第53話 予感
目を開けると、優しい光に覆われた世界が広がった。
その白い空間では、己だけが異物のような黒だった。
「……聞こ……ま……か……闇……動き……す……」
頭に直接響くような声がするものの、ノイズが酷くて聞き取れない。
理解できるのは、何かを必死に伝えようとしているということだけ。
「……どう……止め……さ……お願……ま……」
声が聞こえなくなり、同時に空間が外側から黒に浸食されていく。
やがて、己の身体までもが同化するようにして闇に塗り潰された。
◇ ◇ ◇
真夜中の街は闇に包まれ、微かな月光だけが辺りを静かに照らす。
窓際に佇む黒衣の剣士は、満天の星を眺めながら首を傾げていた。
「……こんな時間に何してるの?」
不意に暗闇の中から呼びかけられ、驚きで身体が跳ねる。
声がした方に目をやると、月明かりに照らされた白銀の少女の姿があった。
「悪い、起こしたか?」
「別に大丈夫」
「そうか。変な夢を見た気がして、眠れなくてな……」
「奇遇だね。わたしもそんな気がして、目が覚めちゃった」
彼女は自然な動作で隣に立つと、窓の外に目を向けた。
無駄に距離が近いが、もう慣れている。今更惑わされはしない。
「光害がないからかな。都会の空よりもずっと綺麗だね」
「そうだな。こっちの空はよく見える」
「あの星たちも、現実に存在しているのかな?」
「さあ、どうだろうな。《ティルナノーグ》は宇宙に行くゲームじゃないから」
ありのまま正直に答えると、ジトリとした視線が向けられた。空気の読めない人だと言わんばかりだ。
「……キョウヤ、夢がない」
「現実的と言ってくれないか」
「面白くない人」
「なんか悪化してないか……?」
もはや恒例のように、雑に冗談を言い合う。
顔を逸らしたミレイが肩を震わせて笑うと、キョウヤも釣られて笑みが零れた。
「……明日は王都に向けて出発するんだよね」
「そうだったな。この街の静かな生活も終わりか……」
大陸北部を治める《グランルクス王国》の王都《リグブレス》は、現在地から西に敷かれた街道を南西に進んだ先にある。
《クラルミッド》に滞在して約二週間、明日はついに街を出る予定だ。こんな時に目が冴えてしまうのは想定外だったが。
「結局、これといった情報は見つからなかったね……」
ミレイが残念そうに言うのは、元の世界に戻る手がかりのことだ。
当然ではあるが、そのような情報が簡単に手に入るはずがない。この世界の住人に下手なことを聞けば、頭がおかしい人間だと思われるだけである。
「それが普通だよ。まあ、女神ソラスの信仰はあるみたいだから、今はそれだけが頼りだな」
女神ソラス――それは《ティルナノーグ》における神の一柱の名だ。ゲーム開始直後、プレイヤーは彼女に召喚され、魔神と戦う使命を帯びることになる。
こちらの世界でも何か意味があるとすれば、彼女と接触して問い質すのが手っ取り早いだろう。
もっとも、これまで姿以前に声を聞いたことすらない。実在しているかどうかは怪しいものだ。
「王都に行けば、何か進展があるかな?」
「この街よりは可能性が高いとしか言えない」
「もう……他人事みたいに」
「焦っても仕方ないと思うぞ。それに、ゆっくり旅をするのも悪くない」
正直なところ、キョウヤはそれほど乗り気ではなかった。
もし帰る方法が見つかれば、ミレイとは別の道を歩むことになる。彼女は帰らないと断言しているのだから当然だ。
もしかしたら、その時が訪れるのを恐れているのかもしれない。そう思える程度には、この世界に馴染んでしまっている。
「帰りたくない、なんて思い始めてる……?」
「そういうのも多少はあるかもしれないな」
「そっか。わたしが言えたことじゃないから、あまり口出しするつもりはないけど……後悔はしないようにね」
「……分かってる」
その一番の原因が目の前にあることに、ミレイ自身は気付いているのだろうか。
彼女は帰る方法を一緒に探してくれると言ってくれたが、その先にあるのが別れだというのは腑に落ちない。
だからといって「一緒に帰ろう」などと口にできるはずもない。苦痛から逃げてきた彼女に対して、その言葉はあまりにも無責任だ。
「大丈夫。あなたがどんな選択をしても、わたしは恨んだりしないから」
キョウヤの心情を察してか、ミレイは穏やかな口調でそう告げた。
悩んだところで答えは出ない。ひとまず彼女の厚意を受け入れ、先のことは捨て置くことにした。
「寝なくて大丈夫? 明日は早いんでしょう?」
「俺はもう少し起きてるよ」
「そう。じゃあ、わたしも付き合う」
「いいけど、そんな格好していたら風邪を引くぞ」
薄着で佇んでいるミレイに向けて、椅子に掛けておいた黒のコートを手渡す。
対する彼女はポカンと呆けていた。少々気障な振る舞いだったかもしれない。
「……自分のケープがあるから平気」
「あ、ああ……そうだったな」
咄嗟に手を引っ込めようとすると、それよりも早く彼女の手がコートを掴んだ。
「でも、せっかくだから借りるね。ありがとう」
「どっちだよ」
袖を通して着込むと、案の定サイズが合っていないようだ。
照れたような微笑みを浮かべながら自身の姿を確認するミレイ。その姿がとても愛らしく見える。
「どうかな?」
「似合わないな」
「……キョウヤのセンスが悪いんじゃない?」
適当に軽口を叩いた後、星空を眺めながら取り留めのない雑談に花を咲かせる。
もはや遊ぶことができなくなったゲームの話にも、彼女は目を輝かせて乗ってきた。それが嬉しくて、得意気になって喋ることになったのは言うまでもない。
そして翌日、二人は睡眠不足に悩まされることになった。




