると、見方によっては劣勢と言っていいほどだ。

 さらには、このまま策を進行させた場合、これまで以上の多大な出費を強いられる。

 目論見が外れれば……レイシアも安全地帯にはいられない。

 従者はさらに続ける。


「そのうえ……求婚を続ければ、今日のようなことがまた起こってもおかしくありません。いえ、確実に起こります。こんな目に遭ってまで、そうまでするほどの、責任が……お嬢さまにあるのでしょうか」

「……エメッタ」

「お嬢さまには、お嬢さまの幸せを求める権利が、あるはずです。せっかく公爵閣下にも、婚姻を自由にしていいと言われているのですから……そのように人生をなげうつ必要など、ないではありませんか。マリー嬢の一件に、それほどまでに執心されなくてもっ……」


 視界が潤み、涙が一滴こぼれ落ちる。

 自分よりはるかに賢く、気高いはずの主をなぜ諫めようとしているのか。従者はその理由を自覚していた。

 たとえ王国史上、稀に見る傑物であったとしても……レイシアは未だ、年若い少女に過ぎないのだ。

 自らの異才と向き合い、それを懸命に御そうとしている少女に。

 レイシアの必死さの裏側にあるものを理解してしまえば……あまりにも危うく、見ていられない。


「……あなたにここまで言わせてしまったとは、主人として失格ですね」


 レイシアは仕方なさそうに微笑むと、ハンカチを取り出し、手を伸ばして従者の涙を拭う。


「エメッタは少し、勘違いをしているようです」

「勘違い……ですか?」

「わたくしは今、幸せですよ」


 レイシアは、穏やかな表情のまま続ける。


「わたくしは決して、過去のしがらみや義理のために、苦しんで責務を果たそうとしているのではありません。これがわたくしの使命で、約束で、為し遂げるべきことであるからこそ、これほど懸命になっているのです。そしてそれは……とても、幸せなことなのですよ」


 レイシアが儚げに微笑む。


「為すべきことがない人生ほど、空虚なものはありません。なんでもできるはずなのに、誰も何も求めてくれないだなんて……そんなの、悲しいとは思いませんか?」

「お嬢さま……っ」

「幸いにもわたくしは、命を救われ、約束を交わしたことによって、使命を得ることができました。大丈夫です、エメッタ。わたくしはどんなことでも為し遂げられます。だから、一番近くで見ていてください」


 美姫の姿をした竜が、目を細めた。


「わたくしが――――ロドガルドの神童を屈服させる様を」

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