第92話 巡り巡って
《アズル地底湖》の調査から一夜明けたが、埋め込まれた力は大人しいものだった。
洞窟では苛立つような感覚とともに闇が押し寄せてきたため、強烈な負の感情がトリガーになっているに違いない。
ならば、それを抑制すれば良いということになる。言葉にするほど簡単なことではないが。
「キョウヤ、体調は?」
「問題ないよ。あまり気を張り詰めるな」
「そんなこと言われても……」
「少し散歩でもしよう。神殿に向かうのは落ち着いてからでいい」
早朝に王都を発って西の山を登る予定だったが、今のミレイを連れていくのは避けるべきだ。
彼女は寝不足なのか、時折小さく欠伸をしている。不安で眠れなかったのか、見張っていたのかは定かではない。
「分かった。着替えるから、あっちを向いていてくれる?」
「……先に外に出ているよ。家の前で待っているから安心してくれ」
「絶対に勝手に動き回らないようにね」
「子供扱いするな」
普段は先に起きて装いを正しているミレイだが、今日はまだルームウェアを着用している。
断じて覗く趣味などないが、同じ空間に居座り続けるのも忍びなく、気を紛らわすために家を出た。
朝日が身を照らし、澄んだ空気が鼻孔をくすぐる。どんよりしていた昨日とは打って変わって、晴れ渡った空が広がっていた。
王都の生活にも慣れたものだ。このまま何事もなく過ごしたいものだが、己に潜む闇を考えると心が波立つ。
大きく伸びをしたり深呼吸して気を鎮めていると、程なくして相棒も外に出てきた。
「お待たせ。いい天気だね」
「……なんだ、その格好は」
彼女はいつもの白いチュニックとスカート、茶色のロングブーツ姿ではなく、ケープも纏っていない。
桜色のワンピースに目を奪われる。腰の辺りをリボンで縛っており、身体の輪郭が浮き出ている。
露出を避けるための黒タイツは変わらないが、靴は白いショートブーツに履き替えていた。
以前プレゼントした三日月形の金の髪飾りが、太陽の光を浴びてキラリと光る。
「都市の外に出る気はないんでしょう? わたしもお洒落はしてみたいの」
「そうか。あまり無駄遣いはするなよ」
「……感想の一つも言えないの?」
「可愛いって言われれば満足なのか?」
「むぅ……! キョウヤって本当に空気が読めないよね」
とても可愛らしいのは違いない。だが、口にしてしまえば己の中の何かが弾けてしまう気がした。
頬を膨らませるミレイをよそに、キョウヤは歩き始めた。しばらくの間、すぐ後ろから恨めしそうな声が響いていた。
王都はいつも通り賑わいを見せている。多くの人々が行き交い、あるいは談笑していた。
雑踏の中を歩いていると、チラチラと顔を向けてくる者がいる。間違いなく相棒に対する視線だろう。
広場に向かう途中、話しかけてくる衛兵がいた。何度か言葉を交わしたことがある勤勉な少年だった。
「お二方とも、おはようございます。ミレイ様、素敵な装いですね!」
「おはよう。ふふっ、ありがとう」
彼のストレートな賛辞に、ミレイは屈託のない笑顔を見せる。
「朝からお会いできるなんて。おかげさまで今日も頑張れます!」
「そんな、大げさだよ。いつも巡回お疲れ様。頑張ってね」
「はい! それでは失礼します。キョウヤさんも良い一日を!」
少年は爽やかな笑顔とともに去っていき、ミレイは手を振って見送っていた。それを目にしていると、なぜか心がモヤモヤする。
「どうしたの? 難しい顔をしてるけど」
「いや、随分仲がいいんだなと思って」
「あの衛兵さんは素直だからね。誰かさんと違って」
「……悪かったな」
ズキリと胸が痛む。素直ではない自覚はあるが、微妙な距離感を保つためには必要なことだ。
あまり踏み込み過ぎると、心地よい関係性が崩れてしまう恐れがある。それだけは嫌だった。
「もしかして拗ねているの?」
「そんなんじゃない」
「そっか。キョウヤも意外と子供っぽいところがあるんだね」
「反転して聞こえる状態異常にでもかかっているのか?」
こうして軽口を言い合える仲で十分だ。自分は彼女を大切に想っているし、彼女も同様なのだから。
欲張ることはない。いつか元の世界に戻れることになった時、潔く別れを告げるためにも。
「あ、分かった。お腹が空いてるんだね。露店で何か買って食べる?」
「君は食べることしか頭にないのか」
「人を食いしん坊みたいに言わないでくれる?」
「じゃあ食べ歩きは禁止だ」
「えぇ……! 鬼、悪魔、《ハイドロスライム》!」
意味不明な暴言が飛んできた気がしたが、適当に笑って受け流す。
結局、その後はミレイに振り回されて露店を回っていた。食べ物を頬張る彼女の顔はとても輝いて見えた。
その再会は突然のことだった。都市を散策していると、聞き覚えのある声が耳に入る。
振り向いたキョウヤの目に入ったのは、《オルストリム》で親交を深めた顔ぶれだった。
すなわち《フリーダム》の四人。そして、ゲーム時代から面識がある魔法剣士クロエ。
「久しぶりだな! 二人とも、仲直りできたようで良かったよ!」
真っ先に話しかけてきたのは彼らのリーダー。赤みが混じった茶髪に銀の鎧を装備しているリベルだ。
「ミレイ、綺麗よ。とてもよく似合っているわ。キョウヤは相変わらずね」
「お元気そうで何よりです。お二人の時間を妨げてしまい申し訳ありませんね」
アクアブルーのロングヘアを靡かせるアストラが相棒に称賛を送る。
続いて、長い金髪に深緑色のローブを着たエルフ、マリウスが冗談めかして言った。
彼らの後ろからは小麦色の肌に黒髪ショートカットのティアナが歩いてくる。
「くたばってなくて安心したよ! ほらクロエ、あんたの番だ!」
彼女の後ろに隠れていたのはクロエ。ダークブルーのミディアムヘアに青い瞳の少女。
紺と黒を基調とした上着と濃紺のマント、膝下の紺のスカートからは優美な印象を受ける。
「や、やっほー! 二人とも、おひさー! 元気にしてたかにゃー?」
だが、飛び出した言葉は突拍子もないものだった。彼女はこんな性格ではない。
愕然として口を閉ざしていると、寒い風が通りを吹き抜けていった気がした。
「クロエ、大丈夫……?」
「……頭でも打ったのか?」
「あああああっ! だから駄目って言ったでしょう! どうしてくれるんですか、ティアナさんー!」
ミレイと共に労りの声をかけた瞬間、顔を真っ赤にしたクロエの悲痛な叫び声が響き渡った。




