多くのなろう投稿者たちがする勘違い。
けっこうな数の人間が、勘違いするセルフトラップ。
「俺でも、なろうのテンプレ小説くらいなら書けるんじゃね?」
実際、大して新しくもない設定、ありきたりな物語の展開で、ヒットしている作品は数多く存在する。ゆえに、この現象を見て「自分の方が斬新なアイデアがある」と考え、何の準備もなく、意気揚々と書き始めてしまう新規も、後を絶たない。
事実、「アイデア自体は面白い」ものも、少なくはない。しかし、ランキングには、かすりもせずに沈んでいく。―― それはなぜか?
重要なのは、アイデアではない。
表現力の方だからだ。
そのアイデアを「どう表現するのか」。
これがカギとなるわけだが、自作に対し、この客観的評価が出来る素人は、そう多くはない。
けっきょく、ただの「アイデアの羅列」で終わる。そのアイデアが「いかに面白いのか」が、伝えきれていないため、ほとんど誰からも評価されずに。
逆に、何の真新しさもないのに、当てるひとがいる。
これは表現の匙加減に優れ、時代の空気ともマッチしていることを意味する。
この「空気」が読み取れなくなると「何でこんなものが売れているのか、さっぱり分かんねえ」と言い出す。自分の趣味嗜好は横に置き、なぜ、そんなものが売れているのかを分析する目くらいは残しておきたい。
結局のところ、「文章力」である。
最強の作家とは、「どうでもいい日常」を切り取っても、読者を惹きつけることが出来る、表現力や視点を持つ者。
一発屋とは、偶然、自分が持つ文体と設定が合致した幸運者を言い、プロ作家とは、設定に文体を合わせることが出来る実力者、とでもいったところか。
アイデアだけに自信のある人間は、良くても一発屋にしかなれない。本当に作家を目指しているのなら、様々な文体を学び、それを適宜、使いこなせるようになる方が、近道なのではないのだろうか。
そうなれば、「アイデア頼みの作品」を書かなくても済むようになるのだから。
正直な話。
アイデアだけなら、誰だって思い浮かぶし、プロよりも突飛なことも思いつく。けど、それを「表現する力」がなければ、「作品」にまでは至らない。絵を描く練習もせずに「僕の脳内には凄い絵があるんだ」と言われても、精緻なアウットプット能力がなければ、それは実在しないのと同義である。