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ティルナノーグの冒険者  作者: 有機エリー
四章 王都 リグブレス 後編

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第89話 水と祈り

 先手を取ったのは《ハイドロスライム》の方だった。キョウヤが慎重に近付いていくと、不意に水の刃が撃ち出された。

 警戒していたおかげで難なく回避できたものの、なかなか面倒な魔物だ。目や口といった器官が存在しない液体であるため、全く意図が読み取れない。

 躱した勢いのまま急接近して剣を振るうが、柔らかい物に包まれるように手応えがない。不定形ゆえに物理攻撃の効き目が薄いのも、ゲームの特徴を再現しているらしい。


「キョウヤ、下がって!」


 ミレイのかけ声に従って後ろへ跳んだ瞬間、目の前を炎弾が飛んでいく。着弾と同時に爆発が起き、水蒸気が立ち昇った。

 だが、直撃したはずの魔物は未だ不気味に蠢いている。心なしか小さくなっているのは、それなりのダメージを与えた証左か。


「これでも倒せないの……?」

「ランク4の魔物だからな。今までとは格が違うんだ」


 中級魔法を一発当てた程度では倒れない。下級冒険者向けの魔物とは明確な差がある。


「冷静に分析してるけど、あなた役に立ってないよね?」

「うっ……し、仕方ないだろう!」


 ミレイの痛恨の一撃が胸に突き刺さる。敵の攻撃を食らうよりも傷が大きいかもしれない。

 霊魂の魔物と対峙した時も思い知らされたが、物理耐性持ちは相性が悪すぎる。


「闇魔法を解禁するよ」

「わたしが仕留めるからいい。大人しく見てて」


 冷たい口調で提案を却下され、キョウヤは思わず肩を落とした。

 マリーから悪い影響を受けているのは気のせいだろうか。彼女のアインスに対する態度はまさにこんな感じだ。


 大口を叩いたミレイは再び魔法の準備に入るが、敵も大人しく待ってくれるわけではない。

 波が押し寄せるように、水色が地面を這ってくる。スライムの粘液による拘束攻撃だ。

 咄嗟に後ろへ退避したが、気付くのが遅れた相棒の足には粘り気のある水が絡み付いていた。


「くっ……!」


 想定外の事態に混乱したのか、彼女の魔法が不発する。必死に抜け出そうと足掻くが、あっという間に下半身が呑まれてしまった。


「油断したな。頑張ってくれ」

「ちょっと、助けてくれないの……!?」

「それ自体にダメージはないから大丈夫だ。別の魔物が来たら俺が対応する」


 あくまで《束縛バインド》の状態異常を与えるだけであり、HP(ヒットポイント)を奪うものではない。ゆえに、こちらの世界でも痛みを感じることはないだろう。

 複数の魔物を相手をしている時であれば脅威になり得るが、単体であれば意味のない行動だ。

 もっとも、粘液に包まれるという感覚は否応なしに伝わってくるはずだが。


「うぅ、気持ち悪い……最悪!」


 さすがの精神力というべきか、彼女は悪態をつきながら二度目の炎弾を放った。

 無防備だったスライムはそのまま力尽き、拘束も解除される。こうして最初の戦闘は無事に終えた。


「お見事。お疲れ様」

「キョウヤ、どういうつもり?」

「役立たずは大人しく見ていろと言われたからな。油断して捕まったのも君のミスだ」

「それは、そうだけど……」


 ばつが悪そうに俯くミレイを見ていると、急に遊び心が湧いてきた。

 我ながら品位に欠けると思ったが、散々茶化された仕返しの一つくらいは許されるだろう。


「せっかくだし、スライムに包まれた感想を詳しく聞かせてくれないか?」

「この、変態っ!」


 直後、彼女の渾身のパンチが腹に炸裂し、キョウヤは地面にうずくまることになった。





 その後のミレイの勢いは恐るべきものだった。どうやら怒らせてしまったようだ。

 新たにヤドカリやカニを模した魔物が現れたが、下手すれば彼女の魔法に巻き込まれかねない戦闘が続いた。

 件のスライムは反撃すら許されず倒される。鬼の形相で暴れる相棒には畏縮するしかなかった。


「ミレイ、少し落ち着いた方がいいんじゃないか」

「キョウヤのせいでしょう。あのスライム、本当に気持ち悪かったんだから……!」

「いや、ごめん。冗談が過ぎた」

「はぁ……いいよ。わたしも、あなたを蔑ろにしたことは謝る。ごめんなさい」


 慎ましく謝罪するミレイを目にして、逆に心が痛くなった。やはり彼女には敵わないと思い知らされる。


「役立たずだったのは事実だ。俺もまともな攻撃魔法が使えれば良かったんだが」

「別に、剣と知識で助けてくれれば十分だよ。お互いを補い合える関係って素敵でしょう?」

「気を遣わせて悪いな」

「……そう思うなら、次からは助けてね」

「ああ」


 スライムに呑まれる体験は相当堪えたに違いない。惨めな姿を見られたことを思い出したのか、ミレイは顔を赤らめて目を逸らした。

 どうにも居心地が悪い。彼女を傷付けてしまったことに罪悪感を覚えているのだろう。


「それはそうと、そろそろ最奥に着く。気を引き締めていこう」

「分かった」


 気まずさを払拭するため、強引に話題を変える。この先は未知の領域であり、何が起こるか予測できない。

 ミレイも気を持ち直したのか、真剣な眼差しでこちらを見つめ返していた。





《アズル地底湖》の最奥。各所から水が流れ込む空間には広大な湖が広がっている。

 どこからか入り込んだ光が薄く水面を照らしており、神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 水の流れる音に交じって、ポツポツと水滴が落ちる音が耳に入ってくる。


「綺麗。見たところ異常はなさそうだけど……」

「今のところはな。警戒は怠らないようにしよう」

「えっと、祈りを捧げればいいんだよね」

「……そういえば、何を祈ればいいんだ?」


 二人で向き合って固まる。肝心の情報が抜けていることに気付く。

 もし何かが起きるとすれば、祈りとやらを捧げた後。しかし、その内容が分からない。


「男女二人が最奥で祈りを捧げれば永遠の愛が約束される――そういう話じゃなかった?」

「要するに、愛を誓えばいいのか」

「……そういうことになるね」


 再び顔を見合わせる。必要不可欠とはいえ、相棒にそのような感情を向けて良いものか。

 ミレイも困ったような表情を見せている。やはり抵抗があるのだろう。


「あの、あくまで調査だから……やってみようよ」

「仕方ない。無駄足にはしたくないしな」

「う、うん」


 彼女は覚悟を決めたのか、手を合わせて目を瞑った。キョウヤも同じようにして念じる。

 ――ミレイとずっと一緒にいられますように。

 ありきたりではあるが、これが限界だ。頭が真っ白になってしまい、他に何も浮かんでこない。

 祈りを終えて恐る恐る目を開けるが、眼前の湖は静謐を湛えたままだ。何もなかったと安堵すべきか、徒労だったと落胆すべきか。


「何も起きないね」

「所詮は噂話だったってことか」

「じゃあ、失踪の原因はなんだろう?」

「分からないな。とにかく、調査は終わったから報告に戻ろう」

「そうだね……」


 少し残念そうな様子のミレイを引き連れ、キョウヤは踵を返す。

 背後から水飛沫が上がるような音が聞こえたのはその時だった。

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