第91話 残された闇
抱擁は途方もなく長く感じられた。どれだけ力を込めていたかも曖昧だった。
ミレイの身震いが止まったと認識した瞬間、キョウヤは腕を緩めて一歩後ろに下がった。
二人の身体が滑るように外れ、無言で向き合う形になる。彼女は目を潤ませていた。
「悪い……!」
「えっと……!」
沈黙に堪えられず口を開くが、ミレイもほぼ同時に声を発していた。
再び気まずい時間が流れる。このままでは埒が明かない。無理やりにでも話題を提供しなければ。
「と、とりあえず、情報の整理をしないか……?」
「う、うん……」
彼女が目を逸らして顔に手を当てている隙に、キョウヤは深呼吸して緊張を振り払った。お互い落ち着いたことを確認した後、ゆっくりと話を切り出す。
「……まず、あの魔女が事件の元凶なのは間違いない。普段は隠れて、二人組が来た時だけ襲っていたんだ」
「じゃあ、噂を流したのもあの人?」
「だろうな。釣られた冒険者たちは亡くなっている可能性が高い……」
空気が張り詰める。否定したいのは山々だが、現実を直視しなければならない。
「シルヴァンと同じ雰囲気がするね」
「それは俺も感じている。魔神の勢力だと思うのが自然だな」
「カップルを殺したいほど憎むって、何があったのかな……」
「分からないけど、境遇はラージュやシルヴァンと似ている」
闇の力を扱う者たちに共通しているのは、何かを憎悪しているという点。
では、己は何に対してそのような感情を抱いているのか。思考を巡らせてみるが、心当たりはなかった。
「それから、最初に飛んできた黒い塊なんだが……」
「あっ! 遅くなったけど、護ってくれてありがとう。キョウヤが打ち消してくれたんだよね」
「いや、そうじゃない。あれは多分、今も俺の中に残っているよ」
「……どういうこと?」
ミレイの優しい微笑みは、推測を告げた途端に表情が硬くなった。
「さっき、《アルドラスタ》で暴走した時と同じ感覚がした。衝動は鎮まったけど、違和感は残ったままだ」
「違和感……?」
「丁度いいな。魔物がいるから試してみるよ」
通路の先に見えたのは例の《ハイドロスライム》だった。実験対象としては申し分ない。
右手を突き出して念じると、掌の先に現れた炎が弾丸の形へと変化していく。
転生した当初は不発した《フレイムバレット》は難なく行使できた。撃ち出された炎が魔物に直撃して爆発を起こす。
「次だ」
今度は剣を抜き放つと同時に魔力を流し込んだ。魔法剣スキル《フレイムエンチャント》によって剣身が炎を纏う。
飛んできた水の刃を躱しつつ走り込んで刺突を繰り出すと、貫かれたスライムはあっという間に動かなくなった。
スキルを解除し、鞘に剣を戻しつつ振り返る。ミレイは唖然とした様子でこちらを見つめていた。
「キョウヤ、その力……」
「ああ……君が想像している通り、あの時のフィノアと同じだ」
霊園でシルヴァンが闇の力をフィノアに分け与えたのと同じ状況。身体の違和感は魔力が劇的に高まったことによるものだろう。
ゆえに適性がないはずの魔法が容易に使えたし、魔法剣スキルも十分な効力を得られるようになっている。
「待って! あなたは正気なんだよね?」
「今のところは。でも、爆弾を埋め込まれたようなものだから、いつ爆発してもおかしくはない」
「そんな……!」
フィノアは首飾りという媒体を通していたようだが、直接擦り込まれた力を引き剥がす方法は見当がつかない。もはや呪われているに等しい。
だが、辛うじて抑え込むことはできている。大切な相棒が支えてくれなければ、今頃どうなっていたことか。
「奴の発言からすると、失踪した冒険者はこれで同士討ちさせられたのかもしれない。残った方は自滅したか、あるいは直接殺されたか……」
「酷い……」
「とにかく王宮とギルドに奴のことを伝えよう。捕まえるのは無理でも牽制はできる」
「そうだね。急がなきゃ」
「待て。まだ話は終わっていない」
キョウヤは引き返そうとしたミレイを制止する。最後に大事なことを伝えておかなければならなかった。
「……王都に戻った後はしばらく別行動だ。俺の身に何が起きるか分からないからな」
「嫌」
「なんでだよ」
「前に約束したでしょう。あなたが間違いを起こしそうになったら、わたしが止める」
即答だった。こちらを直視する赤い瞳は硬く、容易には崩せそうにない。
「どこまでお人好しなんだか」
「キョウヤのためじゃない。わたしが、あなたを失いたくない。それだけ」
「ミレイ……」
「だから、どこにも行かないで」
懇願するような言い回しに、胸が熱くなっていく。
拒めるはずがなかった。卑怯だとさえ思った。それでも、ありがたかった。
「どうなっても責任は取れないからな」
「取らなくていい。その代わり、相棒として責務を全うして」
「相変わらずの減らず口だな。スライムでも詰め込んでやろうか?」
「それ、セクハラだよ」
ミレイは嫌な顔一つせず、最後には明るく笑ってみせる。
キョウヤもフッと笑い返していた。彼女の存在が何よりも心強かった。
「じゃあ戻るか。またスライムに呑まれないように気を付けろよ」
「……そのネタ、擦るのやめてくれない?」
軽口を叩き、入口に向けて歩き出す。重い空気はすっかり消え去っている。
どことなく、流れる水の音が美しく聞こえ、洞窟に差し込む光は明るく見えていた。
《アズル地底湖》を脱出すると、即座に入口の衛兵に情報を提供した。彼らは意外と融通が利くようで、誰も通さないと約束してくれた。
急ぎ足で王都に戻り、冒険者ギルドに仔細を報告、更に王城方面へと向かった。緊急事態ということで、衛兵の一人に連れられる形で貴族街を歩いていく。
城門で騎士に用件を伝えると、二人は即座に騎士団長ルキウスの執務室へと通された。
「おお、ミレイ殿にキョウヤ殿。もしや調査を終えられたのですか?」
煌びやかな王城とは裏腹に無骨な部屋だ。壁付近に設置された机の奥に彼は座っていた。
予想していたと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべている。しかし、話を聞けば苦悩に変化することは想像がつく。
「はい、調査だけはしてきました。結論からお話しますが――」
案の定、ミレイが真実を語るにつれてルキウスの顔は険しくなっていく。
ちなみに闇の力を埋め込まれた件だけは伏せられた。再びの投獄を回避するためだろう。
聡い相棒の対応に、キョウヤは心の中で拍手喝采を送らざるを得なかった。
「……ご苦労様でした。至急、こちらからも手を回しておきます。解決には至りませんでしたが、報酬の半分はお支払いします。後ほど冒険者ギルドでお受け取りください」
相変わらず上から目線な発言だと思ったが、気にかけることなく会釈して別れを告げる。
二人して執務室を後にする直前、背後から深いため息を吐く音が聞こえた気がした。




