第87話 地底湖の噂
翌朝、キョウヤとミレイは冒険者ギルドに足を運んでいた。
いつも通りソフィーを呼んでもらおうとしたが、受付の女性は困ったような表情を見せる。
「ソフィーさんでしたら、本日はお休みを取られていますよ」
「そうですか、失礼しました。ところで《アズル地底湖》の情報が欲しいのですが、何か知りませんか?」
王都の北方にある地底湖は、水の精霊ウンディーネの住処とされている場所。職員なら何か知っているに違いない。
「ええ、存じていますよ。男女二人が最奥で祈りを捧げれば永遠の愛が約束される。いつからか知りませんが、そんな噂が流れるようになりました。何組かの冒険者が失踪し、精霊の怒りに触れたなどという憶測まで飛び交っていますね。凶悪な魔物でも出たのかと思い、調査に向かった冒険者パーティもいましたが、特に異常はなかったとのことです」
彼女は淡々と事実のみをまくし立てる。ソフィーであれば問いかける時間をくれたのだろうが、そういった隙は全くない。
「精霊に会えた人はいるんですか?」
「はぁ……? 何を仰っているのですか。そのような奇跡があれば、今頃大騒ぎになっていますよ」
「……ですよね。ありがとうございました」
訝しげな目を向けてくる職員に礼を言って引き返すと、ミレイも黙って付いてくる。ホールの中ほどで立ち止まり、思わずため息を吐く。
「視線が痛い……。あれは頭がおかしい奴を見る目だった」
「あはは、ドンマイ。精霊は伝説の存在にすぎないんだね」
「ゲームのようにはいかないか。残念だな」
結論、この世界の精霊は交流できるものではない。実在しているかも怪しい。
出てきたのは妙な噂話と失踪事件だけ。あまり関わらない方が良さそうだ。
「でも、永遠の愛ってなんだかロマンチック」
「俺は胡散臭い話だと思うよ」
「そうかなぁ? そういうの、少し憧れるけどね」
「……まあ、分からなくはない」
憧れるのは大いに結構だが、そもそも相手がいない。口に出しかけたが、寸前で押しとどめる。
彼女はいつか理想の人を見つけるのだろう。僅かな寂寞が胸に広がった。
「それで、どうしよう。直接行ってみる?」
「却下だ。精霊に会えないなら、人が消えるような危険な場所に行く意味がない」
「相変わらず合理的だね。そのおかげで今まで助けられてきたんだけど」
ただでさえ何度も事件に遭遇しているのに、また面倒事に巻き込まれるのは御免だ。
この世界は謎に満ちている。相棒を護るためにも、慎重な行動を心がけなければならない。
「今日は適当に時間を潰そう。西の山は距離があるから、明日の夜明けに出発だ」
「じゃあ、魔物でも狩りに行く?」
「そうだな。誰かさんのおかげで懐が寂しいし」
「ごめん、よく聞こえなかった。わたしがいないと寂しい?」
「難聴なら診てもらった方がいいぞ」
取るに足らない掛け合いをしながらギルドを後にして、大通りを北へと進んでいく。
今日もまた平和な一日を過ごせそうだと思ったのは、束の間のひと時だった。
「ああ、ミレイ様! 騎士様が探しておりましたよ!」
都市から出ようとすると、こちらの姿に気付いた衛兵が慌てて声をかけてきた。
ミレイが敬われているのはもはや日常だが、呼び出されるのは初めてだ。
「どのような用件でしょうか?」
「申し訳ありませんが、自分には伝えられておりません。王城に続く橋にいる衛兵の元へ向かっていただけますか?」
「分かりました。伝言、ありがとうございます」
騎士ということは王宮が絡んでいるに違いない。既に厄介な気配が立ち込めている。
「ミレイ、行くのか?」
「うん。とりあえず話だけは聞いてみる」
いつかはこういう日が訪れると予感していたのだろう。歩き出すミレイに戸惑いは感じられなかった。
王城や貴族街と都市を隔てる巨大な橋で待機していると、やがて奥から男が姿を現した。
ミレイが小声で話しかけてくる。どうやら騎士団長ルキウス本人のお出ましのようだ。
若くして数多の騎士を率いる実力者。実際に相対するのは初めてだが、確かな風格が感じられる。
「ご足労、感謝します。ミレイ殿、キョウヤ殿」
彼はミレイに丁寧に一礼してみせるが、こちらに対しては一瞥するだけだった。
騎士団長という立場上、一般人を特別扱いはできない。無視されなかっただけ御の字だといえる。
ここは黙っておいて、応対はミレイに任せた方が良いだろう。
「いえ、こちらこそ。早速ですが、ご用件を伺ってもよろしいでしょうか」
「そのつもりです。まず最初に、あなた方は《アズル地底湖》の事件について聞いたことはありますか?」
ルキウスが本題に入った途端、その場に緊張が走った。この時点で呼び出された理由も予想がつく。
「……失踪事件ですね。噂が流れていることも知っています」
「その件で相違ありません。いつからか妙な噂が飛び交うようになり、冒険者が失踪する話まで上がってくる始末。私は二つの出来事が繋がっていると確信しましたが、未だ尻尾が掴めずにいます」
彼は疲れたような顔をした。シルヴァンの件が解決したのに、またしても王都で何かが起きている。さすがの騎士団長も辟易しているようだ。
「わたしとキョウヤに現地の調査を依頼したいと?」
「ご明察です。《光の剣》の方々は連絡が取れない状況にありますゆえ」
当然だ。あの四人は東の《ソラスティア神聖国》に行ってしまったのだから。
「ですが、なぜ新参者のわたしに?」
「他の適任者が王都に滞在していないからです。行方不明者は全て男女の二人組であり、他のパーティは何事もなく帰還している。つまり、少なくとも男性と女性が一人ずつ必要になる。我々と繋がりがあり信頼できる冒険者は限られています。現在、条件を満たしているのはあなた方しかいません」
一度は牢獄に閉じ込めておいて、見事な掌返し。強力な光の力を持つ者は無条件で信頼を得られるらしい。
隣のミレイも同じような感想を抱いたのか、露骨に不快そうな顔をしていた。
「……話は分かりました。ただ、この場で即決はできません」
「承知しました。現地の見張りには伝達しておきますので、気が向いた時で構いません。もちろん、解決した際は相応の報酬をお支払いしますよ。では、吉報をお待ちしています」
ルキウスは会釈すると王城の方へと去っていく。その後ろ姿には陰りが見えた。
穏やかな日々はついに終わりを告げる。正体不明の脅威が、すぐそこまで迫っている気がした。




