第52話 一歩踏み出して
静かな宿の一室で、ミレイは一つ覚悟を決めた。
心の中に封じ込めてきたはずの記憶を、今はキョウヤに知ってほしいとさえ思えていた。
「ねえ、昔のわたしの話をしてもいい?」
椅子に座り向き合って語ろうとしているのは、口を閉ざしてきた光怜に関する話だ。
彼もなんとなく察しているのか、これまで自ら核心に触れようとはしてこなかった。
それはありがたいことであると同時に苦痛でもあった。抱え込んでいる感情を、いつになっても解き放つことができないのだから。
「……君さえ良ければ」
「本当に、下らないことなんだけどね」
ミレイのことも絶対に護ると誓う。この世界で一番大切な人は君――キョウヤは確かにそう言ってくれた。仲間として友人として、その言葉には心を打たれた。
最後に飛んできた「好きとは違う」という無神経な一言には、開いた口が塞がらなかったけれども。
とにかく、そんな彼が絶望に打ち勝って助けに来てくれたのだから、自分も一歩踏み出したくなった。一種の対抗心なのだろう。
「付き合いが長くて、友達だと思っていた人がいたの。でも相手は違ったみたいで、逆に嫌われていたみたい。ショックで学校に行くのが怖くなって、親からも責められて……唯一の癒しが《ティルナノーグ》だった。でも、それも奪われそうになって――」
「それがきっかけで、この世界に来たんだな」
最後までは語らせないと言わんばかりにキョウヤは言葉を被せる。
望まない最期を迎えた者と、自ら最期を望んだ者。どこか似ているところがある二人でも、この点は正反対だった。
「うん。だから、わたしは帰りたくない。上手くできる自信がないから……」
「そうか。それも一つの選択だよ。君が選んだ道なら、俺は尊重する」
その声音はただ慈愛に満ちていて、どうしようもなく温かさを感じてしまう。
「軽蔑しないの?」
「別にしないよ」
「……あなたは不本意な死を押し付けられたのに?」
「俺もミレイと同じ立場だったら、その選択をしたかもしれない。君の苦しみが理解できるなんて、口が裂けても言えないけどな……」
キョウヤは心優しい人だ。この世界で最初に彼と知り合えたのは、とてつもなく運が良かったのだろう。
「……ありがとう。あなたに話して良かった」
「俺は何も」
「ううん。ずっと一人で抱え込んでいたから、気持ちが楽になった」
「……なら良かったよ」
ミレイにとって、キョウヤは闇ではなく光だった。凍っていた心が溶かし尽くされてしまうようだ。
ずっと一緒に旅をしたい。彼と一緒なら楽しく生きられる。ふと、そんな思考が脳裏をよぎった。
しかし、それは決して許されることではない。いつかは自立しなければならない。
「キョウヤ、この世界でやりたいことは見つかった?」
「ミレイを護ること」
「……それ以外は?」
「今はないな」
当然のように言い放つキョウヤに少々呆れつつ、ミレイは今後の方針を決定する。
気持ちはもちろん嬉しいけれども、いつまでも甘えているわけにはいかない。彼の帰りを待っている人も居るのだから。
「じゃあ、これからは少しでもこの世界の情報を集めよう。帰る方法も見つかるかもしれないよ」
「望み薄だと思うぞ。そんな情報が転がっているとは思えない」
キョウヤの言う通り可能性は低い。それでも、彼が帰還を望むのなら手助けをしてあげたい。
それが友人として自分にできる最大限の行い。使命ではなく、この世界でやりたいことの一つだ。
「何か分かるかもしれないじゃない。最初から諦めていたら駄目だよ」
「でも、君は……」
「わたしのことはいいの。あなたにはちゃんと友達と再会してほしいと思っているから」
いつか別れの時が訪れれば後悔する可能性もある。でも今はその思いを飲み込んで口を開いた。
「そうか。やっぱりミレイは強いな」
「強くなんてないし、キョウヤのおかげでここまで来れた――そう言ったでしょう。今のわたしにこの世界を一人で生き抜く力はない。だから、せめてその時が来るまでは……あなたの力を貸してほしい」
「……ああ、俺で良ければ喜んで。というか、むしろお願いするのはこっちの方だな」
その時がいつになるかは分からない。案外近くにあるかもしれないし、もしかしたら辿り着くことはないかもしれない。
いずれにしても彼と喧嘩別れすることは二度とない。次に「さよなら」を言うとすれば、当面の目的を達成した時だ。
「改めてよろしくね。えっと……相棒?」
「いや、ガイドじゃなかったのか?」
「それはもう終わり。わたしにとっても……キョウヤは大切な人だから」
おどけてみせるキョウヤに向けて、勇気を振り絞ってその言葉を口にした。
途端に顔が熱を帯びてしまう。こんな恥ずかしい台詞、今この時でなければ二度と口にできない気がした。
「……誤解を招くぞ」
「先に言ってきたのはあなたでしょう……!」
対する彼の返答は淡泊で、ミレイはつい語気を強めてしまう。
相変わらずの素直ではない物言い。こんな時くらい合わせてくれても良いのに、空気を読まない人だ。
「それより、返答くらいはしてほしいんだけど」
「……君がそれでいいなら」
「わたしじゃなくて、あなたがどう思っているのか聞いているの」
「ごめん、悪かった。じゃあ……よろしく、相棒」
答えを促すと、平原の時とは違い、今度は彼の方から手を差し出される。
ミレイは躊躇いなくその手を取った。今度は終着点まで共に行くという願いを込めて、しっかりと握り締めた。
「そろそろ行かない? 久しぶりに一緒に戦いたい」
「おい……いくらなんでも軽率だぞ。痛い目に遭ったばかりだろう」
「だからこそだよ。わたしは異世界で生きるために、もっと強くなりたい」
「それは分かるが……はぁ、仕方ない奴だな」
魔物に襲われ、人に裏切られ、怖かったのは間違いない。
だからといって、恐怖から逃げたくはない。この世界では自由に生きると決めている。
それに今は――誰よりも信頼できる人が隣にいる。
「もし何かあっても、キョウヤが護ってくれるんでしょう?」
「……当たり前だけど限度はあるからな。あまり無茶はしないでくれよ」
「ふふっ、分かってる。頼りにしてるよ、相棒」
もう間違いは起こさない。彼と一緒ならどこまでも羽ばたける。そんな思いを胸に、キョウヤの腕を掴んで宿を出る。
「お、おい! 引っ張るな!」
そしてミレイは駆けていった。暖かい日差しを浴びながら、温かい仲間を引き連れて――。
二章 終
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
三章も順次公開しておりますので、どうぞよろしくお願いいたします!




