第89話 水と祈り
先手を取ったのは《ハイドロスライム》の方だった。キョウヤが慎重に近付いていくと、不意に水の刃が撃ち出された。
警戒していたおかげで難なく回避できたものの、なかなか面倒な魔物だ。目や口といった器官が存在しない液体であるため、全く意図が読み取れない。
躱した勢いのまま急接近して剣を振るうが、柔らかい物に包まれるように手応えがない。不定形ゆえに物理攻撃の効き目が薄いのも、ゲームの特徴を再現しているらしい。
「キョウヤ、下がって!」
ミレイのかけ声に従って後ろへ跳んだ瞬間、目の前を炎弾が飛んでいく。着弾と同時に爆発が起き、水蒸気が立ち昇った。
だが、直撃したはずの魔物は未だ不気味に蠢いている。心なしか小さくなっているのは、それなりのダメージを与えた証左か。
「これでも倒せないの……?」
「ランク4の魔物だからな。今までとは格が違うんだ」
中級魔法を一発当てた程度では倒れない。下級冒険者向けの魔物とは明確な差がある。
「冷静に分析してるけど、あなた役に立ってないよね?」
「うっ……し、仕方ないだろう!」
ミレイの痛恨の一撃が胸に突き刺さる。敵の攻撃を食らうよりも傷が大きいかもしれない。
霊魂の魔物と対峙した時も思い知らされたが、物理耐性持ちは相性が悪すぎる。
「闇魔法を解禁するよ」
「わたしが仕留めるからいい。大人しく見てて」
冷たい口調で提案を却下され、キョウヤは思わず肩を落とした。
マリーから悪い影響を受けているのは気のせいだろうか。彼女のアインスに対する態度はまさにこんな感じだ。
大口を叩いたミレイは再び魔法の準備に入るが、敵も大人しく待ってくれるわけではない。
波が押し寄せるように、水色が地面を這ってくる。スライムの粘液による拘束攻撃だ。
咄嗟に後ろへ退避したが、気付くのが遅れた相棒の足には粘り気のある水が絡み付いていた。
「くっ……!」
想定外の事態に混乱したのか、彼女の魔法が不発する。必死に抜け出そうと足掻くが、あっという間に下半身が呑まれてしまった。
「油断したな。頑張ってくれ」
「ちょっと、助けてくれないの……!?」
「それ自体にダメージはないから大丈夫だ。別の魔物が来たら俺が対応する」
あくまで《束縛》の状態異常を与えるだけであり、HPを奪うものではない。ゆえに、こちらの世界でも痛みを感じることはないだろう。
複数の魔物を相手をしている時であれば脅威になり得るが、単体であれば意味のない行動だ。
もっとも、粘液に包まれるという感覚は否応なしに伝わってくるはずだが。
「うぅ、気持ち悪い……最悪!」
さすがの精神力というべきか、彼女は悪態をつきながら二度目の炎弾を放った。
無防備だったスライムはそのまま力尽き、拘束も解除される。こうして最初の戦闘は無事に終えた。
「お見事。お疲れ様」
「キョウヤ、どういうつもり?」
「役立たずは大人しく見ていろと言われたからな。油断して捕まったのも君のミスだ」
「それは、そうだけど……」
ばつが悪そうに俯くミレイを見ていると、急に遊び心が湧いてきた。
我ながら品位に欠けると思ったが、散々茶化された仕返しの一つくらいは許されるだろう。
「せっかくだし、スライムに包まれた感想を詳しく聞かせてくれないか?」
「この、変態っ!」
直後、彼女の渾身のパンチが腹に炸裂し、キョウヤは地面にうずくまることになった。
その後のミレイの勢いは恐るべきものだった。どうやら怒らせてしまったようだ。
新たにヤドカリやカニを模した魔物が現れたが、下手すれば彼女の魔法に巻き込まれかねない戦闘が続いた。
件のスライムは反撃すら許されず倒される。鬼の形相で暴れる相棒には畏縮するしかなかった。
「ミレイ、少し落ち着いた方がいいんじゃないか」
「キョウヤのせいでしょう。あのスライム、本当に気持ち悪かったんだから……!」
「いや、ごめん。冗談が過ぎた」
「はぁ……いいよ。わたしも、あなたを蔑ろにしたことは謝る。ごめんなさい」
慎ましく謝罪するミレイを目にして、逆に心が痛くなった。やはり彼女には敵わないと思い知らされる。
「役立たずだったのは事実だ。俺もまともな攻撃魔法が使えれば良かったんだが」
「別に、剣と知識で助けてくれれば十分だよ。お互いを補い合える関係って素敵でしょう?」
「気を遣わせて悪いな」
「……そう思うなら、次からは助けてね」
「ああ」
スライムに呑まれる体験は相当堪えたに違いない。惨めな姿を見られたことを思い出したのか、ミレイは顔を赤らめて目を逸らした。
どうにも居心地が悪い。彼女を傷付けてしまったことに罪悪感を覚えているのだろう。
「それはそうと、そろそろ最奥に着く。気を引き締めていこう」
「分かった」
気まずさを払拭するため、強引に話題を変える。この先は未知の領域であり、何が起こるか予測できない。
ミレイも気を持ち直したのか、真剣な眼差しでこちらを見つめ返していた。
《アズル地底湖》の最奥。各所から水が流れ込む空間には広大な湖が広がっている。
どこからか入り込んだ光が薄く水面を照らしており、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
水の流れる音に交じって、ポツポツと水滴が落ちる音が耳に入ってくる。
「綺麗。見たところ異常はなさそうだけど……」
「今のところはな。警戒は怠らないようにしよう」
「えっと、祈りを捧げればいいんだよね」
「……そういえば、何を祈ればいいんだ?」
二人で向き合って固まる。肝心の情報が抜けていることに気付く。
もし何かが起きるとすれば、祈りとやらを捧げた後。しかし、その内容が分からない。
「男女二人が最奥で祈りを捧げれば永遠の愛が約束される――そういう話じゃなかった?」
「要するに、愛を誓えばいいのか」
「……そういうことになるね」
再び顔を見合わせる。必要不可欠とはいえ、相棒にそのような感情を向けて良いものか。
ミレイも困ったような表情を見せている。やはり抵抗があるのだろう。
「あの、あくまで調査だから……やってみようよ」
「仕方ない。無駄足にはしたくないしな」
「う、うん」
彼女は覚悟を決めたのか、手を合わせて目を瞑った。キョウヤも同じようにして念じる。
――ミレイとずっと一緒にいられますように。
ありきたりではあるが、これが限界だ。頭が真っ白になってしまい、他に何も浮かんでこない。
祈りを終えて恐る恐る目を開けるが、眼前の湖は静謐を湛えたままだ。何もなかったと安堵すべきか、徒労だったと落胆すべきか。
「何も起きないね」
「所詮は噂話だったってことか」
「じゃあ、失踪の原因はなんだろう?」
「分からないな。とにかく、調査は終わったから報告に戻ろう」
「そうだね……」
少し残念そうな様子のミレイを引き連れ、キョウヤは踵を返す。
背後から水飛沫が上がるような音が聞こえたのはその時だった。




