第56話 蠢く闇
「私の仲間が無礼を働きました。申し訳ありません」
「い、いや、俺は構わないが……」
非情な一撃を放ったにもかかわらず、弓使いリーゼは平然とした様子で頭を下げた。
そのギャップに、キョウヤは思わず一歩後ずさり、地面をゴロゴロと転がりながら悶えている剣士アインスに目を向ける。
「大丈夫ですよ。いつものことですから」
リーゼは彼に冷たい視線を投げた。まるでゴミを見るような目だ。
キョウヤの本能は警告を発していた。この女性は決して敵に回してはならない。
「ですが、お話は聞かせていただきます。闇の力を行使できる理由に心当たりはありますか?」
「……負の感情、それが始まりだ。それ以外は何も分からない」
キョウヤは真剣な顔を崩さないように努めた。地を転がるアインスの呻き声を無視して、相手の目をじっと見つめる。
焚き火の炎がリーゼの瞳に揺れる中、鋭い視線がキョウヤへと返された。
ここで目を逸らしてしまえば疑いが深まってしまう。そう思うと、数秒の対峙が何倍もの時間にも感じられた。
「……嘘は言っていないようですね」
やがて、リーゼが大きく息を吐き、肩の力を緩める。どうやら疑いは晴れたようだ。
だが、安堵したのも束の間、アインスが痛みを堪えながら立ち上がり戻ってくる。
「リ、リーゼ! こいつを信じるのか!?」
「ええ、私には悪人に見えません」
「僕は認めないぞ! こんな奴が、彼女のような美しい少女を――」
「もう一度蹴られたいのですか?」
二人のやり取りを傍観していると、ミレイがそっと袖を掴んでくる。
彼女はアインスを汚らわしい物を見るような目で睨み、呆れたように呟く。
「わたし、あの人は無理かも……」
「安心してくれ。俺もだ」
彼女の言葉に心から同意しつつも、キョウヤはアインスの実力を認めざるを得なかった。闇の力についても何か知っているに違いない。
魔神の信徒――その言葉が突き刺さったように離れない。やはり、この力は魔神に由来するものなのだろうか。
思考が深まる中、不意に足元が揺れる。ふらついたのが自分の身体だと気付いた時には、既にミレイに支えられていた。
「疲労が溜まっているようですね。私たちが見張りをしますので、お休みください。明日、改めてお話をしましょう」
「すまない」
リーゼに一礼し、近くの木を背を預けて腰を下ろす。しかし、キョウヤの警戒心が解けることはない。
賊を共に倒したとはいえ、得体の知れない集団の前で隙を見せるわけにはいかなかった。
「大丈夫。今度はわたしが警戒してるから、ゆっくり休んで」
「……ありがとう、ミレイ」
ミレイの囁きが耳元で響き、ようやく緊張の糸が緩む。
隣に座る彼女の気配に安心感を抱きながら、キョウヤの意識は深い闇の中へと沈んでいった。
結局、キョウヤが目を覚ますまで白ローブの集団に怪しい動きはなかった。
ひとまず彼らに悪意はないと判断し、王都への行進を再開する準備を整える。
護衛が半分に減ってしまったため、キョウヤとミレイ、リーゼが引き続き馬車の後方を固め、アインスら他の三人が先行する布陣となる。
縛り上げられた賊たちは、一台の馬車にまとめて詰め込まれている。
それが揺れる度に呻き声が聞こえてくるが、悪事に手を染めたのだから同情の余地はない。
「はあ……ようやく落ち着きましたね。昨日はお騒がせして申し訳ありませんでした」
隣を歩くリーゼの声には疲弊の色が滲む。琥珀色の瞳にも、昨夜のような勢いはない。
夜通し見張りを続けた疲れか、あるいはアインスの騒々しさに耐えた結果か。
「いえ、俺の方こそリーゼさんたちの邪魔をして申し訳なかったです」
「今更改まらなくて結構ですよ。キョウヤ」
「あ、ああ……助かる」
キョウヤが礼を言うと、リーゼは僅かに口元を緩めた。堅苦しい印象とは裏腹に、意外と気さくな一面を覗かせる。
「そういえば、ちゃんとした自己紹介ができていませんでしたね。今更ですが、私の名はリーゼ。パーティのサブリーダーを務めています」
「……サブ?」
「リーダーは、あのアインスです」
キョウヤは思わず目を剥いた。隣のミレイも同じく驚愕の表情を浮かべる。
リーゼの真摯な態度から、彼女こそリーダーだと確信していたのに、まさかあの軽薄な男が統率者だとは。
「いい加減な男ですが、腕は確かです。侮ってはいけませんよ」
リーゼの声には静かな確信と信頼が宿っている。
アインスの剣技は確かに本物だ。圧倒的な力と身のこなしには一分の隙もなかった。
「それから、斧使いのフリードは寡黙な戦闘狂です。あまり近付かない方が良いでしょう。魔法使いマリーは、頼りにはなりますが口が悪いですね。やはり距離を置くことを推奨します」
リーゼの素っ気ない紹介に、キョウヤは苦笑を漏らした。
彼女の毒舌の裏には、この厄介なパーティを束ねる気苦労が透けて見える。
そんなことは関係ないとでもいうように、前方では黒髪の大柄な斧使いと、赤毛の小柄な魔法使いが魔物と派手に交戦していた。
「……そろそろ本題に入りましょうか。お二人は魔神の呪詛という言葉を聞いたことがありますか?」
「ああ、闇の力がそう呼ばれるらしいな」
「光の力は女神の祝福、ですよね」
ミレイがキョウヤの言葉を引き継ぐと、リーゼが首を縦に振る。
いつの間にか、彼女の纏う空気は重苦しいものに変化していた。
「話が早くて助かります。私たちが依頼を受けたのは、この《ブレス街道》で隊商が壊滅したという話を聞いたからです。逃げ帰ってきた者によると、闇を纏った魔物とそれを使役する者に襲撃されたようです」
「魔物を使役だと……?」
「ええ、間違いありません。陳腐な賊などではなく、場違いな強さの魔物に付随する怪しい人影を見たという話が、近頃は何件も上がっているのですよ」
「そんな……!」
襲撃を受けた時の記憶が甦ってしまったのだろう。ミレイが身を震わせ、顔を強張らせる。
キョウヤはそっと彼女の手を握った。それは自分の心を落ち着かせるためでもあった。
リーゼの言う通りだとすれば、廃坑に出現した《ヴォイドガーディアン》、森で倒した《ヘイズルーラー》もその類である可能性が高い。
間違いなく、悪意を持った者が暗躍している。それが多数の犠牲を生み出し続けているのだ。
「じゃあ、アインスが言っていた魔神の信徒というのは……」
「はい。私たちが追っている標的のことです。無論、彼が勝手に名付けているだけですが」
アインスの執拗な敵意の理由が腑に落ちた。
敵の正体が不明な以上、闇の力を見せてしまったキョウヤは有力な候補というわけだ。
「とにかく、あなたの力は異質です。疑われたくなければ、無闇に使わないことをお勧めしますよ」
「忠告ありがとう。元々そのつもりだよ」
闇魔法は禁忌の力。そのリスクはキョウヤ自身が痛感している。
それに迂闊に使えば、ミレイにこっぴどく叱られるのは目に見えている。彼女にだけは余計な心配をさせたくなかった。
リーゼは短く頷き、次に流れるような動作で弓を構えた。
「さて、私も一仕事しましょうか」
慌てて周囲を見渡すと、クマの姿をした巨大な魔物が突進してくるのが目に入った。
刹那、輝く光の矢が次々と突き刺さり、魔物の巨体が崩れ落ちる。それを放ったのは、他でもないリーゼだった。




